杉崎弥八
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杉崎 弥八(すぎさき やはち)は、明治から昭和にかけて東葛地方で活躍した石工職人である。
人物
[編集]下総国野田に生まれた。生来の手先の器用さをもって身をたて、華麗な水墨を描き、ヴァイオリンをたしなみ、彫刻の技を極め、これを石工の業いに生かした。
香取神社の再建にあたって、弥八は狛犬の製作に選ばれ、見るからに雲を巻き風を呼ぶ、左右一対の獅子を彫り上げ、名工と讃えられ名声を博した。
明治から昭和にかけて東葛地方の各地に優れた名作を残した。
おもな作品
[編集]- 1874年 明治七年 浄観寺 手洗石
- 1882年 明治十五年 小山稲荷 八海山御獄山三笠山
- 1884年 明治十七年 櫻木神社浅間大神 [1]
- 1892年 明治二十五年 香取神社 猿田彦大神
- 1896年 明治二十九年 神明神社 猿田彦大神
- 1900年 明治三十三年 香取神社 狛犬 [2]
- 1902年 明治三十五年 福性寺 大師座像
- 1904年 明治三十七年 富蔵院 不動像
- 1905年 明治三十八年 満福寺 延命腹帯地蔵尊
- 1906年 明治三十九年 香取神社 粟島大神
- 1909年 明治四十二年 鶴奉稲荷 伊勢大々御神楽
- 1910年 明治四十三年 香取神社 天照皇大神
- 1914年 大正三年 釈尊堂 五重塔 [3]
- 1916年 大正五年 香取神社・江島神社
- 1921年 大正十年 小山稲荷 燈籠
- 1922年 大正十一年 香取神社 天照皇大神
- 1923年 大正十二年 管原神社 鳥居
- 1927年 昭和二年 清水公園燈籠 [4]
- 1933年 昭和八年 堤根管原神社 月読大神
逸話
[編集]上野戦争で彰義隊が立てこもった上野寛永寺は、官軍に大砲で猛砲撃されて壊滅した。彰義隊は敗走して江戸から命からがら街道30kmを全力疾走。1868年7月5日(慶応4年5月16日)未明頃に、彰義隊が下総国野田町の杉崎弥八を訪ねて来た。弥八は酒と名物醤油煎餅で歓待した。官軍が追撃してくると、弥八は機転を利かせ、彰義隊を穴蔵へかくまった。そして彰義隊は会津へと落ち延びていった。
関連人物
[編集]- 杉崎市郎兵衛 - 下総国野田で天明元年(1781年)に杉崎市郎兵衛は、高梨兵左衛門、茂木七左衛門、粕屋茂木七郎右衛門、亀屋飯田市郎兵衛、大塚弥五兵衛、竹本五郎兵衛らと醸造7家で野田醤油仲間を締結している。
- 山中直治(親交) - ヴァイオリン演奏などで交流があった。
- 武田航平(曾孫) - 母方は千葉県野田市の石工屋で武田は曾孫にあたる。