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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/谷崎潤一郎訳源氏物語 20120211

選考終了日時:2012年2月24日 (金) 18:14 (UTC)

  • (自動推薦)2012年1月度の月間新記事賞受賞記事。--totti 2012年2月10日 (金) 18:14 (UTC)[返信]
  • コメント これだけの参考文献を用意して記述されているのは大変素晴らしいと思いますが、もう少し脚注として各文章に対応させた方が検証しやすいのでは?と感じました。--Crown user 2012年2月11日 (土) 10:29 (UTC)[返信]
  • 賛成 見事な記事だと思います。ただ、百科事典の項目としては特化し過ぎているので、「源氏物語の現代語訳」などの上位カテゴリーをつくられ、与謝野から円地に至る代表訳と比較すると、谷崎訳の特徴も、なお一層明確になるのではと愚考致します。Tizizano 2012年2月16日 (木) 08:29 (UTC)[返信]
  • コメント この記事の出典(脚注)の付けられ方について。編集履歴を見ると記事が出来てしばらく後になってからこの記事の初版を書いたのとは別の方が「ウィキペディアとして、詳細すぎる出典」を整理するという趣旨の脚注の大幅な簡略化をされたようです。その編集の中には「全く同じ出典が複数個所に脚注として付けられているものを名前を付けて一つにまとめる」という編集だけではなく「近い場所に同じ出典から複数付けられている脚注は一ヶ所だけにまとめてしまう」とか、「一つの文献の異なるページを使っている出典を「○ページから○ページまで」といった形で一つにまとめてしまう」とかいった編集も含まれています。脚注の整理をされた方がこの記事のノートに書かれた「「われよりほかに」はpp20-21は特殊に見えたのでこれで1点。後は主観だがpp36-61,73-76で各々1点とした。それ以外は「まあ良さそう」にまとめた。」といった発言を見ると、出典とされた文献の内容をご自分で確認した上での編集ではなさそうで、この同じ方のノート:細流抄での発言を見ると、この方は他の記事でも「出典とされた文献を自分では確認しない」で「自分なりに読みやすくするため」の編集をなされているようです。「記事を読むだけ」という方やこの方のような「出典を自分では確認をしない」編集をされる人にとってはこの方が言うような「ウィキペディアとして、詳細すぎる出典」というのは確かにばっさりと整理してしまった方がいい煩雑なだけの存在であるのかもしれません。しかし検証可能性という点から良質な記事(さらには秀逸な記事)はどうあるべきかということを考えると、もともとピンポイントで特定のページが示されていた出典を2.3ページをまとめるだけならともかく「36-61」などと30ページ近くを一つにまとめられてしまうと出典とされた文献を確認して記述の検証をすることが不可能とまでは言えなくても無駄に余計な手間がかかるような気がします。たとえ煩雑であっても一つ一つの記述に出来るだけ詳細な脚注がきちんと付けている元の形のほうが完全では無いにしてもまだ望ましいように思うのですがどうでしょうか。--58.1.66.234 2012年2月17日 (金) 03:42 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031 2012年2月25日 (土) 07:03 (UTC)[返信]