Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/葛飾北斎 20230917
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選考終了日時:2023年10月1日 (日) 04:17 (UTC)
- (推薦)日本を代表する画家について、ある程度の情報を整理し、内容が充足したと思いますので推薦いたします。--Gurenge(会話) 2023年9月17日 (日) 04:17 (UTC)
- 賛成 :依頼者票。--Gurenge(会話) 2023年9月17日 (日) 04:17 (UTC)
- コメント 内容は充実しているのですが、いくつか問題点があるように思います。
冒頭文、「庶民教育にも益するところ大」「銅版画やガラス絵、アラビアガムを用いた水彩画や油絵などを研究」について本文に記載がなく無出典です。春朗時代節、「近年の研究」の表現はWP:DATEDです。- 名前と画号節、本名について諸説あることは知られているにもかかわらず、ここで「藤原為一」だけを紹介することに違和感があります(もちろん幼少期節で触れている事は理解しています)。藤原を記す資料は多くなく、大概は中島や川村、下の名は鉄蔵や時太郎としていると思うのですが、なぜこの節ではあまり知られていない藤原抱一だけを記述したのでしょうか?
- 著名な人物で研究書も多いと思うのですが、出典に専門書ではないノンフィクション系の本が少なくない点が気になります。特に千野(2021)は児童書である点が気になります。著者は江戸文化や美術の専門家でもありません。突拍子の無いことが書いてあるような本でもないようですし出典としている文章にも問題は無いように見えるのですが、だからこそ他の本に代替できるように思いますし、生涯に不明な点が多く伝説的な逸話も少なくない人物なので研究書や専門性の高い書籍に依るべきと思います。神山(2018)や檀(2020)も児童書ではないものの少し気になります。小布施関係は他に出典になるものがあるのではないでしょうか?内容は確認していませんが、たとえばこれです。Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料。
北斎の墓所について記述がありません。「誓教寺が所蔵する過去帖」とあるので推測はできますが、明記したほうが良いように思います。日本での北斎評価節、北斎の存命中の評価がありません。いわゆる売れっ子絵師であったはずです。参考文献節、ざっくりと見た感じですが本文に引用されていない本がかなり含まれているように思います。ご確認ください。Wikipedia:スタイルマニュアル/レイアウト#参考文献。「浅野秀剛 監修『北斎 決定版 別冊太陽』平凡社、2010年」「永田生慈 『葛飾北斎』 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、2000年」「大久保純一 『カラー版 北斎』 岩波新書、2012年」「福田和彦 『秘版北斎 草紙本浮世絵名品選』 芳賀書店、1975年」「『小針コレクション 肉筆浮世絵 第五巻』 那須ロイヤル美術館、1989年」「永田生慈監修 『北斎美術館』全5巻 集英社、1990年」「永田生慈監修『北斎画本早引』東京美術、2011年」「日本経済新聞社編 『北斎展 HOKUSAI』 日本経済新聞社、2005年」「公益財団法人 氏家浮世絵コレクション編集・発行 『氏家浮世絵コレクション』 2014年」「あべのハルカス美術館 編『北斎 富士を超えて』、2017年」「井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年」「藤懸静也 『増訂浮世絵』 雄山閣、1946年」「日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年」「吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年」「稲垣進一編 『図説浮世絵入門』〈『ふくろうの本』〉 河出書房新社、1990年」「小林忠監修 『浮世絵師列伝』 平凡社<別冊太陽>、2006年」
- 以上、よろしくお願いします。--あずきごはん(会話) 2023年9月17日 (日) 22:51 (UTC)
- 返信 (User:あずきごはんさん宛) コメントありがとうございます。ご指摘1,3,4,5,6に関して出典の置き換えや加筆修正はいくつか研究者の執筆した書籍を手配したので、今週末くらいから改稿に着手できるかと思います。2,7については修正しました。--Gurenge(会話) 2023年9月18日 (月) 05:15 (UTC)
