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日吉二宮神社

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日吉二宮神社

日吉二宮神社正面
所在地 滋賀県高島市新旭町深溝1460-1
位置 北緯35度21分25秒 東経136度02分59秒 / 北緯35.35694度 東経136.04972度 / 35.35694; 136.04972
主祭神 大山咋神
創建 創祀年代不詳
本殿の様式 三間社流造
例祭 5月3日
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日吉二宮神社(ひよしにのみやじんじゃ)は滋賀県高島市新旭町深溝に鎮座する神社である。

祭神

神紋

歴史

創祀年代は不詳であるが、比叡本荘の総鎮守として勧請されたという。社家に伝わる饗庭家文書によると、4月初申日には大國主神社上の御前、4月初酉日には本神社の例祭が下の御前祭と称し、上郷(田井・五十川・上野・米井・辻澤・森)と下郷(深溝・霜降・小池・山形)により行われていた。このことから、二社は元々日吉大社から勧請された兄弟社であったと考えられている。元の鎮座地は、琵琶湖岸の低地であったが増水により、保延年間に現在地に遷座された。宝徳3年の神田帳では神田が多く宮敷地は九反歩あった。鳥羽院より聖地領として比叡本荘の社領を賜ったとされる。

社家

室町時代の土豪饗庭三坊のひとり定林坊播磨を初代とする饗庭家が社家であったが、現在は大國主神社社家が神職を勤めている。

祭事

午前中の祭典の後、午後から御輿渡御式が行われる。御旅所では神人共食神事が行われるほか、宮座の名残の座が設けられる。
重要な祭礼は、神職、巫女、5人の宮総代、鬼子母善神堂世話人代表、16人の年行事で行われる。
このうち年行事は、任期4年で各年次「長男」~「四男」と呼ばれる4人の男性で構成され、1年目を前見習い、2年目を見習い(前役)、3年目を本役、4年目は一年目客人、5年目は二年目客人と呼ぶ。4年目・5年目は、お礼奉公とも呼ばれる。また、年行事を勤めた者が宮総代になることができ、年行事と宮総代を経験した者が鬼子母善神堂の世話人になる資格ができるという決まりがある。なお、鬼子母善神世話人は13人の定数となっている。

境内外社

(境内末社)

  • 行座神社(ぎょうざじんじゃ)
勧請年代・由緒は不詳。旧深溝村の氏神。ご祭神は大歳神天知迦流水姫神。旧無格社。現在は本社の境内に遷されているが、跡地には現在も祠が残り、御旅所になっている。1月3日に斎行される事始祈願祭では、拜殿で的射神事と水門での祓式が行われる。これは本神社の祭神である大歳神(田の神)と天知迦流水姫神(水の神)に五穀豊穣を祈る儀式である。
  • 八幡神社(はちまんじんじゃ)
勧請年代は不詳。日吉大社宇佐宮を勧請したという。祭神は応神天皇。旧霜降村の氏神。本社は、元々旧霜降村に鎮座し、その跡地には社標が残っている。旧社地は、応永29年木津荘検注帳では「野神」と記載されている。毎年1月1日には霜降区民による拜賀式が行われるほか、年2回湯立神事が行われる。旧無格社。

(境外末社)

  • 日吉神社(ひよしじんじゃ)
勧請年代は不詳。日吉大社客人宮を勧請したという。祭神は菊理媛命。旧八幡神社の道向かいに鎮座していた。現在は、日吉二宮神社に合祀され、社標が残るのみとなっている。旧無格社。

(境外摂社)

  • 西宮大神社(にしのみやおおかみのやしろ)
勧請年代・由緒は不詳。祭神は事代主命。旧山形村の氏神。応永29年木津荘検注帳では「夷」と記載されている。5月5日に例祭、7月28日に末社唐崎神社の川裾祭が斎行される。登記上は独立した法人格になっている。旧無格社。
  • 愛宕神社(あたごじんじゃ)
勧請年代は不詳。小池村が成立したとき、氏神として山城国愛宕神社を勧請したという。祭神は火産霊神。旧小池村の氏神。年2回愛宕講祭が行われる。

文化財

  • 本殿
高島市指定文化財
  • 饗庭家文書
旧社家の饗庭氏に伝わる中世の貴重な古文書群

アクセス

周辺

関連項目

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