Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/岳物語 20190711
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選考終了日時:2019年7月24日 (水) 16:14 (UTC)→2019年8月7日 (水) 16:14 (UTC)
- (自動推薦)2019年6月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2019年7月10日 (水) 16:14 (UTC)
- 賛成 作品そのもののあらすじをもう少し補強した方が良い気もしますが、全体としてどんな作品なのかがある程度わかるように書かれているものと思い、賛成とします。--Tam0031(会話) 2019年7月16日 (火) 14:25 (UTC)
- コメント 立項者(正確にはリダイレクトからの書き起こし)です。ご評価ありがとうございます。「あらすじ」節を設けなかったのは、書き出すとあまりに長大になってバランスを崩してしまうと考えたためです。項目中に書いた通り、本作は実際には家族生活の様々な出来事を描いた短編集であり、『岳物語』としてのストーリーがあるわけではありません。(あるとすれば、項目中に書いたような、1人の少年の無邪気で奔放な成長、そして父からの自立、といったものでしょう。)よって、「あらすじ」節を設けると短編ごとに区切らざるを得ず、小見出しが多くなりすぎます。国語教科書への掲載によって恐らくもっとも有名な一節であろう「風呂場の散髪」のみはあらすじを示しましたが、これすら原作の「ヨコチンの謎」の半分といったところです。まとめの上手な方ならもっと圧縮できるでしょうが、それにしてもこんな調子で20編のあらすじを書いては項目のバランスを崩すことは必定です。よって、変則的な書き方ではありますが、「あらすじ」節を設けずに、最初の「作品概要・執筆背景」節である程度の事情が分かるようにし、「主な登場人物」節の人物紹介にいくつかのエピソードの内容を取り込むことで、項目の読み手にある程度作品の雰囲気を分かってもらおうと考えた、というのが私なりの執筆方針でした。--Tomomori(会話) 2019年7月16日 (火) 15:20 (UTC)
- 賛成 各種必要な情報が十分に書かれた記事だと思います。あらすじについてはTam0031さんと同意見ですが、短編集であり一つのストーリーがあるわけではないということであれば、あらすじよりもむしろその点を強調した説明を加えた方が良いように感じます。説明に「『岳物語』のタイトルは9つの短編を纏めて単行本化する際に付されたものであり、表題作は存在しない。 」とはありますが、記事全体からはむしろ各短編間の繋がりが大きいように感じられ、一つの繋がった物語があるようにも見えます。上記の「本作は実際には家族生活の様々な出来事を描いた短編集であり、『岳物語』としてのストーリーがあるわけではありません。」というような明確な説明が記事本文にあった方が特徴がよりわかりやすいと思います。--TEN(会話) 2019年7月23日 (火) 14:09 (UTC)
- コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Mogbot(会話) 2019年7月25日 (木) 02:03 (UTC)
- コメント うーむ、お2人の方からあらすじを補強した方がよいとのご意見を頂いたので、「あらすじ」節を補強してみました。小編ごとのあらすじを記すのは長すぎてバランスを崩すという考えには変化がないので、いくつかのエピソードを選択して、なるべく時系列が一貫した形となるよう書いた積もりではあります。--Tomomori(会話) 2019年8月1日 (木) 12:33 (UTC)
- コメント 執筆の背景、物語の内容、評価といった一定の説明がされているものと思います。興味を持ったので「岳物語」の方だけですが実際に読みました。追加された「あらすじ」も要領よくまとまっていると感じました。ほぼ賛成なのですが、「あらすじ」節で以下の点が気になり、ひとまずコメントと致します。
- 『「著名な父親の七光りに頼る集中力に欠けた子」と教師たちから色眼鏡で見られ』とありますが、「教師たちが親の七光りに頼っていると色眼鏡で見ていた」と言い切れるような描写は本編には無いように思いますがいかがでしょうか。
- 次に、『岳から一人で鴨川の海に釣りに出かけて海に転落した話を聞き、受話器を置いて私は一人くつくつと笑うのだった。』についてです。「あとがき」によると、岳は友人と鴨川に出かけたようです。また、この要約ですと、転落したことに対して笑ったように読めますが、原文を読むと筆者の複雑な心の動きがあったように感じられます。ここは、もう少しだけ丁寧に描いても良いように思います。一つの例として私であれば、「…転落した話を聞き、激しく動揺しながら問いただすものの、回線の不調により無情にも電話が切れてしまう。諦めて受話器をおいた私はため息をひとつつき、くつくつと笑うのだった。」のようにするかなと思います。
- 以上です。ご検討いただけますと幸いです。--Mogumin(会話) 2019年8月2日 (金) 07:05 (UTC)
- ありがとうございます。ご指摘により、あらすじを修正してみました。
- 「「著名な父親の七光りに頼る集中力に欠けた子」と教師たちから色眼鏡で見られ」という表現は、「アゲハチョウ」における学校への呼び出しのシーンが念頭にあったのですが、読み返してみたら確かにそのような記述はありませんので不正確でした。『続岳』「盗聴作戦」と『定本』「「岳物語」と僕」には七光という表現がはっきりあり、また『続岳』「あかるい春です」に集中力がなく飽きやすいという通知表の評価があるので、そのあたりと混同して書いてしまったものだと思います。主に「アゲハチョウ」のエピソードを基に「乱暴者の問題児と教師たちから煙たがられて」と書き換えてみました。
- あとがきの記述は失念していました。本編からは鴨川に一人で行ったのか誰かと行ったのか読み取れませんが、ここは私(Tomomori)が早合点して「一人で鴨川の海に…」と書いてしまいました。よって「一人で」を削りました。最後の部分は、最終的には読者個々の鑑賞の世界になるのかもしれませんが、少なくとも海に落ちたことに対してのギャグ的な笑いではないですよね。そう読めてしまうあらすじは仰る通り不正確だと思います。焦って大丈夫かと確認する父の思いに対して、岳の声は父の思いを知らずしてかのんびりしたもので、それを聞いてどうやら岳は平気らしい、という安心の笑い。もうひとつは、父が心配なんかしなくったって、岳はいつの間にか成長しているのだな、という喜びの笑い。そうした複数の感情がないまぜになった「くつくつ」ではないかと感じます(個人的読感ですが)。お示し頂いた文例を拝借し、少々アレンジを入れさせて頂いた上で直してみました。(細かいこと言えば、人様の文例を自分の署名の下で使ったことになり不適当なので、ちょっとここはという部分があればどうぞご遠慮なくお手直し下さい。)--Tomomori(会話) 2019年8月2日 (金) 13:48 (UTC)
- 賛成 Tomomoriさん、早速ご対応くださりありがとうございます。疑問点が解消したので、良質な記事への選出に賛成いたします。私の文案を採用いただいたことは、共同作業の一形態ですから特に不適切とは思っておりませんよ。—Mogumin(会話) 2019年8月3日 (土) 13:02 (UTC)
賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2019年8月5日 (月) 14:51 (UTC)