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「南海6100系電車」の版間の差分

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=== 仕様変更と変遷 ===
=== 仕様変更と変遷 ===
[[泉北高速鉄道線]]の部分開業が迫り、同鉄道との相互乗り入れに際して追加増備が必要だったことから、2次車として4両編成9本が製造された。2次車は1970年12月から1971年4月までの竣工で、1次車と同じ1970年度の発注となっているが、これは1971年度竣工予定分を1970年度に繰り上げ発注したためである<ref name="pic79p154" />。この2次車からは将来の橋本駅までの乗り入れを見越して[[抵抗器|主抵抗器]]が増設された<ref name="pic79p154" />。
[[泉北高速鉄道線]]の部分開業が迫り、同との相互乗り入れに際して追加増備が必要だったことから、2次車として4両編成9本が製造された。2次車は1970年12月から1971年4月までの竣工で、1次車と同じ1970年度の発注となっているが、これは1971年度竣工予定分を1970年度に繰り上げ発注したためである<ref name="pic79p154" />。この2次車からは将来の橋本駅までの乗り入れを見越して[[抵抗器|主抵抗器]]が増設された<ref name="pic79p154" />。


3次車は前述の通り冷房車として4両編成2本が登場したが、冷房車を[[急行列車|区間急行]]へ優先的に充当させるため、投入当初より6両編成に組成変更を行った。すなわち冷房準備車であった2次車の6123Fを他車に先行して冷房化、これを2両ずつに分割して6125Fの三日市町方と6127Fの難波方に連結した暫定6両編成を一時的に組んでいた<ref name="pic79p154" />。
3次車は前述の通り冷房車として4両編成2本が登場したが、冷房車を[[急行列車|区間急行]]へ優先的に充当させるため、投入当初より6両編成に組成変更を行った。すなわち冷房準備車であった2次車の6123Fを他車に先行して冷房化、これを2両ずつに分割して6125Fの三日市町方と6127Fの難波方に連結した暫定6両編成を一時的に組んでいた<ref name="pic79p154" />。

2024年11月22日 (金) 12:46時点における最新版

南海6100系電車
南海6100系 6117F(現・6312F)
(2007年8月8日 新今宮駅
基本情報
運用者 南海電気鉄道
製造所 東急車輛製造
製造年 1970年 - 1973年
製造数 76両
消滅 2009年(全車6300系に形式変更)
主要諸元
編成 2・4・6両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
(登場時 直流600 V)
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 110 km/h[1]
起動加速度 2.5 km/h/s(1974年-)[2]
(登場時 3.0 km/h/s)[1]
減速度 4.0 km/h/s[1][2]
全長 20,725 mm
全幅 2,744 mm
全高 4,160 mm
車体 ステンレス鋼
台車 軸箱梁式パイオニアIII台車
TS-709・TS-710
主電動機 直流直巻電動機
MB-3072-B
主電動機出力 145 kW(375 V)
(300 V時 115 kW)
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.31(85:16)
編成出力 580 kW(2両編成)
1,160 kW(4両編成)
1,740 kW(6両編成)
制御方式 超多段式バーニア抵抗制御
制御装置 日立製作所
VMC-LHTB-20A(1-4次車・登場時)[1]
VMC-HTB-20AN(1-4次車・昇圧後)[3]
VMC-HTB-20A(5次車)[3]
制動装置 発電ブレーキ併用
電磁直通ブレーキHSC-D
応荷重装置付)
保安装置 南海型ATS
テンプレートを表示

南海6100系電車(なんかい6100けいでんしゃ)は、南海電気鉄道高野線で運用されている一般車両(通勤形電車)の一系列。

本項では、当系列の台車換装車である6300系電車についても記載する。

以下では、難波方先頭車の車両番号 +F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。

概要

6000系に続いて高野線の難波駅 - 三日市町駅間に投入された、20m級4扉オールステンレス車体の一般車両である。1970年から76両が製造された。現在は運用範囲が拡大され、後述の6300系として難波駅 - 橋本駅間で運転されている。

