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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/鷗外・ナウマン論争 20230912

選考終了日時:2023年9月26日 (火) 02:13 (UTC)2023年10月10日 (火) 02:13 (UTC)

コメント幾つか気付いた点を。導入部分が本文の適切な要約になっていないように思います。「その内容に対し同席していた鷗外がその場で反論し」とありますが、反論は講演後の晩餐会において、でした。この導入文は、講演そのものを中断して反論した、という誤解を招くように思います(滅茶苦茶失礼かつ異例)。あと、論点が本文中に詳述されているので、概要節に簡単なまとめや、なぜ、この論争が後世の記憶に残ったかについての記述があった方が良いと思います。
地質学者のナウマンの講演、論文に対して、軍医の鴎外が反論した、口頭反論は衆目のある晩餐会で行われ、その後の鴎外からの誌上反論は、ナウマンの自筆論文では無く、記者による抄録に対する反論で始まった、など、学術的というよりも多分に場外乱闘的な論争と理解しました。--Anesth Earth会話2023年9月16日 (土) 01:59 (UTC)[返信]
コメント 興味深いテーマだと思います。以前似たような主題の記事(我国将来の建築様式を如何にすべきや)を立項したこともあり、面白く拝読いたしました。日本人を代表してナウマンに反駁する立場だった鷗外が「日本に美的感覚が無いのは、古代ギリシャのような高度な美観を有する民族と接したことがないからだ」といった(今の感覚だとあまりにも卑屈な)意見を述べているところなどに、明治初期日本の不安定な立ち位置と、鷗外の日本に対するアンビバレンスな思いを感じさせられますね。
原典を読んでいないためあまり明確なことは言えないのですが、論争の要約があまり適切でないような気がします。たとえば「鷗外の反論」節に「ナウマンは、日本人はヨーロッパの優越を認めていなかったので知性が無いと言っているが、」という記述がありますが、記事中に含まれるナウマンの論文の要約に対応する箇所が見られないように存じます。
また、この論争の歴史的意義についての記述がほとんど存在しないことが気になりました。たとえば、「評論」節にある「論争当時の鷗外と後年の鷗外の主張に変化がみられるとして、この変化の原因の1つがナウマンとの論争にあったと推測している」という記述はおそらくかなり重要なのではないかと存じますし、この辺の事情についてはもう少し紙面を割いてもよいのではないかと考えています。--Nux-vomica 1007会話2023年9月17日 (日) 06:44 (UTC)[返信]
賛成 少し前にXで話題となっており、気になって読んだのですが、読み物として面白く、分かりやすく記述されており、自分は現状でも良質な記事の目安は満たすと考えましたので賛成票とします。--Gurenge会話2023年9月22日 (金) 09:36 (UTC)[返信]

賛成票のみ3票以上の状態が48時間継続したため、早期終了・通過となります。--Alicia jawiki会話2023年10月8日 (日) 04:20 (UTC)[返信]