- 返信 (user:あずきごはんさん宛) 残りのご指摘内容の対応を記事に反映させました。
- ご指摘1について表現を見直し、出典を付与しました。個別の画法に関して実際には絵手本『画本彩色通』という作品の中でそれぞれ登場するようです。ご指摘3について「藤原為一」という名の特殊性について補足しました。ちなみに諸説あるのは幼名であって実名ではない認識です。
- ご指摘4について千野(2021)および檀(2020)について生涯節部分の置き換え可能な箇所は別文献で置き換えました。置き換えに関して元の書籍側の記述に大きく逸脱したものはなかったことを補記しておきます。なお、家族の節については三次資料である千野(2021)の書籍の方が分かりやすくよくまとまっていると思いましたのでそのままとしました。檀(2020)については応為に関する部分や通説とことなる主張を行っている部分に関してはそのままとしています。神山(2018)の小布施まわりに関しては別途必要に応じて内田千鶴子『宇宙をめざした北斎』で補完加筆しようと思っています。
- ご指摘5について、墓所について生涯節に明記するとともに、動静を加筆しました。ご指摘6について当時の北斎評価節を追加し、加筆しました。ご確認よろしくお願いします。--Gurenge(会話) 2023年9月21日 (木) 15:23 (UTC)
- 返信 (Gurengeさん宛) ご対応のほか、色々加筆いただいたようで有難うございます。3についてですが、私が「なぜ藤原抱一だけを記述したのか?」と記したことの含意としては「名前(名前には幼名も含まれると考えます)と画号節を設けるのであればあらゆる説について(重複してでも)記載すべき」という意図がありました。仮に北斎の実名を知りたい人がこの記事を読むとき、何処を見るのか?と考えれば当然この節でしょうし、そこに藤原抱一(この名前は少なくとも通説ではないと思います[1])だけが記してあるのならば当然この名前が正しいと認識する恐れが強いと思います。色々な説があるのならばどの説が有力なのか、それ以外の説は誰がどのような根拠で主張しているのかという部分まで配慮して書く必要があると考えます。4について、繰返しになりますが分かりやすいか否かは良質な記事で参照するに相応しい出典か?という問題とは別だと思います。檀(テレビ番組の構成作家と認識しています)について、通説と異なる主張がなされているのであれば記載しない方が良いと思います。(専門家の主張にそった内容ならば基本的に代替が可能なはずです)2020年に出版された本で専門家から書評もないようならば、かなり注意して扱うべき本だとおもいます。--あずきごはん(会話) 2023年9月23日 (土) 01:05 (UTC)
- 返信 (user:あずきごはんさん宛) ご確認ありがとうございました。
- ご指摘3について、幼名の諸記述を生涯節より転記しました。
- 実名に関して「藤原抱一」は「藤原為一」の誤記と解釈して回答いたします。出自や北斎の幼年期に関する二次資料は『葛飾北斎伝』がほぼ唯一でしょうし、実名に異を唱える研究書を現状目にしていません(そもそもほとんど言及すらされていない)。実名に関する諸説も当方はいまのところ出会って無いです。記事内では「誰が」「何の書籍で」「どのように記述しているか」を明確化して書いており、問題ないかと思っていますが、具体的にどうすれば良いかご教示頂けると助かります。
- ご指摘4について、檀(2020)を出典としている記述について個別に検討しました。出典とした箇所は「(1)画狂老人卍時代節」(a)富士越龍図の疑義に関して(b)臨終時の時期について「(2)名前と画号節」(a)春画の画号「(3)子供節」(a)お美与の注釈(b)お鉄の注釈(c)辰女の話(d)お栄の生年についての独自説(e)北斎死後のお栄の動静「(4)その他の春画作品節」(a)つひの雛形の作成者疑義、です。
- (1-a),(4-a)は研究者意見の孫引きであり、中立的な観点から記述を残す必要がありますが、手持ちの資料では置き換えができませんでした。(1-b),(2-a),(3-a),(3-b)については別の出典で文章を修正または出典を置き換えました。(3-d)は檀独自の見解であり編集除去しました。(3-c),(3-e)は手持ちの資料では置き換えができませんでしたが、除去が必要なほど偏った記述でもないと考えていますが如何でしょうか。--Gurenge(会話) 2023年9月23日 (土) 03:01 (UTC)
- 追記:名前について通説的な話も含めて補足を入れてみました。--Gurenge(会話) 2023年9月23日 (土) 06:36 (UTC)
