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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/石徹白騒動 20120611

選考終了日時:2012年6月24日 (日) 16:41 (UTC)

  • (自動推薦)2012年5月度の月間強化記事賞受賞記事。--Halowand会話2012年6月10日 (日) 16:41 (UTC)[返信]
  • (コメント)主加筆者です。このところ多忙でなかなか加筆が進まず申しわけありません。事件が当時の社会に与えた影響は次に加筆を予定している郡上一揆の方が大きいのですが、事件性としては石徹白騒動の方が面白く、これからが騒動の裁判、そして解決への流れについてとなりますので、まさに加筆の山場となるところです。まだまだ加筆途中でありながら強化記事に選んでいただいたのも申しわけないと感じていましたが、まさか月間強化記事賞に選ばれるとは全くの想定外で、評価していただいた方々に御礼を申し上げるとともに、まだ加筆作業が中途で、主加筆者として良質な記事選考にかける段階には達していないと判断していますので、とりあえずコメントいたしました。--のりまき会話2012年6月11日 (月) 00:00 (UTC)[返信]
    • (コメント)とりあえず加筆については一段落いたしました。資料があまり多くなく、正直まとめるのにかなり苦労しました。まだまだ不備がある記事だと思いますので、ご意見等いただければ幸いです。--のりまき会話2012年6月17日 (日) 06:54 (UTC)[返信]
  • 賛成 確かに面白い記事ですね。発端から解決に至るまで丁寧に書かれており、出典の付け方も申し分ないと考えます。石徹白豊前は死罪になったとのことですが、江戸で処刑されたのでしょうか。石徹白豊前の家が世襲の神主であると幕府に認められながら、その後は年番神主制が復活するというのも不思議な感じがしますが、石徹白豊前の家が断絶したのでしょうか。そのあたりがちょっと気になりました。--Tam0031会話2012年6月17日 (日) 08:02 (UTC)[返信]
    • (コメント)Tam0031さん、いつも丁寧に読んでいただき、どうもありがとうございます。郡上一揆、石徹白騒動で獄門、死罪の判決を受けた人たちは、判決の言い渡し後、順次刑場に連行されて処刑が行われていますので、石徹白豊前の処刑は江戸で行われています。このあたりは書こうかどうか迷った部分ですが、加筆したいと思います。また騒動後の石徹白についても、確かにもう少し説明をした方が良いと思います。その中で年番神主制の復活についての説明を加えていきたいと思います。--のりまき会話2012年6月17日 (日) 08:57 (UTC)[返信]
  • 賛成 石徹白という場所が九頭竜川水系にあるにもかかわらず、何故福井県でなく岐阜県なのか昔から不思議に思っていました。石徹白村が岐阜県に越境合併した経緯は石徹白村に書かれていますが、村民の行政(ここでは福井県)に対する不信感が根底にあったようです。前置きが長くなりましたが、この石徹白騒動について、この記事を読むまでほとんど知りませんでした。虎の威を借る狐の如く私利私欲に走った者の末路は哀れなものです。この小さな山村に、神道と仏教、朝廷と幕府、それぞれの立場や利害関係が複雑に絡み合い、立場の弱い多くの民衆が犠牲になった重々しい歴史があったとは。それでも最後に村人の必死な訴えが認められたことは、後年の越境合併の民意と何故かオーバーラップしました。参考文献、出典の提示も申し分ありませんし、騒動の経緯を分かりやすく記事にまとめられた良記事だと思います。--さかおり会話2012年6月18日 (月) 15:05 (UTC)[返信]
  • 賛成 難しい昔の事件をとても丁寧に書かれています。出典もビシバッシとついていて、項目に記述されるべきトピックが網羅されていて、中立的な観点からの記述がなされているとおもいます。Wikipedia:スタイルマニュアルに沿った文章スタイルが取り入れられています。以上の点が全て満たされているとおもいます。なので賛成です。--朝姫会話2012年6月24日 (日) 05:10 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Haifun999会話2012年6月24日 (日) 16:44 (UTC)[返信]