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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/鎌倉文化 20110611

選考終了日時:2011年6月25日 (土) 02:06 (UTC)

  • (自動推薦)2011年5月度の月間新記事賞受賞記事。--totti 2011年6月11日 (土) 02:06 (UTC)[返信]
  • 賛成 コンテストの方では記事バランスなどに関する意見なども出されていますが(というか、私も出していますが)、現状でもGAの水準はクリアできているものと判断し、賛成票を投じます。--Sumaru 2011年6月11日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
  • 反対 少なくとも1点の明確な誤りが含まれていると考えます。それ以外にも、通説に照らして内容に疑問が提示されている(Wikipedia:執筆コンテスト/第七回執筆コンテスト/コメント#鎌倉文化)状況であって、正確性に疑問がある状態で品質に対する評価を与えるべきではないと考えます。
    • 1点目。鎌倉文化#修験道と伊勢・熊野参詣の節、特に第1段落の内容は明確な誤りと考えます。研究者にもより多少前後しますが、本山派の形成は中世末期(室町時代後期)前後、当山派の形成時期は不明確とするのが通説であり、いずれにせよ教派修験の確立を鎌倉時代に求めることは時期として早すぎます。また、第2段落で御師-先達-檀那のネットワークが出来たとの記述がありますが、本山派の組織はそうしたネットワークとは全く異なる形態であるため、節全体が文章として矛盾しています。「前代からの天台宗単立の金峯山寺(金峯山修験本宗)」とありますが、金峯山寺公式サイトでも明言されている通り、金峯山修験本宗は第2次大戦後の修験教派各派の復興に際して成立したものであり、鎌倉時代の「前代(=平安時代?)」に存在していたかのような記述は読者をミスリードするものと考えます。直近の参考文献として挙げられている「『Story日本の歴史』(2001)pp.120-121」も確認しましたが、第1段落にあるような修験教団に関する記述は見受けられず、いかなる根拠に基づくものなのか疑問です。
    • 2点目。当該の節の参考文献の選択の仕方に賛成できません。参考文献として明示的に挙げられている2冊の文献はいずれも、初学者向けの歴史読み物というべき水準の書籍と見受けられます。例えて言うなら「入門書の参考文献が入門書」という体裁であって、鎌倉文化全体について知るべき基本的な水準を提供するという、記事全体の目指すところから考えると安易な選択ではないでしょうか。修験道史についてであれば、和歌森太郎、宮家準、鈴木昭英、村山修一、本山派形成史に限って言えば新城恵美子など、権威ある文献は容易に見つかります。
    • 広範な主題に対して概説を提供すると言うこの記事の目指すところからすれば、個別の論点について精密な議論をするのが難しいのはやむを得ませんが、通説から外れることは避けるべきでしょう。コンテストの席上で出ている建築様式や勅撰集に関する記述も含め、見直すべき点が多い状態と見受けられます。--ikedat76 2011年6月11日 (土) 22:36 (UTC)一部コメントを除去。--ikedat76 2011年6月12日 (日) 00:17 (UTC) * の行間を詰めさせていただきました --Calvero 2011年6月18日 (土) 05:22 (UTC)[返信]

選考期間終了時点で賛成1票、反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031 2011年6月25日 (土) 04:45 (UTC)[返信]