Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/薩摩藩の天保改革 20210411
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選考終了日時:2021年4月25日 (日) 07:41 (UTC)
- (自動推薦)2021年3月の月間新記事賞受賞記事。--桜国の竜(会話) 2021年4月11日 (日) 07:41 (UTC)
- 賛成 薩摩藩が明治維新の立役者になるための礎をよくまとめた記事と思います。--Wushi(会話) 2021年4月13日 (火) 11:50 (UTC)
- コメント 薩摩藩の行った改革について出典付きで詳述された良い記事ですが、大部分は調所広郷についての記述であり、「改革の責任者となるまでの調所」節はじめ調所本人に関する部分は(記事品質の低い)調所広郷に記載したほうが良いのではないかと思いました。--Iso10970(会話) 2021年4月13日 (火) 12:11 (UTC)
- Iso10970さん、コメントどうもありがとうございます。確かに薩摩藩の天保改革は調所の占めるウエイトが極めて大きく、ご指摘の点は悩むところです。調所は島津重豪、島津斉興の信任を背景として、奥(藩主側近)と表(家老職)を兼ねることによって強い権力を握り、思い切った改革に取り組みました。政治家のタイプとしては徳川家重、徳川家治の信任を受け、やはり奥と表の要職を兼ね、強い権力を握って当時としては思い切った政策を行った田沼意次に似ていると思います。調所は重豪と斉興の信任を背景に強い権力を握り、特徴ある改革政治を行ったことから、政治的事績を説明する記事である薩摩藩の天保改革でも信任を得た背景についてある程度説明する必要があると考え、関連する部分の経歴について紹介する形を取ってみました。そのため当記事内の調所に関する説明では、例えば薩摩藩の長崎商法の記事内で説明している内容についてかなり省略しています。薩摩藩の天保改革内の調所に関する記述は、あくまで当記事用にまとめたものなので、そのまま調所広郷の記事に転記するのは私としては賛成できません。現状の調所広郷の記事が改善すべき点が多いのは確かですので、今現在、執筆作業を始めている記事がありますが、その記事に目途が立った時点で、改めて調所広郷の加筆に取り組みたいと考えていますがいかがでしょうか?--のりまき(会話) 2021年4月14日 (水) 11:31 (UTC)
- 賛成 調所広郷を中心に行われた薩摩藩の改革の記事の内容としてよくまとまっていると思います。Iso10970さんのご指摘の「改革の責任者となるまでの調所」は改革に至るまでの話としては必要な部分かと思いますのでこちらで記載する必要はあるのかなと思います(調所広郷の記事にこの部分をそのまま転記しても問題なさそうなぐらいの内容だと思います)。今後調所広郷の記事についても加筆頂けるとのことで、期待しております。--Sakoppi (会話・投稿記録) 2021年4月16日 (金) 02:13 (UTC)
- 賛成 調所広郷の記事も加筆の必要はあるかと思いますが、薩摩藩の改革については独立した記事を作ってよい主題だと考えるので、現状の記事の内容で十分良質な記事の水準にあると考えます。--Tam0031(会話) 2021年4月19日 (月) 15:25 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2021年4月21日 (水) 15:49 (UTC)