Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/紀州征伐 20101020
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選考終了日時:2010年11月2日 (火) 17:30 (UTC)
- (推薦)Wikipedia:第2回秋の加筆コンクール/選考の分野Aで次点(2位以内入賞で3位)となりましたが、良質な記事の目安とされている4点は満たされると考え推薦します。(選考過程の議論:紀州征伐も参照)--ブレイズマン 2010年10月19日 (火) 17:30 (UTC)
- 賛成 紀州征伐は主に、信長の紀州攻め、秀吉の紀州攻め、中世と近世(意義)3部構成になっており、特に中世と近世では後に豊臣政権の先駆となる惣国の解体→太閤検地、刀狩りが1583年(天正11年)の秀吉の紀州攻めから行われているなど、記事の内容も興味深く、出典も豊富で、加筆コンクールでは次点となりましたが、良質な記事に加えることに賛成させて頂きます。--ブレイズマン 2010年10月19日 (火) 17:30 (UTC)
条件付賛成賛成 2010年10月18日 (月) 10:53 版を元にコメントします。『センゴク 天正記』でも取り上げられた題材ですので、関心を持って拝読しました。紀州の惣国体制といった中世的秩序とその崩壊について丁寧にまとめられていると思います。条件付にしたのは、他の選考でも書いていますが、脚注と参考文献のすみ分けをきちんとして欲しいということです。
- 脚注に、『○○』と文献名を書くのが歴史関係のスタイルならばとやかく言いませんが、そうでないならば回りくどいかなと。脚注には人名(出版年)ページを書いておけばいいです。たとえば、『きのくに〔荘園の世界〕上巻』ならば山陰他(2000)p.X、同下巻ならば山陰他(2002)p.Xにするなど。他にも、脚注16、(網野善彦『網野善彦著作集 第十巻』(岩波書店、2007年) ISBN 9784000926508 所収の『海からみた日本社会』よりと書いていますが、ここには網野(2007)と書いておけば良く、参考文献節に詳細を書いてください。脚注25、谷口克広『信長軍の司令官』(中公新書、2005年) ISBN 412101782X P190、P213は、脚注では谷口(2005)で十分、参考文献節に詳細を書いてください。脚注64も同様です。
- ページ番号をPを使うならば、単数形はp.、複数ページはpp.にするのは基本ですので修正してください。
- 脚注56に佐竹義重がありますが、曖昧さ回避に行きます。リンク先を佐竹義重_(十八代当主)に修正してください。--Wushi 2010年10月26日 (火) 14:15 (UTC)
- コメント本来であるならば脚注の修正は執筆者が行うか、もしくは脚注の参考文献を参照したうえで訂正するかですが、上記指摘はスタイルの問題と思われますので、執筆者ではありませんが私が変更させて頂きました。まず1.に関してですが、ご指摘の方向で修正しましたが修正前の版には[他、一か所にのみ参照した資料は脚注に記す。]とあり、Wikipedia:検証可能性の観点から言えば、一か所だけならば脚注に記載してもらえば検証しやすい、とも思えます。現時点では上記の方向で変更しましたが、この点は議論の余地はあるかと思います。2.と3.に関しましては、指摘は適切であると思われ変更しました。確認お願いします--ブレイズマン 2010年10月29日 (金) 12:43 (UTC)
- 1については分野によって書き知るる方法も違うと思いますが、対応ありがとうございました。2、3について確認しました。賛成に変更いたします。対応ありがとうございました。--Wushi 2010年10月30日 (土) 08:09 (UTC)
- 賛成 紀州征伐の各戦いの詳しい説明と、日本史的な意義からの解説とが両立していると思います。良質な記事に加えてよいと考えます。--Tam0031 2010年10月30日 (土) 13:13 (UTC)
賛成票のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031 2010年11月2日 (火) 14:28 (UTC)