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ポレール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ポレール

  • 日本の競走馬。以下で述べる。
  • サッポロビールの子会社であるサッポロワインが販売するワインのブランド名。
  • さいたまコープの運営するスーパーマーケット様態の店舗の名称の内のひとつ。

ポレール
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1991年6月17日(34歳)
死没 -
エブロス
シークイン
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 浦河日成牧場
馬主 林進
→岸和田グランドホール
調教師 岩元市三栗東
競走成績
生涯成績 平地14戦1勝
障害35戦8勝
獲得賞金 3億9468万8000円
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ポレールは、日本競走馬で現在は阪神競馬場に所属する誘導馬である。バローネターフ以来18年ぶりとなる中山大障害を3連覇を成し遂げ、90年代後半の障害競走を支えた名馬である。担当調教助手鈴木孝志(現調教師)。

戦績

デビュー〜1995年

平地では1993年11月13日の3歳新馬でデビュー勝ちを収める。しかしそれからは7戦未勝利。4歳夏にして早々と障害入りする。障害競走では出津孝一が主に騎乗していたが、障害初勝利は8戦目となかなか勝ちあがれず、落馬も経験している。その後も400万条件で惜敗を続けていたが、1勝馬のまま格上挑戦した1995年の京都障害ステークス[1]では、55kgの軽量を活かして道中先団からレースを進め、最終障害で躓きながらも逃げたマヤノギャラクシーに並びかけ、直線での叩き合いでクビ差惜敗した。そして次走の東京障害特別(秋)でも中盤の襷コースの大竹柵を過ぎて先頭に立つ積極的な競馬をみせ、優勝したグレートリーフには直線半ばで捕らえられ7馬身離されたものの、メジャーウィナーをハナ差凌いで連続して2着となる。しかし、京都大障害(秋)は中段から最終第2コーナーで逃げていたエイシンコウコウをかわしていったん先頭に立ったが、直後にエイシンパーシーにかわされ後退、4着に敗れた。翌月の中山大障害(秋)では大竹柵の飛越で人馬転倒し、メジロシャガール、オキノリュウジンらと共に競走中止した。

1996年

ポレールの飛躍の年となった。1月の障害オープン3着後、2戦目の東京障害特別(春)では先行集団から先に抜け出していたテイエムミサイルをゴール手前で外から差し切ってクビ差で重賞初勝利を決めると、次走の阪神障害ステークス(春)は星野忍が手綱を取って道中逃げたナリタライジンから5馬身差の2着。そして4戦目の中山大障害(春)では、故障から復帰したブロードマインドが1番人気となるが、レースでは中段から2番手にいたブロードマインドを大生垣を越えたところでかわし、向正面で2番人気ナリタライジンをかわして先頭に立つとあとは独走。2着のメジャーウィナーに2.3秒差をつける大差でこのレース初優勝となった。

休養後、秋復帰戦の阪神障害ステークスでは61kgのハンデと、調整の遅れが影響して4番人気にとどまったが、3番手追走から先行するシャンパンファイトを差し切って勝利。鞍上の星野忍は障害重賞12勝目にして初の関西重賞制覇となった。続く東京障害特別では逃げていた58kgとポレールより5kg軽いネーハイジャパンを捕らえきれずに2着に敗れた。

ポレールはすでに東京、中山、阪神の障害重賞を制しており、京都大障害を勝てば年間グランドスラム達成となっていたが、陣営は中山大障害に的を絞ることを選択した。そして中山大障害では当初2番手につけていたが、先頭の3番人気ザスクープが大竹柵で逡巡してバランスを崩し騎手林満明が落馬、ここでポレールが先頭に立った。そして2番手となった2番人気トウショウサーフも大生垣を越えた次の障害で落馬したために独走状態に。ポレールはカラ馬2頭を従え、2番手のマイネルトレドールに3.2秒の差をつけて春秋連覇を達成。年間障害重賞4勝は1988年ヤマニンアピール以来8年ぶりのことであった。この年、最優秀障害馬に選出される。