車体は6000系を踏襲するが、先に南海線向けに登場した7100系をベースに、より通勤輸送に適した構造への見直しが図られている。側引戸は6000系の片開き式から1.3m幅の両開き式に、側窓は二段上昇式からフレームレス一段下降式に変更されている[注 1]。これにより戸袋窓が廃止されたため、窓配置は先頭車がd1D2D2D2D1、中間車が1D2D2D2D2(d:乗務員室扉、D:側引戸)となり、中間車は車端部の窓が1枚の方を難波寄りとする左右非対称の構成となった。

電装品は6000系複電圧対応車と共通である。台車も同じく軽量化されたパイオニア台車であるが、将来の冷房装置搭載による車重増に対応するため、改良形のTS-709形(付随台車はTS-710形)を装備する[5]。1970年度に新製された車両(1・2次車)は非冷房車(冷房準備車[注 2])であったが、1971年度の3次車以降は当初から東芝製RPU-1510形分散式冷房装置冷凍能力4500kcal/h)を各車8基搭載して登場した[4][注 3]

本形式をベースにした車両に大阪府都市開発100系がある。

製造と変遷

新製時の編成

  • 括弧内は竣工日[6]
6101 - 6851 - 6852 - 6102 (1970年5月25日)
6103 - 6853 - 6854 - 6104 (1970年6月3日)
6105 - 6855 - 6856 - 6106 (1970年6月10日)
6107 - 6857 - 6858 - 6108 (1970年12月26日)
6109 - 6859 - 6860 - 6110 (1971年1月23日)
6111 - 6861 - 6862 - 6112 (1971年1月23日)
6113 - 6863 - 6864 - 6114 (1971年2月13日)
6115 - 6865 - 6866 - 6116 (1971年2月13日)
6117 - 6867 - 6868 - 6118 (1971年3月3日)
6119 - 6869 - 6870 - 6120 (1971年3月3日)
6121 - 6871 - 6872 - 6122 (1971年4月2日)
6123 - 6873 - 6874 - 6124 (1971年4月7日)
6125 - 6875 - 6876 - 6126 (1971年6月3日)
6127 - 6877 - 6878 - 6128 (1971年6月12日)
6129 - 6879 - 6880 - 6130 (1972年5月25日)
6141 - 6881 - 6882 - 6142 (1973年11月7日)
6131 - 6951 (1972年5月25日)
6133 - 6952 (1972年6月1日)
6135 - 6953 (1972年6月1日)
6137 - 6954 (1972年6月1日)
6143 - 6955 (1973年12月4日)
6145 - 6956 (1973年12月4日)

1971年度車(3次車)まではモハ6101形(Mc、制御電動車)+ サハ6851形(T、付随車)+ サハ6851形(T)+ モハ6101形(Mc)の4両編成のみ製造されたが、6両運用の増加に伴い1972年度車(4次車)からはモハ6101形(Mc)+ クハ6951形(Tc、制御車)の2両編成も製造された。

仕様変更と変遷

泉北高速鉄道線の部分開業が迫り、同線との相互乗り入れに際して追加増備が必要だったことから、2次車として4両編成9本が製造された。2次車は1970年12月から1971年4月までの竣工で、1次車と同じ1970年度の発注となっているが、これは1971年度竣工予定分を1970年度に繰り上げ発注したためである[5]。この2次車からは将来の橋本駅までの乗り入れを見越して主抵抗器が増設された[5]

3次車は前述の通り冷房車として4両編成2本が登場したが、冷房車を区間急行へ優先的に充当させるため、投入当初より6両編成に組成変更を行った。すなわち冷房準備車であった2次車の6123Fを他車に先行して冷房化、これを2両ずつに分割して6125Fの三日市町方と6127Fの難波方に連結した暫定6両編成を一時的に組んでいた[5]

4次車は方向幕を前面のみ搭載して登場した[4]。このロットでは2両編成が多く製造され、それらは運用開始後、既存の冷房車4両編成(暫定編成を解除し復元された6123F含む)に併結され6両を組んだが、新装備である方向幕を効果的に使用するため、2両編成の両先頭車を6両の最前面に連結する暫定的な組み替えを行っていた[5]

