「大湫宿」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
読点の挿入 タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
地名由来 |
||
(3人の利用者による、間の3版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
[[Image:Kisokaido47_Okute.jpg|thumb|right|300px|[[歌川広重]]「木曽 |
[[Image:Kisokaido47_Okute.jpg|thumb|right|300px|[[歌川広重]]「[[木曽海道六十九次]]・大久手」]] |
||
'''大湫宿'''(おおくてじゅく |
'''大湫宿'''<ref name="17map">{{Cite web|date=|url=https://www.kankou-ena.jp/wp-content/uploads/2020/03/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E9%81%9317%E5%AE%BF%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97%EF%BC%88%E5%A4%A7%E6%B9%AB%E5%AE%BF%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E4%BA%95%E5%AE%BF%EF%BD%9E%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E5%AE%BF%EF%BC%89.pdf|title=中山道17宿マップ|work=恵那市観光協会|accessdate=2024-12-07}}</ref>(大久手宿<ref name="17map" />、おおくてじゅく)は、[[中山道]]の47番目の[[宿場]]。[[美濃国]][[土岐郡]][[大湫村]](現・[[岐阜県]][[瑞浪市]])に存在した。 |
||
「湫」は沼地や湿地帯の意味で、地名は峠に挟まれた水のたまりやすい場所に由来する<ref name="17map" />。 |
|||
[[慶長]]9年([[1604年]])に新設された宿場で、尾張藩領であった。皇女[[和宮親子内親王]]の宿泊地となった。 |
[[慶長]]9年([[1604年]])に新設された宿場で、尾張藩領であった。皇女[[和宮親子内親王]]の宿泊地となった。 |
||
26行目: | 28行目: | ||
*: 美濃瑞浪三十三霊場第四番、大湫観音堂の絵天井は瑞浪市指定有形文化財 |
*: 美濃瑞浪三十三霊場第四番、大湫観音堂の絵天井は瑞浪市指定有形文化財 |
||
* 高札場跡 |
* 高札場跡 |
||
* [[森川訓行家住宅]] |
|||
; 細久手宿までの史跡・みどころ |
; 細久手宿までの史跡・みどころ |
||
41行目: | 44行目: | ||
; 中山道 |
; 中山道 |
||
: [[大井宿]] - '''大湫宿''' - [[細久手宿]] |
: [[大井宿]] - '''大湫宿''' - [[細久手宿]] |
||
== 脚注 == |
|||
{{Reflist}} |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2024年12月7日 (土) 13:40時点における最新版
大湫宿[1](大久手宿[1]、おおくてじゅく)は、中山道の47番目の宿場。美濃国土岐郡大湫村(現・岐阜県瑞浪市)に存在した。
「湫」は沼地や湿地帯の意味で、地名は峠に挟まれた水のたまりやすい場所に由来する[1]。
慶長9年(1604年)に新設された宿場で、尾張藩領であった。皇女和宮親子内親王の宿泊地となった。
概略
[編集]最寄り駅
[編集]- JR中央本線 釜戸駅から瑞浪市コミュニティバス:釜戸=大湫線「大湫」バス停下車。
史跡・みどころ
[編集]- 皇女和宮歌碑
- 本陣跡(2005年(平成17年)に廃校となった大湫小学校の跡)
- おもだか屋
- 脇本陣保々家
- 神明神社の大杉
- 樹齢1300年
- 圓通閣
- 美濃瑞浪三十三霊場第四番、大湫観音堂の絵天井は瑞浪市指定有形文化財
- 高札場跡
- 森川訓行家住宅
- 細久手宿までの史跡・みどころ
- 二つ岩
- 琵琶峠
- 石畳が復元されている。
- 八瀬沢一里塚
- 弁天池
- 奥之田一里塚
参考文献
[編集]- 児玉幸多 『中山道を歩く』中公文庫、1988年 ISBN 4122015561
隣の宿
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]関連項目
[編集]座標: 北緯35度26分01.9秒 東経137度17分42.3秒 / 北緯35.433861度 東経137.295083度