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島式2面4線のホームを持つ、待避可能な地平駅。ホーム有効長は10両。改札口は西口・東口の2ヶ所で、ホームとは地下道で連絡している。西口駅舎は古い木造建築。[[便所]]は東口が改札内、西口が改札外にあり、いずれも男女別の水洗式。 |
島式2面4線のホームを持つ、待避可能な地平駅。ホーム有効長は10両。改札口は西口・東口の2ヶ所で、ホームとは地下道で連絡している。西口駅舎は古い木造建築。[[便所]]は東口が改札内、西口が改札外にあり、いずれも男女別の水洗式。 |
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{| border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows" |
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;のりば<!--ホーム上と駅構内の案内標識の記載を統合---> |
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|+ style="font-weight:bold; text-align:left"|のりば<!--ラインカラーは駅の吊り下げ時刻表のものを適用、行き先は乗り場の案内標識の記載に合わせた---> |
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==特徴== |
==特徴== |
2007年8月30日 (木) 16:39時点における版
名張駅(なばりえき)は、三重県名張市平尾にある近畿日本鉄道大阪線の駅。
駅構造
島式2面4線のホームを持つ、待避可能な地平駅。ホーム有効長は10両。改札口は西口・東口の2ヶ所で、ホームとは地下道で連絡している。西口駅舎は古い木造建築。便所は東口が改札内、西口が改札外にあり、いずれも男女別の水洗式。
1 | ■大阪線(下り) | 青山町・伊勢中川・宇治山田・鳥羽・四日市・名古屋方面(待避線) |
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2 | ■大阪線(下り) | 青山町・伊勢中川・宇治山田・鳥羽・四日市・名古屋方面(本線) |
3 | ■大阪線(上り) | 大和八木・上本町・難波・天理・奈良・京都方面(本線) |
4 | ■大阪線(上り) | 大和八木・上本町・難波・天理・奈良・京都方面(待避線) |
特徴
運行上の特徴
- ノンストップ特急以外の全ての列車が停車する。
- この駅で特急が急行などを追い抜くことが多い。青山町以東発着の列車はこの合間に乗務員交替を行う。
- 当駅では列車の増解結を行っており、特に朝夕のラッシュ時の特急・快速急行・区間快速急行に多い。
- 深夜の特急で近鉄難波駅発当駅止まりの系統が存在する(平日3本、土休日2本)。
- 平日に2本のみ上本町発の当駅止まりの急行が存在する。
- 大阪方面からの準急の設定はこの駅までだが、一部列車は種別を普通に変えて、青山町駅まで延長運転する。
- 普通電車の系統はこの駅で分断されており、この駅を超えて運転される普通電車は存在しないが、一部列車は、種別変更(準急・急行・快速急行)を行い延長運転を行う。または、後続列車の増結車両として引き続き運転される。
- 大阪方面からの快速急行はこの駅以東、榊原温泉口駅まで各駅に停車する。
- 近鉄名古屋行き急行(当駅始発、伊勢中川停車)が朝1便に限りある。
- この駅では、唯一甲特急が停車中の(実際は車両の増解結を行っている間に)乙特急を追い抜く。(上り大阪方面 8時19分頃・下り伊勢志摩・名古屋方面 21時48分頃)
その他の特徴
- 特急券は西口(機械対応)、東口(窓口対応)、及び各ホーム(各方面直近の列車のみ)で購入が可能。
- 定期券は西口(機械対応)、東口(窓口対応)で購入が可能。なお、販売時間が異なっているので注意が必要である。
- 自動精算機設置駅
- ICカード入金機設置駅
- 自動精算機付近に設置されている(一部では千円紙幣のみ対応)。
- 名張駅営業所が西口改札付近にある。
- 中部国際空港が開港した2005年2月17日より同年11月30日まで、この駅の西口と同空港をダイレクトに結ぶ高速バスが、三重交通によって1日3往復運行されていた。
利用状況
- 主として通学・通勤用に利用される。
- 名張駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2005年11月8日の調査結果によると、1日の利用客は16669人。この数字は…
- 近鉄の全調査対象駅(323駅)中、45位。
- 大阪線の駅(48駅、他線接続駅含む)の中では、12位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅)の中では、4位。
- 2005年11月8日の調査結果によると、1日の利用客は16669人。この数字は…
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