最終増備の5次車は方向幕を側面にも設置したほか、ロールアウトが昇圧後の1973年11月となったため、電装品が1500Vのみ対応の単電圧仕様(制御回路は永久直列)となった[4]。Mc車の車号は4次車までの続番を使用せず、6139・6140を欠番として6141から振り直している。

1次車は1974年に主抵抗器を2次車以降と同様に増設、6123F以外の1・2次車は同年から1977年にかけて冷房化された[5]。また、1 - 4次車は1974年から1975年にかけて方向幕の設置工事(4次車は側面の追加と前面の装置取替)を行った[5]

1982年から翌1983年にかけて、複線化対策工事と長編成化対策工事が実施された[7]。三日市町駅以南への乗り入れ開始に備え、連続勾配区間での抑速ブレーキ連続使用に対応するため主抵抗器を強化したほか、増解結の柔軟化を図るため自動密着式連結器を密着式(電気連結器付き)に交換した。冷房化完了後、6141Fを除くすべての4両編成が編成を分割した上で6両編成に組み替えられていた[5]が、この工事の際に6125F・6127F・6129Fがもとの組成に戻った。6両編成の中間に引き続き組み込まれる他のモハ6101形は、今後も編成の先頭に立つことがないため連結器の交換は行われなかった[8]。工事後の編成表は以下の通りである。

6101 - 6851 - 6103 - 6853 - 6852 - 6102
6105 - 6855 - 6854 - 6104 - 6856 - 6106
6107 - 6857 - 6109 - 6859 - 6858 - 6108
6111 - 6861 - 6860 - 6110 - 6862 - 6112
6113 - 6863 - 6115 - 6865 - 6864 - 6114
6117 - 6867 - 6866 - 6116 - 6868 - 6118
6119 - 6869 - 6121 - 6871 - 6870 - 6120
6123 - 6873 - 6872 - 6122 - 6874 - 6124
6125 - 6875 - 6876 - 6126
6127 - 6877 - 6878 - 6128
6129 - 6879 - 6880 - 6130
6141 - 6881 - 6882 - 6142
6131 - 6951
6133 - 6952
6135 - 6953
6137 - 6954
6143 - 6955
6145 - 6956

1996年からは車体更新工事が開始された[9][10]。車体の修繕に合わせて、車内化粧板の取り替え、座席モケット・床材の張り替え、車椅子スペースの新設が行われた[注 4]。また、この際に編成中間に組み込まれていた先頭車[注 5]の運転台機器が一部撤去され、車掌台側についても立席スペースに改造された。

同じく1996年から、6300系への改造(台車置換え工事)が開始された[9](次節参照)。車体更新工事との関係では、車体更新と台車置換えを同時に行い6300系化された編成と、先に車体更新のみを実施し、改めて台車置換えを行って6300系化された編成の2パターンが存在した。6100系として最後に残った6107Fの6両は2009年6月10日から「さよなら6100系パイオニアIII台車」ヘッドマークを掲出して運行され[11][12]、7月5日の営業運転を最後に台車置換え工事のため千代田工場に入場、6100系の歴史に幕を閉じた。

6300系への改造

南海6300系電車
南海6300系 6323F
(元6129F 2023年10月29日
三国ヶ丘駅 - 百舌鳥八幡駅間)
基本情報
種車 6100系
改造年 1996年 - 2009年
改造数 76両
主要諸元
編成 2・4・6両編成
台車 S形ミンデン式ダイレクトマウント空気ばね台車
FS-379/379K/379S(電動台車)
FS-076K・FS-079/079K・FS-376K(付随台車)[13]
備考 6100系と共通する点は省略
テンプレートを表示

パイオニア台車は高速域における乗り心地が悪いだけでなく、S形ミンデン台車を装備する系列との併結が不可能である[9][注 6]ことから、運用の自由度を大きく阻害する要因となっていた。このため6100系のパイオニア台車をS形ミンデン台車に置き換え、同時に別形式としたのが6300系である[9]。1996年から2001年にかけて54両が、2006年から2009年にかけて22両が改造された。

台車置換えの際に車両形式を変更したのは、パイオニア台車装備車とS形ミンデン台車装備車の併結が不可能であるため、運用管理の際に両者を識別しやすくするのが合理的だったからである[14][注 7]