- 返信 (Gurengeさん宛) 誤記のご指摘ありがとうございます。名前について議論するにあたって前提として①姓というのは単なる名乗りではなく出自、つまり先祖が誰であるかを意味します。②江戸時代には系図買い[2]が行われていて、たとえ本人が先祖が誰であると言った記録があっても、直ちに信じることはありません。③『葛飾北斎伝』を読んでいませんが、飯島自身が「信憑性を欠いている虞がある」と記しているのですよね?そして中島や川村も記してある。④Gurengeさんも参照されているコトバンクでは12の書籍が出典とされていますが「藤原」に触れた資料は1点もありません。「為一」を画号とするものが5点あります。ここまでが前提で、ここからは国立国会図書館デジタルコレクションで藤原為一を検索した内容です。『Museum 443』(1988)「藤原為一の画号は現存5点でいずれも肉筆画、真筆とは考えられない」、『浮世絵芸術 117』(1995)p23「前北斎改画狂老人卍 俗称中嶌鐵蔵藤原爲一 齢八十八歳」の落款を紹介。同p19、そのうえでこの落款がある「赤壁の曹操図」を応為の作と推測。(蛇足ですが、この資料は応為に関する記述の代替史料になり得るかもしれません)、『浮世絵事典 下』(1971)p183「藤原為一は画号。藤原は姓」、同p229「藤原為一は画号」、『艶本研究 北斎』(1967)p34-46に「本姓藤原、父川村氏、のち中島伊勢に養子~」の内容を定説としつつ、その内容について疑義を唱える論述あり。この定説を『葛飾北斎伝』と多知女の遺書の辻褄あわせから生まれたとし、結論として父は川村ではないとする、『日本版画美術全集 第5巻』(1960)p126「藤原為一は画号」、『浮世絵全集 附録』(1958)「藤原為一は画号」、『原色版美術ライブラリー 第117』(1957)5コマ「藤原為一は画号」。以上新しいもの8点を読みましたが、藤原為一を実名とするものは1点もなく、画号とするのが6点、藤原姓が1点です。以上から私見をのべるならば「藤原を姓とするものは『葛飾北斎伝』をそのまま引用しただけで、北斎の先祖が藤原氏であることを史料から確認した説はない。つまり北斎が藤原姓を名乗っていた可能性は否定できないが、自称の域をでないと理解されている。そして落款に記された藤原為一は画号であり、しかも北斎が自ら筆をとったものではないとの認識が広まりつつある状況」と推測します。もちろん古い資料しか検索できていませんから、新しい書籍では別の事が書いてあるかもしれません。十分な調査ではありませんが、以上を総合すると「父は川村、のち中島に養子、幼名は時太郎、のち鉄蔵とする資料が多い。このほか『葛飾北斎伝』には姓は藤原、名は為一と記されるが、藤原為一については画号とする資料が多い。」ぐらいが無難な記述ではないでしょうか?ただ、調査が浅いので自信はありません。これをそのまま記事にすることには反対します。これ以上の調査を必要とされるならば、最低でも1月は必要となるでしょうが、正直なところ私も記事を執筆したいのでこれ以上の調査をしたくありません。ご配慮ください。出典とすべき資料についてですが、やはり専門外の人が執筆したものは、専門家の資料を引用したものであって要注意です。一般論として素人の書いたいわゆるトンデモ本に属するようなものでは専門家の資料を自説に都合よく捻じ曲げて解釈しているものが少なくありません。そのようなリスクを少なくするためのルールがWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料と理解しています。たとえば現資料を直接確認できない(していない)場合に「〇〇が記した『××』(19nn)によれば~」などと帰属化して2次的資料で記述する方法もありますが(私も何度かやっています)、それとて確認した2次的資料の著者が信頼できる専門家であるから可能な方法であると考えます。参照している資料が明らかならば原本を確認すべきですし、それが出来たのならば専門でない人が書いた書籍を参照する理由がありません。--あずきごはん(会話) 2023年9月24日 (日) 06:37 (UTC)
- 返信 (user:あずきごはんさん宛) 丁寧な調査ありがとうございました。ご指摘の2点につきまして内容確認させて頂き、大きく認識のズレはありません(姓については藤原姓は自身の正統性を示すための自称だと思いますし、より良い資料があれば置き換えた方が品質が向上すると考えます。)が、現状の記述から更なる加筆修正が必要、あるいは自身で即座に対応可能だとは思いませんでしたので、当方からの該当箇所編集はひとまず終了としたいと思います。これはもちろん他の方の修正、変更を妨げるものではございません。また、良質な記事の目安を逸脱するものとも思わないため、自身の賛成票は堅持いたします。