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通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 927,150 | ←←←← | 431,737 | 1,358,887 | |||
1951年(昭和26年) | 1,150,830 | ←←←← | 444,593 | 1,595,423 | |||
1952年(昭和27年) | 1,117,980 | ←←←← | 465,313 | 1,583,293 | |||
1953年(昭和28年) | 1,029,600 | ←←←← | 473,876 | 1,503,476 | |||
1954年(昭和29年) | 1,031,520 | ←←←← | 513,696 | 1,545,216 | |||
1955年(昭和30年) | 1,065,450 | ←←←← | 515,836 | 1,581,286 | |||
1956年(昭和31年) | 1,121,040 | ←←←← | 526,885 | 1,647,925 | |||
1957年(昭和32年) | 1,183,620 | ←←←← | 562,059 | 1,745,679 | |||
1958年(昭和33年) | 1,224,780 | ←←←← | 552,868 | 1,777,648 | |||
1959年(昭和34年) | 1,270,140 | ←←←← | 552,143 | 1,822,283 | |||
1960年(昭和35年) | 1,430,940 | ←←←← | 585,152 | 2,016,092 | |||
1961年(昭和36年) | 1,482,840 | ←←←← | 602,031 | 2,084,871 | |||
1962年(昭和37年) | 1,567,170 | ←←←← | 639,391 | 2,206,561 | |||
1963年(昭和38年) | 1,601,040 | ←←←← | 636,894 | 2,237,934 | |||
1964年(昭和39年) | 1,600,660 | ←←←← | 701,991 | 2,302,651 | |||
1965年(昭和40年) | 1,925,100 | ←←←← | 705,844 | 2,630,944 | |||
1966年(昭和41年) | 1,899,250 | ←←←← | 679,504 | 2,578,754 | |||
1967年(昭和42年) | 1,847,910 | ←←←← | 695,106 | 2,543,016 | |||
1968年(昭和43年) | 1,741,260 | ←←←← | 702,296 | 2,443,556 | |||
1969年(昭和44年) | 1,738,230 | ←←←← | 699,078 | 2,437,308 | |||
1970年(昭和45年) | 1,591,200 | ←←←← | 707,701 | 2,298,901 | |||
1971年(昭和46年) | 1,511,820 | ←←←← | 706,311 | 2,218,131 | |||
1972年(昭和47年) | 1,475,880 | ←←←← | 751,009 | 2,226,889 | |||
1973年(昭和48年) | 1,407,840 | ←←←← | 810,443 | 2,218,283 | |||
1974年(昭和49年) | 1,432,620 | ←←←← | 813,344 | 2,245,964 | |||
1975年(昭和50年) | 1,445,730 | ←←←← | 793,650 | 2,239,380 | |||
1976年(昭和51年) | 1,419,630 | ←←←← | 792,118 | 2,211,748 | |||
1977年(昭和52年) | 1,416,600 | ←←←← | 820,087 | 2,236,687 | |||
1978年(昭和53年) | 1,469,130 | ←←←← | 826,517 | 2,295,647 | |||
1979年(昭和54年) | 1,576,260 | ←←←← | 841,080 | 2,417,340 | |||
1980年(昭和55年) | 1,696,080 | ←←←← | 872,254 | 2,568,334 | |||
1981年(昭和56年) | 1,826,100 | ←←←← | 882,930 | 2,709,030 | |||
1982年(昭和57年) | 1,874,670 | ←←←← | 904,333 | 2,779,003 | 11月16日 | 13,645 | |
1983年(昭和58年) | 1,974,570 | ←←←← | 909,817 | 2,884,387 | 11月8日 | 14,326 | |
1984年(昭和59年) | 1,945,440 | ←←←← | 875,318 | 2,820,758 | 11月6日 | 13,624 | |
1985年(昭和60年) | 1,961,160 | ←←←← | 862,121 | 2,823,281 | 11月12日 | 13,841 | |