全車とも、前述の車体更新工事を受けている。2017年1月からは、座席モケットを8300系と同じものに変更された編成が登場した[15]

台車置換え工事

FS-379形電動台車(モハ6371)

台車置換えにあたっては、廃車された7100系1次車の台車(住友金属工業製FS-376形、付随台車は076形)と、同じく大阪府都市開発で廃車となった100系・3000系の台車(住友金属工業製FS-379形、付随台車は079形)を転用した[9][14]。このうち7100系由来のFS-376形・076形は、両抱き式踏面ブレーキを搭載する関係で全長が大きく、先頭車に使用すると密着式連結器に干渉するため、全て付随車に使用された(FS-376形は付随台車化)。またFS-379形・079形の中には不足分を補うため、新製完備されたもの(FS-379S形)や、発生部品を極力流用して台車枠のみ新製されたもの(FS-379K形・079K形)が含まれており、同じS形ミンデン式ながら装備する台車の形状・形式は個々の車両によって多様なものとなった[16][注 8]

台車置換えにより、同じくS形ミンデン台車を装備する6000系・6200系との併結が可能となった[9]。他方、台車置換え待ちの6100系との併結は不可能となった。

編成表

6300系の付番方式は1000系2000系などと同様である。なお、両抱き式ブレーキの付随車については特別に形式サハ64x5形を仕立てている[14][13]

6両編成

← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 モハ6301
(Mc1)
サハ6405
(T1)
モハ6341
(M1)
サハ6405
(T1)
サハ6455
(T2)
モハ6351
(Mc2)
台車置換え竣工日[13]
搭載機器 CONT,
CP, PT
MG CONT,
CP, PT
MG MG CONT,
CP, PT
車両番号
(旧車号)
6301
(6119)
6401
(6869)
6341
(6121)
6441
(6871)
6451
(6870)
6351
(6120)
2000年3月1日
6302
(6101)
6402
(6851)
6342
(6103)
6442
(6853)
6452
(6852)
6352
(6102)
2000年9月29日
形式 モハ6301
(Mc1)
サハ6401
(T1)
モハ6341
(M1)
サハ6401
(T1)
サハ6451
(T2)
モハ6351
(Mc2)
台車置換え竣工日[13]
搭載機器 CONT,
CP, PT
MG CONT,
CP, PT
MG MG CONT,
CP, PT
車両番号
(旧車号)
6313
(6113)
6413
(6863)
6353
(6115)
6453
(6865)
6463
(6864)
6363
(6114)
2007年10月31日
6314
(6107)
6414
(6857)
6354
(6109)
6454
(6859)
6464
(6858)
6364
(6108)
2009年9月25日
形式 モハ6301
(Mc1)
サハ6405
(T1)
サハ6455
(T2)
モハ6391
(M2)
サハ6455
(T2)
モハ6351
(Mc2)
台車置換え竣工日[13]
搭載機器 CONT,
CP, PT
MG MG CONT,
CP, PT
MG CONT,
CP, PT
車両番号
(旧車号)
6305
(6105)
6405
(6855)
6485
(6854)
6385
(6104)
6455
(6856)
6355
(6106)
1999年3月23日
6306
(6111)
6406
(6861)
6486
(6860)
6386
(6110)
6456
(6862)
6356
(6112)
2001年2月7日
形式 モハ6301
(Mc1)
サハ6401
(T1)
サハ6451
(T2)
モハ6391
(M2)
サハ6451
(T2)
モハ6351
(Mc2)
台車置換え竣工日[13]
搭載機器 CONT,
CP, PT
MG MG CONT,
CP, PT
MG CONT,
CP, PT
車両番号
(旧車号)
6311
(6123)
6411
(6873)
6491
(6872)
6391
(6122)
6461
(6874)
6361
(6124)
1997年6月26日
6312
(6117)
6412
(6867)
6492
(6866)
6392
(6116)
6462
(6868)
6362
(6118)
2008年10月10日

