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列車運行休止までは、[[コンテナ]]ホームが1面と荷役線が1本、[[停車場#側線|側線]]があった。また駅の北側に向かって[[日立金属]]九州工場への[[専用鉄道|専用線]]が伸び、この専用線にも[[コンテナ車]]が入線していた。 |
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* [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]] - 苅田港事務所廃止、'''苅田港駅'''(かりたこうえき)開業。苅田港線の起点を[[行橋駅]]から[[小波瀬西工大前駅|小波瀬駅]]に変更。 |
* [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]] - 苅田港事務所廃止、'''苅田港駅'''(かりたこうえき)開業。苅田港線の起点を[[行橋駅]]から[[小波瀬西工大前駅|小波瀬駅]]に変更。 |
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* [[1959年]](昭和34年)[[10月1日]] - 「かんだこうえき」に呼称変更。 |
* [[1959年]](昭和34年)[[10月1日]] - 「かんだこうえき」に呼称変更。 |
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* [[1964年]](昭和39年)[[7月14日]] - [[信号扱所|中てこ扱い所]]新設。<!--参考文献の記述のまま記載--> |
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* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]によりJR貨物の駅となる。 |
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]によりJR貨物の駅となる。 |
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* [[1989年]](平成元年)[[7月9日]] - [[勾金駅]]発・当駅行きの日本セメント向け[[セメント]]輸送がこの日限りで終了<ref>[[宮脇俊三]] 編 『鉄道廃線跡を歩く 10』 [[ジェイティービー|JTB]]、2003年。</ref><ref>「railnews」『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン ]]』1989年10月号(通巻342号)、[[交友社]]、1989年。</ref>。 |
* [[1989年]](平成元年)[[7月9日]] - [[勾金駅]]発・当駅行きの日本セメント向け[[セメント]]輸送がこの日限りで終了<ref>[[宮脇俊三]] 編 『鉄道廃線跡を歩く 10』 [[ジェイティービー|JTB]]、2003年。</ref><ref>「railnews」『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン ]]』1989年10月号(通巻342号)、[[交友社]]、1989年。</ref>。 |
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== 脚注 == |
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*「門鉄駅物語」安藤喜代司、交通月報社、1983年10月31日 |
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== 関連項目 == |
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2013年4月15日 (月) 11:05時点における版
苅田港駅 | |
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かんだこう Kanda-kō | |
◄小波瀬西工大前 (4.6 km) | |
所在地 | 福岡県京都郡苅田町殿川1丁目1番 |
所属事業者 | 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 | 日豊本線(貨物支線) |
キロ程 | 4.6 km(小波瀬西工大前起点) |
電報略号 | カリコ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1944年(昭和19年)9月1日 |
備考 | 貨物専用駅 |
定期貨物列車の発着はなく、休止状態 |
苅田港駅(かんだこうえき)は、福岡県京都郡苅田町殿川1丁目1番に所在する日本貨物鉄道日豊本線貨物支線(通称・苅田港線)の駅である。2005年1月末より貨物列車の運行がなくなっている。
駅概要
列車運行休止までは、コンテナホームが1面と荷役線が1本、側線があった。また駅の北側に向かって日立金属九州工場への専用線が伸び、この専用線にもコンテナ車が入線していた。
1980年代までは、ホーム北側に南北2.5kmほどのヤード、20本ほどの営業仕分け線を持つ小規模な操車場があり、ここから九州電力苅田発電所や麻生ラファージュセメント苅田工場、宇部興産苅田セメント工場、太平洋セメント(旧・日本セメント)苅田サービスステーション(既に閉鎖)など5社の専用線や、苅田港の石炭埠頭へ向かう桟橋線2本(内1本が国鉄、もう1本は福岡県営)や公共臨港線4本(すべて福岡県営)が分岐していた。
歴史
- 1944年(昭和19年)9月1日 - 苅田港駅(かりたこうえき)として開業。
- 1945年(昭和20年)5月10日 - 苅田港駅廃止、苅田港事務所(かりたこうじむしょ)開業。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 苅田港事務所廃止、苅田港駅(かりたこうえき)開業。苅田港線の起点を行橋駅から小波瀬駅に変更。
- 1959年(昭和34年)10月1日 - 「かんだこうえき」に呼称変更。
- 1964年(昭和39年)7月14日 - 中てこ扱い所新設。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR貨物の駅となる。
- 1989年(平成元年)7月9日 - 勾金駅発・当駅行きの日本セメント向けセメント輸送がこの日限りで終了[1][2]。
- 1990年(平成2年)10月1日 - 浜小倉駅の貨物業務を一部移管、コンテナの取扱を開始。
- 2005年(平成17年)1月末 - 貨物列車の運行が無くなる。
- 2012年(平成24年)3月31日 - 構内でのコンテナ取扱中止。
その他
- 苅田港線(小波瀬西工大前 - 苅田港間)は日本では珍しい存在である連査閉塞装置を使用していた。また、小波瀬西工大前駅で機回しができないため、小倉駅方面行きの列車は前照灯を備えた車掌車(国鉄ヨ8000形貨車ヨ38000)を連結、車掌車を先頭にして当駅を発車していた。
- 苅田港線は列車の運行がなくなっているが、運行終了後も九州運輸局に事業休止届けが出されず、踏切の一時停止義務が残っていた。踏切は生活道路のみならず、国道10号上にも存在することから渋滞の発生や追突事故の懸念(地元住民は列車がないことを知っているため一時停止をしないことがある)があり、沿線住民や地元企業等から苅田町を通じ、休止届出の要望が強く出されていた[3]。そのためJR貨物は2008年11月ようやく事業休止届けを提出[4]、2009年3月5日から21日にかけて踏切の撤去工事を行った。
- 列車の運行がなくなった後も、苅田港駅構内の一部信号機が赤信号のまま点灯していたが、2011年5月中旬に消灯した。
隣の駅
- 日本貨物鉄道
- 日豊本線(苅田港線)
- 小波瀬西工大前駅 - 苅田港駅
脚注
参考文献
- 「門鉄駅物語」安藤喜代司、交通月報社、1983年10月31日