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'''井上 宇市'''(いのうえ ういち、[[1918年]][[4月23日]] - [[2009年]][[7月17日]])は、日本の建築設備学者。[[日本建築学会]]名誉会員。[[早稲田大学]]名誉教授。公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている<ref name=":0">{{Cite book|title=井上宇市と建築設備 : 建築設備の技術向上と人材育成に捧げた生涯|url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB12374213|publisher=丸善|date=2013|language=ja|last=井上宇市設備研究所}}</ref>。
'''井上 宇市'''(いのうえ ういち、[[1918年]][[4月23日]] - [[2009年]][[7月17日]])は、日本の建築設備学者。[[日本建築学会]]名誉会員。[[早稲田大学]]名誉教授。
公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている<ref name=":0">{{Cite book|title=井上宇市と建築設備 : 建築設備の技術向上と人材育成に捧げた生涯|url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB12374213|publisher=丸善|date=2013|language=ja|last=井上宇市設備研究所}}</ref>。


== 経歴等 ==
== 経歴等 ==
[[埼玉県]][[秩父郡]]秩父町(現・[[秩父市]])生まれ。[[埼玉県立熊谷高等学校|旧制熊谷中学校]]を経て1940年、[[新潟高等学校 (旧制)|旧制新潟高等学校]]を卒業したが、[[肺結核]]で一年療養を経て、[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学第一工学部]]船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。戦後の1946年から[[大成建設]]株式会社に勤務を経て1953年より[[早稲田大学理工学術院|早稲田大学第一理工学部]]及び第二理工学部建築学科専任講師に転任。1954年、早稲田大学第一、第二理工学部建築学科助教授を経て1962年に早稲田大学教授就任。1989年に定年退職<ref name=":1">{{Cite web|title=知られざる名建築の裏側 代々木体育館の空調を支える「バズーカ砲」とは|url=https://www.nomados.co.jp/yoyogi-gym|website=NoMaDoS 一級建築士事務所|accessdate=2019-11-19}}</ref>。2009年7月17日、[[肺炎]]のため死去<ref>{{Cite news|url=http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20090718000374|title=井上宇市氏死去/早稲田大名誉教授|newspaper=四国新聞|date=2009-7-18|accessdate=2019-11-20}}</ref>。91歳没
[[埼玉県]][[秩父郡]]秩父町(現・[[秩父市]])生まれ。[[埼玉県立熊谷高等学校|旧制熊谷中学校]]を経て1940年、[[新潟高等学校 (旧制)|旧制新潟高等学校]]を卒業したが、[[肺結核]]で一年療養を経て、[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京帝国大学第一工学部]]船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。


戦後の1946年から[[大成建設]]株式会社に勤務を経て1953年より[[早稲田大学創造理工学部建築学科|早稲田大学第一理工学部及び第二理工学部建築学科]]専任講師に転任。
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1954年、早稲田大学第一、第二理工学部建築学科助教授を経て1962年に早稲田大学教授就任。1989年に定年退職<ref name=":1">{{Cite web|title=知られざる名建築の裏側 代々木体育館の空調を支える「バズーカ砲」とは|url=https://www.nomados.co.jp/yoyogi-gym|website=NoMaDoS 一級建築士事務所|accessdate=2019-11-19}}</ref>。

1960年、早稲田大学より[[工学博士]]。

1964年、オリンピック[[国立代々木競技場|代々木競技場]]<ref name=":1" />及び[[駒沢オリンピック公園|駒沢公園]]の企画設計並びに管理で日本建築学会賞特別賞。1992年、ドイツ技術者協会(VDI)建築設備部会ヘルマン・リーチェルメダル<ref name=":0" />。

2009年7月17日、[[肺炎]]のため死去<ref>{{Cite news |url=http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20090718000374 |title=井上宇市氏死去/早稲田大名誉教授 |newspaper=四国新聞 |date=2009-7-18 |accessdate=2019-11-20}}</ref>。91歳没。


建築設備技術遺産に井上手作りの「データブック」(手帳)と著書「建築設備ポケットブック」<ref>{{Cite web|title=建築設備ポケットブック|url=https://www.hmv.co.jp/product/detail/3493389|website=HMV&BOOKS online|accessdate=2019-11-19|language=ja|last=株式会社ローソンエンタテインメント}}</ref>、および「空気調和ハンドブック」 が認定されている[http://www.jabmee.or.jp/award/isan/files/16b_2.pdf]。
建築設備技術遺産に井上手作りの「データブック」(手帳)と著書「建築設備ポケットブック」<ref>{{Cite web|title=建築設備ポケットブック|url=https://www.hmv.co.jp/product/detail/3493389|website=HMV&BOOKS online|accessdate=2019-11-19|language=ja|last=株式会社ローソンエンタテインメント}}</ref>、および「空気調和ハンドブック」 が認定されている[http://www.jabmee.or.jp/award/isan/files/16b_2.pdf]。
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[[Category:結核に罹患した人物]]
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2023年6月16日 (金) 23:33時点における版

井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 2009年7月17日)は、日本の建築設備学者。日本建築学会名誉会員。早稲田大学名誉教授。

公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている[1]

経歴等

埼玉県秩父郡秩父町(現・秩父市)生まれ。旧制熊谷中学校を経て1940年、旧制新潟高等学校を卒業したが、肺結核で一年療養を経て、東京帝国大学第一工学部船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。

戦後の1946年から大成建設株式会社に勤務を経て1953年より早稲田大学第一理工学部及び第二理工学部建築学科専任講師に転任。

1954年、早稲田大学第一、第二理工学部建築学科助教授を経て1962年に早稲田大学教授就任。1989年に定年退職[2]

1960年、早稲田大学より工学博士

1964年、オリンピック代々木競技場[2]及び駒沢公園の企画設計並びに管理で、日本建築学会賞特別賞。1992年、ドイツ技術者協会(VDI)建築設備部会ヘルマン・リーチェルメダル[1]

2009年7月17日、肺炎のため死去[3]。91歳没。

建築設備技術遺産に井上手作りの「データブック」(手帳)と著書「建築設備ポケットブック」[4]、および「空気調和ハンドブック」 が認定されている[1]

脚注

  1. ^ a b 井上宇市設備研究所『井上宇市と建築設備 : 建築設備の技術向上と人材育成に捧げた生涯』丸善、2013年https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB12374213 
  2. ^ a b 知られざる名建築の裏側 代々木体育館の空調を支える「バズーカ砲」とは”. NoMaDoS 一級建築士事務所. 2019年11月19日閲覧。
  3. ^ “井上宇市氏死去/早稲田大名誉教授”. 四国新聞. (2009年7月18日). http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20090718000374 2019年11月20日閲覧。 
  4. ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “建築設備ポケットブック”. HMV&BOOKS online. 2019年11月19日閲覧。

参考

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