Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/松岡朝 20201011
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選考終了日時:2020年10月24日 (土) 15:49 (UTC)
- (自動推薦)2020年9月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2020年10月10日 (土) 15:49 (UTC)
- 賛成 :執筆者票ですが、広く査読をいただけるのは初めてですので、いろいろご指摘いただき、修正および、今回は無理でも将来の投稿改善につなげたいと思います。よろしくお願いいたします。--こちずふぁん(会話) 2020年10月11日 (日) 01:49 (UTC)
- 賛成 : 生涯や業績について、細かい出典つきで書かれているので賛成します。とても興味深い内容でした。選考とは関係ない疑問ですけれど、筆名に「松岡暁美」を使っていたとのことで、これは著作に使われていたのでしょうか。記事内をざっと検索しても出てこないようなので、もし分かれば幸いです。--Moke(会話) 2020年10月11日 (日) 04:01 (UTC)
- 返信 (Mokeさん宛) 松岡暁美の筆名については、ユニセフ活動以降のごくごく晩年に使われたようなのですが、(1)「松岡朝物語」中の記載 (2)オーストラリアに絵画を寄贈したことを報じる日本語の新聞記事は、全て「松岡暁美さん」として報道されている(ただし、その1年後の日本経済新聞への自著記事は、松岡朝名義となっている) (3)アメリカのユニセフに関する報道記事で、「Akemi」の筆名について触れているものがあった、という程度の情報しかなく、この筆名での単著もないようで使い分けもはっきりしないので、本文には特に含められませんでした。ですが、たしか松岡朝物語には使い始めた時期についての記載があり、また国会図書館で検索すると、単著はないものの2件ほどだけ雑誌への寄稿があるようなので、(1)松岡暁美の筆名に触れたところへの脚注として、最晩年に使われたこと、一部の新聞記事では「暁美」として報道されていることを記す (2)国会図書館で雑誌の確認後、著作欄に当該記事を追加する、の2つで対応しようと思います。--以上の署名の無いコメントは、Kochizufan(会話・投稿記録)さんが 2020年10月11日 (日) 05:20 (UTC) に投稿したものです。
- 返信 『(1)松岡暁美の筆名に触れたところへの脚注として、最晩年に使われたこと、一部の新聞記事では「暁美」として報道されていることを記す』を対応いたしました。国会図書館へは今は容易に行けないため後日の対応になります。--こちずふぁん(会話) 2020年10月17日 (土) 13:31 (UTC)
- 返信 (Mokeさん宛) 松岡暁美の筆名については、ユニセフ活動以降のごくごく晩年に使われたようなのですが、(1)「松岡朝物語」中の記載 (2)オーストラリアに絵画を寄贈したことを報じる日本語の新聞記事は、全て「松岡暁美さん」として報道されている(ただし、その1年後の日本経済新聞への自著記事は、松岡朝名義となっている) (3)アメリカのユニセフに関する報道記事で、「Akemi」の筆名について触れているものがあった、という程度の情報しかなく、この筆名での単著もないようで使い分けもはっきりしないので、本文には特に含められませんでした。ですが、たしか松岡朝物語には使い始めた時期についての記載があり、また国会図書館で検索すると、単著はないものの2件ほどだけ雑誌への寄稿があるようなので、(1)松岡暁美の筆名に触れたところへの脚注として、最晩年に使われたこと、一部の新聞記事では「暁美」として報道されていることを記す (2)国会図書館で雑誌の確認後、著作欄に当該記事を追加する、の2つで対応しようと思います。--以上の署名の無いコメントは、Kochizufan(会話・投稿記録)さんが 2020年10月11日 (日) 05:20 (UTC) に投稿したものです。
- コメント コメントに止めますが、根本的なところから細かい点まで、いくつか疑義があります。
- ほぼ全体が『松岡朝物語』(角山祥道著、叡智の海出版発行、2019年)に依拠していますが、企画・原案が松岡裕子(松岡朝の養女)となっています。「松岡朝が英文で書いた原稿(刊行されずに散乱状態で放置されていた)を朝の養女・松岡裕子が朝の死後に2年がかりで整理し、角山祥道氏がこの整理済み原稿をもとに物語に仕上げています。」[1]とのことです。要するに本人の原稿を親族が整理してライターが物語の形にしたもののようで、これは対象と独立した信頼できる二次資料として良いものでしょうか?それとも自伝のようなものとして扱うべきでしょうか?
