Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/95ヶ条の論題 20170211
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選考終了日時:2017年2月25日 (土) 00:07 (UTC)
- (自動推薦)2017年1月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot(会話) 2017年2月11日 (土) 00:07 (UTC)
- 反対 ノートですでに指摘したように、肝心の95個の条項について記述が欠落しており、条文の説明や付帯的説明も不足しています。また査読も行われておらず、構成の順番に問題があり、内容について偏りがあります。歴史上の意義が必要以上に軽視されているように読め、疑義ついて示唆するような部分が強すぎて、明確に書かれていません。基本的には条々への言及が少ないので、何だったのかという本質が曖昧で不十分です。また、Triglav氏によって選考中を理由にリバートされていますが、細部を把握してないからだと思いますが、間違った書誌情報に戻された部分もあり、存在しない書籍が書かれています。これらすべての部分について改訂予定で、まだ少ししか執筆できていませんが、今後大幅に加筆されることなりますのでご了承下さい。--Quark Logo(会話) 2017年2月15日 (水) 08:17 (UTC)
- 賛否以外になるので、Wikipedia:コメント依頼/柒月例祭とQuark Logoに書き込もうと思います。--Quark Logo(会話) 2017年2月22日 (水) 04:11 (UTC)
- コメント Quark Logoさんのおっしゃる通り、そもそもの95個の条文についての説明がないのが問題だと思います。すべての条文を説明する必要は必ずしもないですが、うまくまとめて、どういうことが言われていたかの解説が必要でしょう。Quark Logoさんの言うほかの点では、内容の偏りや構成の順番という点では、現状に問題があるかどうかは私の知識では判断できなかったので、加筆訂正を見てみたいと思います。査読も行われておらず、という点については、良質な記事の選考の条件に査読はないので、理由に挙げる必要はないかと思います。--Tam0031(会話) 2017年2月18日 (土) 09:11 (UTC)
- 返信 書誌情報の誤りについては、ご指摘の部分を訂正しました。自分では「誤り」はほかに見つけられなかったのですが、もし他にも有るようでしたら具体的にご指摘くださると助かります。こうした細かい点までチェックしていただくのはありがたいと思います。
- 「内容」についてなのですが、うーん。おっしゃることはわかるのですが、数多くの文献をみても、「中身」を具体的に説明したり、そこに何かを見出そうとするものってほとんどないんですよ。多くの文献は、内容どうこうよりも騒ぎが起きたってことが重要であった、ということを書いていて、少し詳しい文献の場合には、ぶっちゃけ中身は大したことが書かれていないし、のちにルターが著した重要な文献で否定されるようなことが色々書いてある、といい、そして肝心なことに、誰もこの文書の中身なんか気にせず取り合わなかった、ってところなんです。私とて地上の文書や論文をすべて読んだわけではないのですが、私が読んだ範囲では、この主題において「95個の個々の内容が重要だ」とするようなものは無かったように思います。ましてや95か条を逐一説明したり、「前半ではこういうことが書かれている」「何条から何条まではこんなことが書かれている」というように内容を解説したものはありませんでした。この主題において重要なのは、ルターの意図・文書の内容とは関係のないところで大騒ぎになって、その結果として、ルターが(本来そんなことをしないつもりだった)教会権威との対決を迫られてしまったところにあります。そういうことは、数多くの文献が口を揃えて書いているのです。
- 例を挙げると、私が参照した文献のなかでは『マルティン・ルターの生涯』が、「論題」について最もボリュームを多く書いた文献です。約480ページの全体のうち、17ページが「論題」について書いた節です。しかしこの中でも「論題の具体的な中身」についてはほとんど書かれていません。引用します。
- 「提題全体は教理でも、体系でもなく、また、そのようなものではありえなかった。それは、討論の基礎となるという目的のために立てられた一連の文章にすぎなかった。多くの提題はほとんど独り言であり、ルター自身の内的な、個人的な確信を取り上げている。また、ほかのあるものは、政治的な闘争の標語のような響きと熱をもっているし、ほかのあるものはまだ具体的な形をとっていない教会のための説教でもある。この一枚の紙の中に多くのものを読み込むことができるし、また、これから多くのものを読みとることもできよう。このことはすぐに行われもしたし、また、ずっとのちになっても行われたのであった。この文書は、ルターが自らの信仰を告白している始めと終りの部分の鉄の括弧でのみ一つとされているわけである。」(『マルティン・ルターの生涯』p165「九十五ヶ条提題」)