1986年(昭和61年) | 2,004,990 | ←←←← | 872,013 | 2,877,003 | 11月11日 | 13,789 | |
1987年(昭和62年) | 2,092,200 | ←←←← | 874,663 | 2,966,863 | 11月10日 | 14,784 | |
1988年(昭和63年) | 2,259,330 | ←←←← | 895,193 | 3,154,523 | 11月8日 | 16,108 | |
1989年(平成元年) | 2,418,390 | ←←←← | 950,715 | 3,369,105 | 11月14日 | 17,667 | |
1990年(平成2年) | 2,632,560 | ←←←← | 1,009,816 | 3,642,376 | 11月6日 | 18,272 | |
1991年(平成3年) | 2,753,220 | ←←←← | 1,026,636 | 3,779,856 | |||
1992年(平成4年) | 2,799,960 | ←←←← | 1,036,280 | 3,836,240 | 11月10日 | 19,217 | |
1993年(平成5年) | 2,843,760 | ←←←← | 1,056,638 | 3,900,398 | |||
1994年(平成6年) | 2,890,860 | ←←←← | 1,049,902 | 3,940,762 | |||
1995年(平成7年) | 2,901,960 | ←←←← | 1,059,149 | 3,961,109 | 12月5日 | 18,967 | |
1996年(平成8年) | 2,801,190 | ←←←← | 1,070,471 | 3,871,661 | |||
1997年(平成9年) | 2,687,400 | ←←←← | 1,013,111 | 3,700,511 | |||
1998年(平成10年) | 2,658,420 | ←←←← | 983,363 | 3,641,787 | |||
1999年(平成11年) | 2,711,370 | ←←←← | 959,850 | 3,671,220 | |||
2000年(平成12年) | 2,692,470 | ←←←← | 939,585 | 3,632,055 | |||
2001年(平成13年) | 2,652,480 | ←←←← | 932,826 | 3,585,306 | |||
2002年(平成14年) | 2,541,630 | ←←←← | 903,536 | 3,445,166 | |||
2003年(平成15年) | 2,522,250 | ←←←← | 870,680 | 3,392,930 | |||
2004年(平成16年) | 2,472,060 | ←←←← | 838,645 | 3,310,705 | |||
2005年(平成17年) | 2,396,040 | ←←←← | 815,371 | 3,211,411 | 11月8日 | 16,669 | |
2006年(平成18年) | ←←←← | ||||||
2007年(平成19年) | ←←←← |
駅周辺
- ローソン名張駅前店
- am/pm近鉄名張駅店
- 名張高校
- 名張西高校
- 名張小学校
- 名張中学校
- 名張郵便局
- 名張市立図書館
- 名張消防署
- 名張市立病院
- 梅が丘
- つつじが丘
- 百合が丘
- 国道165号
- 三重県道57号上野名張線
- 三重県道・奈良県道81号名張曽爾線
路線バス
- 西口・1番のりば
- 西口・2番のりば
- 東口・1番のりば
- 25 28 つつじが丘線 北まわり つつじが丘
- 26 27 つつじが丘線 南まわり つつじが丘
- 27 つつじが丘線 名張市役所
- 7 百合が丘線 桔梗が丘駅前
- 東口・2番のりば
- 5 百合が丘線 東まわり・西まわり 百合が丘循環
- 7 百合が丘線 東まわり病院経由 百合が丘循環
- 28 つつじが丘線 市立病院
- 東口・3番のりば
- 25 26 つつじが丘線 名張産業会館
歴史
- 1930年(昭和5年)10月10日 参宮急行電鉄の榛原~伊賀神戸間開通時に開業。
- 1941年(昭和16年)3月15日 大阪電気軌道との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- なお、JR東海の名松線は名張と松阪を結ぶ計画からこの名称がついたが、参宮急行電鉄が先に開通したため名張まで延伸される事はなかった。
- また、この名張駅に先んじて1922年から名張の中心部、現在の西名張郵便局付近に伊賀鉄道→近鉄伊賀線の名張駅が設置されていた。こちらは参宮急行電鉄名張駅の開設時に西名張駅と改称し、1964年に西名張~伊賀神戸間を廃止したため、廃駅となった。
- 当初は参宮急行電鉄もこの伊賀線の名張駅を経由する予定であったが、新線建設を聞き付けた利権屋による周辺の土地の買い占めなどの問題が発生したため、市街地の南を迂回する路線となり、このルート上に現在の名張駅が建設されたと言われている。
- 2007年(平成19年)4月1日 PiTaPa使用開始。
隣の駅
関連項目