- 注釈4で「朝の中国訪問時期は松岡朝物語によると1939年(昭和14年)前半の出来事となるが、朝のアメリカからの帰日は週刊婦女新聞の記事で1939年7月であることは確定しているため、これは明確に誤りである。」として出典として『週刊婦女新聞』をあげています。1939年発行の『週刊婦女新聞』に2019年発行の『松岡朝物語』が誤りであると書いてあるはずはないので、「これは明確に誤りである」との分析はウィキペディア編集者による発表済みの情報の個人的分析や解釈ではないでしょうか。
- 出典の付け方について、前半部分を出典A・後半部分を出典Bとする記述について「……、……[A][B]。」とされていますが、「……[A]、……[B]。」とした方が良いのではないかと思うのですが、個人的な好みの問題でしょうか。
- 出典とされている『松岡朝物語』のページと記事の内容に齟齬が見られます。細かい点で、かつ数が多いので、具体的な指摘はノートに記します。
- さらに細かいことですが、Template:Sfnでは複数のページ番号はppで表すこととなっていますので、改めた方が良いのではないかと思います。
- 以上です。--Semiprecious stone(会話) 2020年10月11日 (日) 08:57 (UTC)
- これについては、本の発行経緯はその通りなのだと思います。扱いはコミュニティの判断にゆだねます。ただ、個々の事象については、裏の取れるものは他のソースで裏を取っています。
- 朝の米国からの帰国(松岡朝物語によると1940年まで)と、中国訪問(松岡朝物語によると1939年から)については、松岡朝物語の時点で相矛盾しており間違っています。間違っているのは自明として、ではどちらが正しいのかについて、別資料を提示(1939年夏に朝が米国から戻ったことに関する客観的報道)を示して、中国訪問の日時の方が間違っていることを示したものです。表現がまずければ改めます。
- 気づいたものは改めたいと思います。もし特に気になるところがあれば教えていただければ幸いです。
- 確認の上、個別対応いたします。
- これも改めたいと思います。--こちずふぁん(会話) 2020年10月11日 (日) 09:27 (UTC)
- 返信 (こちずふぁんさん宛) ノートでの指摘も含めてご対応ありがとうございました。4.と5.については概ね改善されたものと考えます。1.についてはコミュニティの判断にゆだねるということで良いと思いますし、2.についても下のTam0031さんご提案のような書き方が良いと思います。残る3.について、私が気になった部分を列挙いたします。ページ数はすべて『松岡朝物語』(角山祥道著、叡智の海出版発行、2019年)のものです。
- 「日本女性初の米国法学博士号取得」節
- 「…遠く日本でも新聞各紙で報道された。」
- p.54-55が出典の一つとなっていますが、日本で報道されたことは書かれていません。pp.54-55は「…初めての快挙であって、」までの出典とすべきではないでしょうか。
- 「満州へ」節
- 「…満州への渡航を計画した。」
- p.61が出典の一つとなっていますが、天羽英二のことは出てきません。『天羽英二 日記・資料集第2巻』のみを出典とするか、前半部分は同書が出典である(p.61は前半の出典となっていない)ことが分かるようにした方が良いかと思います。
- 「アメリカ行脚」節
- 「…茶話会を開くなど、日本とアメリカの架け橋を作るための活動を続けた。」
- p.88-90が出典の一つとされていますが、当該ページには「教師たちを集め茶話会を開く」の話がありません。この部分は『The Evening star』紙のみが出典と思われます(逆に『The Evening star』紙は、松岡朝が1938年3月14日に前年日本で開催されたthe World Federation of Education Associationの世界会議の参加者をメイフラワーホテルでの茶会に招いたことの出典にしかなっていない)ので、そのことが分かるような出典の付け方にすべきではないでしょうか。
- 「最晩年」節
- 「…日本の新聞でも大きく報道された。」
- p.184-189が出典の一つとされていますが、p.189までには新聞報道の話は出てきません。「目玉となり、」までをpp.184-189の出典とするか、出典範囲をpp.184-191に広げるべきではないでしょうか。