- もちろん、Wikipediaは自由参加のボランティアでありますので、あずきごさんさんに調査や変更を強いるものでもございません。不備、違和感がある旨、査読・ご指摘頂いただけでとても助かります。いつもご協力ありがとうございます。--Gurenge(会話) 2023年9月24日 (日) 08:38 (UTC)
- 返信 (Gurengeさん宛) 見解の一致をみれてよかったです。その上で、現在の文章はこの認識に立って記されていないことを改めて指摘させていただきます。諸説ある場合には並記することが望ましいのですが、どの説が有力視されているか、通説であるかという観点が今の文章からは読み取れないと考えています。色々な資料を読めば、通説となっている実名は中島鉄蔵であることは推認できます。つまり記述の重み付けは「中島鉄蔵>藤原為一でなければいけない」と考えますが、今の文章ではそのように読み取れません。したがって指摘3について解決済みとは考えていません。--あずきごはん(会話) 2023年9月24日 (日) 09:08 (UTC)
- 返信 (user:あずきごはんさん宛) はい。私は基礎資料である葛飾北斎伝の記述を通説よりも先に書くべき(画号においても葛飾北斎伝の記述を書いた後に安田の説を差し込んでいます)という考えですし、どちらも記述している現状の内容で修正は不要という立場ですが、先に申し上げた通り他の方の修正、変更を妨げるものではございません。--Gurenge(会話) 2023年9月24日 (日) 09:17 (UTC)
- 追記:「他の方の修正、変更を妨げるものではございません」の通り、強く拘泥しているわけではないため、他の記述の修正ついでに順序を変更し加筆しておきました。また、檀(2020)の(3-c),(3-e)について別資料検索時にネット上で論文を見つけたので書き換えしました。著者の江戸建雄なる人物がちょっとわからなかったのですが、『浮世絵芸術』の文章なので檀(2020)よりはましかなと考えましたが、問題あれば戻します。--Gurenge(会話) 2023年9月24日 (日) 12:40 (UTC)
- 返信 (user:あずきごはんさん宛) はい。私は基礎資料である葛飾北斎伝の記述を通説よりも先に書くべき(画号においても葛飾北斎伝の記述を書いた後に安田の説を差し込んでいます)という考えですし、どちらも記述している現状の内容で修正は不要という立場ですが、先に申し上げた通り他の方の修正、変更を妨げるものではございません。--Gurenge(会話) 2023年9月24日 (日) 09:17 (UTC)
- 返信 (Gurengeさん宛) 見解の一致をみれてよかったです。その上で、現在の文章はこの認識に立って記されていないことを改めて指摘させていただきます。諸説ある場合には並記することが望ましいのですが、どの説が有力視されているか、通説であるかという観点が今の文章からは読み取れないと考えています。色々な資料を読めば、通説となっている実名は中島鉄蔵であることは推認できます。つまり記述の重み付けは「中島鉄蔵>藤原為一でなければいけない」と考えますが、今の文章ではそのように読み取れません。したがって指摘3について解決済みとは考えていません。--あずきごはん(会話) 2023年9月24日 (日) 09:08 (UTC)
- 返信 (Gurengeさん宛) 誤記のご指摘ありがとうございます。名前について議論するにあたって前提として①姓というのは単なる名乗りではなく出自、つまり先祖が誰であるかを意味します。②江戸時代には系図買い[2]が行われていて、たとえ本人が先祖が誰であると言った記録があっても、直ちに信じることはありません。③『葛飾北斎伝』を読んでいませんが、飯島自身が「信憑性を欠いている虞がある」と記しているのですよね?そして中島や川村も記してある。④Gurengeさんも参照されているコトバンクでは12の書籍が出典とされていますが「藤原」に触れた資料は1点もありません。「為一」を画号とするものが5点あります。ここまでが前提で、ここからは国立国会図書館デジタルコレクションで藤原為一を検索した内容です。『Museum 443』(1988)「藤原為一の画号は現存5点でいずれも肉筆画、真筆とは考えられない」、『浮世絵芸術 117』(1995)p23「前北斎改画狂老人卍 俗称中嶌鐵蔵藤原爲一 齢八十八歳」の落款を紹介。同p19、そのうえでこの落款がある「赤壁の曹操図」を応為の作と推測。(蛇足ですが、この資料は応為に関する記述の代替史料になり得るかもしれません)、『浮世絵事典 下』(1971)p183「藤原為一は画号。藤原は姓」、同p229「藤原為一は画号」、『艶本研究 北斎』(1967)p34-46に「本姓藤原、父川村氏、のち中島伊勢に養子~」の内容を定説としつつ、その内容について疑義を唱える論述あり。