- 彼が言うには、95か条は断片的な言葉であり、むりに読もうと思えばいくらでも好きなように解釈できるものだった、だからこそ、社会の様々な階層の人に影響を与えたのだ、といっています。
- 私が参照した文献の数は「少ない」とまでは言えない数があると思っているのですが、これらの文献を通じて、この主題では「条項の具体的な中身を個々に知ること」は百科事典レベルでは不必要だろうと考えます。それほど長くない各条項をいちいち掲載することはよそで(ウィキソースとか)でやるべきことでしょう。
- 少なくとも私が読んだ範囲では、「うまくまとめてどういうことが言われていたか」にあたるようなものはあまりなかったように思います。私が当たったすべての文献で、この『論題』の全体を詳しく説明しようとしているものはありませんでした。本記事で示したように、そもそも本文書は掲示されたかどうかさえ怪しい文書であり、一般大衆に公開して教えを訓じる目的で書かれた文書ではありません。だからあちこち支離滅裂だったりするのです。言ってみれば社内的な「会議のお知らせ」であり、その会議の予定の内容を箇条書きしていたけれど、実際にはその「論題」に則った議論など行われなかったのです。その後、ルターの意図に反して公開されたとはいえ、殆どの人は字なんて読めなかったわけです。唯一噛みついてきた相手方も明後日の方角から攻撃してきたのでした。中身なんて重要ではなかったのです。
- 確かに私も中学生ぐらいのときに、ルターは95か条の論題を張り出して、お金で許しが買えることを批判したのだ、と習ったように思いますが、それは誤りです。記事の中でも示したように、この文書ではルターは「お金で許しが買えること」を否定していません。むしろ認めています。批判しているのは、「買える許しの範囲」について、ちょっと逸脱があるんじゃねーの、ということでした。しかしそれに対し、相手方が「ルターが教皇を否定しました!異端です!」と大騒ぎしたことで問題がでかくなったということです。だから、専門的な文献では、『95か条の掲示』の中身に歴史的重要性を見出そうとするのは一種のミスリードであり、中身そのものはそれほど重要ではないとする傾向にあったように思います。
- 宗教改革そのものはルター一人がなしたものではなく、多くの人物がかかわって、同時多発・同時並行的に物事が進み、それらは教義教理というよりは、統治・軍事・経済・外交などの都合で多くの諸侯の政治的な取引の結果として形成されていったもので、「95か条の掲示」に宗教改革の設計図があったかのような考え方は明らかに誤りだと指摘されています。多くの人物が様々な論を著し、ルターもいろいろ書いていますが、前に書いたものを自分で否定する内容を次に書く、というようなことが繰り返されています。「キリスト教者は自由だ」と書いたら「そうだそうだ」と言って農民一揆が起き、あわてて「農民は皆殺しにしろ」と書き、それで本当に皆殺しが行われると「あれは間違いだった」書く。反乱が起きると「地上の権威に背くのも神に対する反逆だ」と批判し、それで自分が地上の権威に批判されると「反乱オッケー」という。95か条も、その内容はルター自身があとで言を翻しているものも少なくないのであり、とくに「贖宥状の肯定」なんかはその最たるものでしょう。
- こうしたことを踏まえて、むりに「内容」について書こうと思っても、内容そのものの解説を加筆するというよりは、「いかにこの文書の内容が大して重要でないか」を解説するような方向にすることになろうかと思います。いろいろな文献をみても詳しい解説がない、というものをバランスよく、詳しく書こうとするのは難しいことで、へたすると世の中の信頼できる情報源における適正なバランスから逸脱し、この文書の中身が重要であったかのような中立的でない内容になってしまいそうな気がします。もちろん、たまたま私が参照した数十冊の文献だけが著しくバランスを欠いた書物で、歴史学者や宗教史家の総合的な評価が実は「内容が重要」であったというなら、それ相応の出典を示してそういった加筆をしていただくのはありがたいことだと思います。--柒月例祭(会話) 2017年2月20日 (月) 13:54 (UTC)