- 以上、選考終了後でも構いませんので、ご検討ください。--Semiprecious stone(会話) 2020年10月15日 (木) 14:58 (UTC)
- 返信 指摘ありがとうございました。指摘されている意図が正確に理解でき、対応を加えました。--こちずふぁん(会話) 2020年10月17日 (土) 14:11 (UTC)
- 賛成 出典が『松岡朝物語』にかなり依存しているところが気になるものの、可能な限り他の記事での裏取りもしているということですので、おそらく問題はないかと思います。中国への渡航時期についての件、出典に明らかな誤りがある場合にどのように記事で処理するかは非常に悩ましいところがありますが、私が執筆する場合は誤りであると断言を記事中(あるいは注釈)に書いてしまうのではなくて、読者が当該の技術を誤りであることを判断できる情報を端的に提示してしまうようにしています。今回の件であれば、「『松岡朝物語』では中国への渡航時期を1939年前半と記しているが、週刊婦女新聞の記事ではアメリカから帰国した時期を1939年7月と報じているため矛盾がある」くらいでしょうか。--Tam0031(会話) 2020年10月14日 (水) 15:02 (UTC)
- 返信 記載を修正してみました。ご確認いただければ幸いです。ただ、さえぼーさんの指摘もあり、明確に論理的に矛盾している内容でも間違っていると書くと独自研究になる一方で、あまり合理性がピンと来ない(私はアカデミックな徒ではないので、アカデミックな人から見れば75冊というのは非常識なのかもしれませんが)理由で75冊を裏取りしないといけないと指摘される(それは独自研究と言わないのだろうかと矛盾を感じる)など、ちょっとWkipediaで要求されている調査の姿勢がよくわからなくなってきました。--こちずふぁん(会話) 2020年10月17日 (土) 14:38 (UTC)
- 反対 Semiprecious stoneさんのコメントとかなり重なるのですが、大部分が『松岡朝物語』に基づいていてあまり出典のバラエティがないこと、またいくつか確認したところでこの出典はどのくらい正確なのかについて疑問があることから、もう少し記述が確認・修正されるまで反対といたいしたいと思います。
- おそらく出典の記述に不足があるのではないかと思われるのですが、労働省から刊行されたという松岡朝の著作のタイトルは"Labor Conditions of Women and Children in Japan"で、記事にあるように"Law and Regulations for Protective Labor Legislation for Women and Children in Industry Japan"というタイトルではありません。博士論文のほうのタイトルも、目録検索からする"Protective labor legislation for women and children in Japan"で若干違いがあります。出典のほうで何か書誌情報に混乱があるのではという気がします。
- また、たぶん昔のことについて書かれた本が出典であるため、状況がよくわからないところがあります。記事内で「実際の博士号は大学図書館に論文の印刷物を75冊分納入してからでなくては付与されない」とありますが、ここはひとつの図書館に納入する部数としてはかなり多いので、当時のコロンビア大学の博士号の規定がどうなっていたのかについての裏取りが必要ではないかと思います(博士号が出る機会が少なかった昔は基準が違ったのかもしれませんが、今こんな部数をひとつの図書館に納入させる大学はないのではと思います。ひょっとしたら複数の大学図書館とか議会図書館などにも納入したのかもしれませんが)。その後の記述についても、博士論文のかわりに労働省の刊行物を納入すれば良いということになったように読めますが、このあたりも大学で学位を取得する際の手続きとしてどれくらい正しい記述なのかわかりません。確認するか、よくわからない場合は除去したほうがいいように思えます。--さえぼー(会話) 2020年10月16日 (金) 06:00 (UTC)
- 返信 ご指摘ありがとうございます。まず出典の偏りですが、よく考えますと、アメリカ行脚中の記述などは、松岡朝物語に頼らなくとも、朝自筆の「アメリカの感情」にほぼ顛末が載っていますので、そちらを典拠にしてもほぼ同様に書けます。他にも朝の著作は複数ありますので、そちらを典拠にできるものは典拠を移して、典拠の偏りを減らすことを検討します。少々お時間ください。