1997年

初戦の東京障害特別では65kgの斤量と大外10番枠から外外を回らされる不利な状況もあって、直線入口でいったん先頭も直線一気のマイネルトレドールに差し切られ、ケイティタイガーとの競り合いにも敗れて3着となった。続く中山大障害では星野忍騎手引退のため、出津孝一が騎乗。中盤3番手から大生垣の飛越でストレートアンサー、テンショウメイジンの2頭をかわして先頭へ。ゴール直前で外に膨らむシーンがあったものの、マイネルトレドールに1馬身半のリードを保って1979年のバローネターフ以来となる3連覇を達成した。

ポレールが活躍した当時は現在と異なり障害競走では重賞でもハンデ戦や重賞勝利数による別定戦で斤量が青天井であり、ポレールはどのレースでも65kg以上の斤量を背負うこととなった。とりあえず、バローネターフと同様に天皇賞(バローネターフは秋)に出走した後、陣営は障害オープン競走で減量騎手の山本康志を起用、中山大障害4連覇を目指すこととなる。なお、秋初戦の京都大賞典では逃げるメジロファラオを見ながら4番手を追走、直線も大外で粘って0、6秒差の6着に健闘している。

そして1997年中山大障害(秋)。当時の規定で5歳以上牡馬は基本重量59kg、同競走勝利数によって2kgずつ増量される。顕彰馬グランドマーチスがあまりにも強すぎたため創られた規定である。3勝のポレールは他馬より6kg重い65kgでの出走となった。2周目の1、2コーナー中間の障害でケイティタイガーを抜いて先頭に立ち、いつも通りそのまま押し切る競馬を試みたポレールだったが、2コーナーでいったん交わしていたケイティタイガーに直線で再び差し返されて2着に終わった。

1998年以降

1998年は年明けから大障害にむけて調整が行われていたが、1月20日の調教中に第1指骨を骨折。放牧に出されて10ヶ月の間休養した。10月に京都で復帰して4着にはいったが、2戦目の障害オープンで落馬してトモに外傷を負い、再び大障害を回避して休養を余儀なくされる。1999年から障害競走改革によって中山大障害が定量になるなどの変更が行われたが、1月の淀ジャンプステークスで9着と惨敗すると、その後馬体がガレて出走を続けられなくなり、いわき温泉に放牧に出されて1年2ヶ月の長期休養に入った。2000年3月にようやく復帰し、大阪杯を叩いて中山グランドジャンプに出走したが、2周目の3号障害で落馬、競走中止した。そしてこれを最後に登録を抹消し、それから現在まで阪神競馬場で誘導馬として活躍している。

年度別成績

  • 1993年(2戦1勝)
  • 1994年(9戦0勝)
  • 1995年(18戦1勝)
  • 1996年(8戦5勝) - 最優秀障害馬
    • 中山大障害(春・秋)、東京障害特別(春)、阪神障害ステークス(秋)
  • 1997年(7戦2勝)
    • 中山大障害(春)
  • 1998年(2戦0勝)
  • 1999年(1戦0勝)
  • 2000年(2戦0勝)

血統表

ポレール血統ミスタープロスペクター系/Avena(プリメロ)5×5=6.25%、Nasrullah5×5=6.25%) (血統表の出典)

*エブロス
Ebros
1986 鹿毛
父の父
Mr.Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
Scuff
1979 栗毛
Forli Aristophanes
Trevisa
Moccasin Nantallah
Rough Shod

シークイン
1981 鹿毛
*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
ヒダクイン
1971 黒鹿毛
*サミーデイヴィス Whistler
Samaria
ガーネツト トサミドリ
サンキスト F-No.3-l


脚注

  1. ^ 阪神障害ステークスの代替開催。直線はダートコースを使用した。なお、大障害コースは使用していない。
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