- というわけで、「内容について」を加筆してみました。これでは、お二方が期待されるような趣旨のものではない、ことは私にもわかっているのですが。今回の加筆で引用した、「どの条項からも証明できないのだが、・・・感じ」という感覚が、この文書の意義なんだろうと思いますが、それはまさに各条項をダラダラ解説することではないだろうと思うんですよね。うーん。ただ、私は『ルターの95か条の詳細』みたいな、これに集中特化したような文献は使っていないので、そういう文献にあたれば、内容について詳述したものもだるのだろうとは思います。また、お二方からは特にご指摘がないのですが、現代のいわゆるクリスチャンの方にとっての、本文書の信仰上の位置づけとか意義とか意味とか問題とかについても、私はあまり関心がない。私としては本主題について、歴史的な位置づけまでしか関心がないものですから、そのへんは守備範囲外、ということになってしまいます。--柒月例祭(会話) 2017年2月20日 (月) 14:22 (UTC)
- 賛成 㭍月例祭さんの説明と加筆事項を見て、最低限必要だと考えていた説明は充足したものと思いますので、とりあえず賛成とします。この論題が宗教改革の発端であるという考え方は、歴史学ではあまり取っていないということのようなので、そうであれば当時本当はどうだったのか、という点を中心に据えて書くのは必然かと思います。したがって、この内容であまり大きな問題はないのではないかと考えます。--Tam0031(会話) 2017年2月21日 (火) 14:39 (UTC)
- コメント - 現在版の内容にも問題は実があるのですが、それは改訂版を書いて示さないとわからないと思いますので、改訂版ができてから論じたいと思います。さらなる改善になりますから、投票は問題ないと思いますが。-Quark Logo(会話) 2017年2月22日 (水) 04:25 (UTC)
- 賛成 宗教改革の発端となった95ヶ条の論題について、経緯・意味・背景などについて説明が充実しており良い記事になっていると思います。プロテスタントである私の考えでは、条文の説明あるなしの問題よりも、その95ヶ条の論題の歴史的な意味とキリスト教史における意義が説明された記事となるべきものと思います。したがって宗教改革において重要の論題が出典に基づいてここまで詳細に説明され、内容は非常に充実しており、賛成です。--湖紫陽(会話) 2017年2月21日 (火) 17:28 (UTC)
- コメント 記事内容について議論がされている途中で、大きく加筆されたいというご意見がある方がいらっしゃるようですので、選考期間を4週間延長することを提案したいのですが差し支えないでしょうか。--JillyHean1979(会話) 2017年2月24日 (金) 14:04 (UTC)
- 理由は異なりますが、私も期間の延長を申し出たいと考えておりました。現時点では反対票1、賛成票2ですが、反対票を投じておられる方は、具体的な問題点を示さず、根拠も示さず、ただ「問題が実はある」と言っているだけです。これでは対応のしようもありませんし、「記事に問題点がある場合は、その箇所や改善策を具体的に指摘してください。」という規定に抵触しています。仮にこの反対票が無効である場合には、賛成2票で2週間の自動延長になる状況です。もちろん、問題点の指摘・改善策が具体的かつ適切な根拠を示されるのであれば「無効」ではないわけで、そうした事が行われるのであれば歓迎します。ひとまず所定の期限が迫っていますので、少なくとも「問題点を具体的に示すので1週間待ってくれ」などの意思表示だけでも期待したところです。--柒月例祭(会話) 2017年2月24日 (金) 14:18 (UTC)
- コメント 現在コメント依頼にて議論が行われている記事となっていると思います。良質な記事の選考についてはどなたでもご意見を述べることはできると思います。しかし、コメント依頼の当事者によるコメントでは、(偏向した見解が含まれる可能性があるため)本来の良質な記事の選考が行われているとは判断しにくいものがあると思います。更なる第3者により記事の選考に基づき判断するほうが適切であると考えます。そのためJillyHean1979さんの提案理由とは異なりますが、選考期間の延長は賛成します。--湖紫陽(会話) 2017年2月24日 (金) 14:49 (UTC)
- 賛成 賛成します。Quark Logoさんの反対理由は具体的な指摘ではなく抽象的な事柄です。改善要求が具体的にされていなければ対処できませんしそのような反対は価値を減じます。さて記事を見るに発端から拡大、影響までよい構成でかかれています。文献は日本人のものが多いですがいづれも力がある一線の研究者のもの、質の点でも問題ないでしょうし、日本語話者には検証作業が容易です。良い記事ですね。--ぱたごん(会話) 2017年2月24日 (金) 17:05 (UTC)
賛成3票/反対1票のため、選考通過となりました。--Yapparina(会話) 2017年2月25日 (土) 00:26 (UTC)