- 論文タイトルの件は、確かに執筆中から、(学術的な作品でない松岡朝物語の中での記述はともかくとして、実際の書影のタイトル、図書館の蔵書の検索結果、論文の検索結果もろもろの間で、政府刊行物558番というIDで付き合わせても)揺らぎがあることは気づいておりました。アカデミックな世界のことはよくわからないのですが、こういうことはよくあることなのでしょうか。また、どのように解決するものなのでしょうか。書影など最も信頼するに値するものを採用して統一するのが正しいのでしょうか、それともどれか一つに定めてしまうと独自研究になってしまうので、出てきた揺らぎすべてを列挙して、両論併記の形にするのが正しいのでしょうか。
- 75冊納入の件は、75冊という数字を削って対応しようかと考えておりましたが、よく自分の書いた文章を読むと、75冊納入することが博士号を取るための一般的なルールのように表現されておりました。翻って典拠の原文を読むと、学長秘書から博士号授与前に75冊収めてくださいと朝には要請されているだけで、それがあらゆる博士号取得者に適用される一般ルールなのかどうかはわからない記述になっていました。博士論文が政府刊行物として発行されること自体が、普通の博士号取得者では適用されない措置で一般的なものとは全く違う手順なわけですから、特別なルールが適用されたのかもしれず、あまりここで当時の一般的な博士号の取得過程を調査して比較しても、益がないような気も致します。とりあえず、当時の博士号取得者が普遍的に75冊納入を要求されていたと読めるような文章は改めて、端的に朝はそう要求された、というだけにとどめる書き方に改めてみました。これではどうでしょうか。--こちずふぁん(会話) 2020年10月17日 (土) 15:03 (UTC)
- コメント
報告 選考期間を限度まで延長いたします。さえぼーさんによって『松岡朝物語』の内容の信頼性に疑義が表明されており、現状で主たる出典が信頼するに足りないものであるとすると記事として成り立たちません。ないことから、慎重に検討する必要があると判断したためです。--Semiprecious stone(会話) 2020年10月17日 (土) 12:47 (UTC)選考期間延長は取り消します。--Semiprecious stone(会話) 2020年10月18日 (日) 14:19 (UTC)
- 現状賛成3票、反対1票なので、選考期限がくれば通過する状態です。選考期限の延長は、通過するための票が足りていないときに、加筆や賛否の検討に必要な時間を稼いで通過させるために行われているものであり、通過する条件を満たしている時に使うのは本来の使い方ではないと思います。規定上は制限がありませんが…。--Tam0031(会話) 2020年10月17日 (土) 16:06 (UTC)
- 「本来の使い方ではない」とのことですので選考期間延長については取り消しました。--Semiprecious stone(会話) 2020年10月18日 (日) 14:19 (UTC)
- 現状賛成3票、反対1票なので、選考期限がくれば通過する状態です。選考期限の延長は、通過するための票が足りていないときに、加筆や賛否の検討に必要な時間を稼いで通過させるために行われているものであり、通過する条件を満たしている時に使うのは本来の使い方ではないと思います。規定上は制限がありませんが…。--Tam0031(会話) 2020年10月17日 (土) 16:06 (UTC)
- 反対 大変興味深い主題であることは間違いなく、面白く読ませていただきました。反面、すでに他の方のコメントで触れられていることですが、出典が一次資料的かつ著者・出版社ともにWP:V・WP:RSに照らして信頼性に疑問のある『松岡朝物語』にかなり依存していること、一次資料をもとにかなり肯定的・称賛的にこの人物の生涯が記述されていることが気になります。GAの目安のうち「検証可能性が信頼できる情報源によって担保されている」「中立的な観点からの記述がなされている」の点を満たしているとは言えないと思われるので、恐縮ですが反対票としました。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年10月18日 (日) 15:04 (UTC)
選考終了時点で賛成3票、反対2票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031(会話) 2020年10月26日 (月) 14:54 (UTC)