この定説を『葛飾北斎伝』と多知女の遺書の辻褄あわせから生まれたとし、結論として父は川村ではないとする、『日本版画美術全集 第5巻』(1960)p126「藤原為一は画号」、『浮世絵全集 附録』(1958)「藤原為一は画号」、『原色版美術ライブラリー 第117』(1957)5コマ「藤原為一は画号」。以上新しいもの8点を読みましたが、藤原為一を実名とするものは1点もなく、画号とするのが6点、藤原姓が1点です。以上から私見をのべるならば「藤原を姓とするものは『葛飾北斎伝』をそのまま引用しただけで、北斎の先祖が藤原氏であることを史料から確認した説はない。つまり北斎が藤原姓を名乗っていた可能性は否定できないが、自称の域をでないと理解されている。そして落款に記された藤原為一は画号であり、しかも北斎が自ら筆をとったものではないとの認識が広まりつつある状況」と推測します。もちろん古い資料しか検索できていませんから、新しい書籍では別の事が書いてあるかもしれません。十分な調査ではありませんが、以上を総合すると「父は川村、のち中島に養子、幼名は時太郎、のち鉄蔵とする資料が多い。このほか『葛飾北斎伝』には姓は藤原、名は為一と記されるが、藤原為一については画号とする資料が多い。」ぐらいが無難な記述ではないでしょうか?ただ、調査が浅いので自信はありません。これをそのまま記事にすることには反対します。これ以上の調査を必要とされるならば、最低でも1月は必要となるでしょうが、正直なところ私も記事を執筆したいのでこれ以上の調査をしたくありません。ご配慮ください。出典とすべき資料についてですが、やはり専門外の人が執筆したものは、専門家の資料を引用したものであって要注意です。一般論として素人の書いたいわゆるトンデモ本に属するようなものでは専門家の資料を自説に都合よく捻じ曲げて解釈しているものが少なくありません。そのようなリスクを少なくするためのルールがWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料と理解しています。たとえば現資料を直接確認できない(していない)場合に「〇〇が記した『××』(19nn)によれば~」などと帰属化して2次的資料で記述する方法もありますが(私も何度かやっています)、それとて確認した2次的資料の著者が信頼できる専門家であるから可能な方法であると考えます。参照している資料が明らかならば原本を確認すべきですし、それが出来たのならば専門でない人が書いた書籍を参照する理由がありません。--あずきごはん(会話) 2023年9月24日 (日) 06:37 (UTC)
- 返信 (Gurengeさん宛) ご対応のほか、色々加筆いただいたようで有難うございます。3についてですが、私が「なぜ藤原抱一だけを記述したのか?」と記したことの含意としては「名前(名前には幼名も含まれると考えます)と画号節を設けるのであればあらゆる説について(重複してでも)記載すべき」という意図がありました。仮に北斎の実名を知りたい人がこの記事を読むとき、何処を見るのか?と考えれば当然この節でしょうし、そこに藤原抱一(この名前は少なくとも通説ではないと思います[1])だけが記してあるのならば当然この名前が正しいと認識する恐れが強いと思います。色々な説があるのならばどの説が有力なのか、それ以外の説は誰がどのような根拠で主張しているのかという部分まで配慮して書く必要があると考えます。4について、繰返しになりますが分かりやすいか否かは良質な記事で参照するに相応しい出典か?という問題とは別だと思います。檀(テレビ番組の構成作家と認識しています)について、通説と異なる主張がなされているのであれば記載しない方が良いと思います。(専門家の主張にそった内容ならば基本的に代替が可能なはずです)2020年に出版された本で専門家から書評もないようならば、かなり注意して扱うべき本だとおもいます。--あずきごはん(会話) 2023年9月23日 (土) 01:05 (UTC)
- 賛成 元々十分な内容でしたが、あずきごはん様指摘に応じて加筆もなされ、良質な記事の基準は軽く凌駕する内容ではないかと。--Anesth Earth(会話) 2023年9月23日 (土) 10:35 (UTC)
- 賛成 先に指摘された問題もおおむね改善されており、良質な記事の水準を十分に満たしていると考えます。--Nux-vomica 1007(会話) 2023年9月27日 (水) 09:41 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2023年9月30日 (土) 14:15 (UTC)