4両編成

← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 モハ6321
(Mc1)
サハ6421
(T1)
サハ6471
(T2)
モハ6371
(Mc2)
台車置換え竣工日[13]
搭載機器 CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT
車両番号
(旧車号)
6321
(6127)
6421
(6877)
6471
(6878)
6371
(6128)
1996年7月3日
6322
(6125)
6422
(6875)
6472
(6876)
6372
(6126)
1997年4月4日
6323
(6129)
6423
(6879)
6473
(6880)
6373
(6130)
1998年10月22日
形式 モハ6321
(Mc1)
サハ6425
(T1)
サハ6475
(T2)
モハ6371
(Mc2)
台車置換え竣工日[13]
搭載機器 CONT, CP, PT MG MG CONT, CP, PT
車両番号
(旧車号)
6325
(6141)
6425
(6881)
6475
(6882)
6375
(6142)
2000年3月31日

2両編成

← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 モハ6321
(Mc1)
クハ6701
(Tc)
台車置換え竣工日[13]
搭載機器 CONT,
CP, PT
MG
車両番号
(旧車号)
6331
(6137)
6731
(6954)
2000年3月27日
6332
(6145)
6732
(6956)
2000年8月30日
6333
(6143)
6733
(6955)
2000年11月16日
6334
(6135)
6734
(6953)
2001年3月29日
6335
(6131)
6735
(6951)
2006年12月21日
6336
(6133)
6736
(6952)
2007年1月26日
凡例
  • CONT:制御装置
  • MG:電動発電機
  • CP:空気圧縮機
  • PT:集電装置

運用

製造当初は高野線難波駅 - 三日市町駅間で使用されていたが、1971年4月1日のダイヤ改正で泉北高速線に、1984年3月11日のダイヤ改正で林間田園都市駅まで、1992年11月10日のダイヤ改正で橋本駅まで入線可能となったため、現在では難波駅 - 橋本駅間と泉北高速線で使用される。

1985年6月16日のダイヤ改正までは時折、汐見橋線(汐見橋駅 - 岸ノ里駅間)でも運用されていた[注 9]。また1984年ダイヤ改正から1985年ダイヤ改正まで、1992年ダイヤ改正から1995年9月1日ダイヤ改正までは三日市町駅で増解結作業を行う運用も存在していた[18]

前述の通り、6100系はパイオニア台車を装備していたため、S形ミンデン台車を使用する他の6000系列とは併結が不可能であった。特に6000系の更新工事完了後は、6100系と他の6000系列とで併結対応が大きく二分化されたため、運用時の制約が大きかった。1996年の台車置換え工事開始後は6300系が6000系・6200系と併結可能となったため、流用する台車や部品が調達されるごとに随時6300系化が進められ、運用上の障壁がなるべく低減されるよう図られた。2009年に全編成の6300系化が完了したことにより、6000系列内での併結の不自由は完全に解消されている。

かつては平日朝の泉北高速線と直通する区間急行・準急行の10両編成の列車にも使用されていたが、2005年10月16日のダイヤ改正で南海車を使用した10両運転が廃止されたため、以後は8両編成以下での運転となった。他方このダイヤ改正では、2000系による橋本駅以北の運用の一部を代替したため、運用数が増加した。また同ダイヤ改正では日中の乗客減を受け、昼間時の各駅停車の一部に4両編成の列車が十数年ぶりに復活し[19]、6300系による4両運転が開始された[注 10]

現在は4両、6両、8両の各列車に充当され、各駅停車から快速急行まで各種別の列車に幅広く運用されている。本形式の4両編成と6両編成には、難波方から4両目となる車両に女性専用車両ステッカーが貼られており、平日朝ラッシュ時の8両編成の上り急行・区間急行で運用される場合、この車両が女性専用車両となる。

脚注

注釈

  1. ^ オールステンレス車体に一段下降窓が採用できたのは、当時の製造技術の急速な進展が背景にあった[4]
  2. ^ 冷房装置を後から搭載することを前提にした設計で、集電装置(パンタグラフ)、電動発電機(MG)も最初から下枠交差式、冷房対応の大容量のものをそれぞれ装備していた。
  3. ^ この分散式冷房装置は屋上カバーが背高なタイプで、京王3000系初代5000系京阪2400系にも採用例が見られる。
  4. ^ なお、6137Fについては車体更新工事に先行して、1992年に内装のみ更新を行なっていた[10]
  5. ^ モハ6101形のうち、6両固定編成の難波方から3両目または4両目にくる車両を指す。
  6. ^ パイオニア台車と他の台車との相性の問題により、低速時の浮き上がり脱線の危険性があるため。1973年に小田急電鉄4000形の脱線事故が2回発生したことを重く見た南海では、パイオニア台車装備の車両とそうでない車両の連結を原則禁止にした。
  7. ^ 6000系が台車置換えを伴う更新工事を受けた際には、先頭車の車号を変更しなかったため、装備する台車の仕様を車号で識別するのが煩雑だったとされる。
  8. ^ 初期の工事では100系の台車のみを使用していたが、1999年から7100系の台車流用が開始された。FS-379K形とFS-379S形はこの時期に急速に量産されている。他方、FS-079K形は最終施工車である6314Fにのみ装着された。
  9. ^ 当時の汐見橋線は基本的に6000系で運用されていたが、昇圧直後の一時期に本形式5次車が入線していた記録がある[17]
  10. ^ 6000系2両と6300系2両を併結した4両編成で運転された実績もある[20]

出典

  1. ^ a b c d 南海電気鉄道株式会社総務部広報課(編)『’71 南海』1971年、35頁。
  2. ^ a b 南海電気鉄道株式会社(編)『’74 南海』1974年、34頁。
  3. ^ a b 「現有車両諸元表」『鉄道ピクトリアル』1985年12月臨時増刊号(通巻457号)、電気車研究会、1985年、212頁。
  4. ^ a b c d 「南海電鉄の昇圧に伴う車両の改造と動き」『鉄道ピクトリアル』1974年1月特大号(通巻288号)、電気車研究会、1974年、49頁。
  5. ^ a b c d e f g h 「私鉄車両めぐり〔114〕南海電気鉄道<鉄道線>」『鉄道ピクトリアル』1979年10月臨時増刊号(通巻367号)、電気車研究会、1979年、154-155頁。
  6. ^ 飯島巌、藤井信夫、井上広和『私鉄の車両23 南海電気鉄道』保育社、1986年、182頁。
  7. ^ 「私鉄車両めぐり〔153〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、234頁。
  8. ^ 「私鉄車両めぐり〔130〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1985年12月臨時増刊号(通巻457号)、電気車研究会、1985年、188頁。 
  9. ^ a b c d e f 「車両総説」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、50頁。
  10. ^ a b 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、136-137頁。
  11. ^ 南海6100系に「さよなら6100系パイオニアIII台車」ヘッドマーク”. 『鉄道ファン』鉄道ニュース(交友社) (2009年6月13日). 2023年10月7日閲覧。 アーカイブ 2020年7月14日 - ウェイバックマシン
  12. ^ 大手私鉄では最後まで残った「パイオニアⅢ」台車がついに引退』(PDF)(プレスリリース)南海電気鉄道、2009年6月22日。オリジナルの2020年11月7日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201107034024/http://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/090622_1.pdf2023年10月7日閲覧 
  13. ^ a b c d e f g h i 「南海電気鉄道 現有車両履歴表」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、289-290頁。本文献には各車両の装備する台車形式、及びその捻出元も記載されている。
  14. ^ a b c 「南海電気鉄道 現有車両プロフィール2008」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、251-252頁。
  15. ^ 柴田東吾『大手私鉄サイドビュー図鑑12 南海電鉄』イカロス出版、2023年、60頁。
  16. ^ 「南海電気鉄道 現有車両プロフィール2023」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、237-238頁。
  17. ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、60・100頁に写真掲載。
  18. ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』関西鉄道研究会、1996年12月、78-80頁。
  19. ^ 「NEWS 南海だより」『関西の鉄道』2006年新春号(通巻50号)、関西鉄道研究会、2006年、93頁。
  20. ^ 「南海電車全線歩き乗り記」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、220頁に写真掲載。なお、写真の説明が6100系と誤植されている。

関連項目

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