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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/山形土偶 20230911

選考終了日時:2023年9月24日 (日) 16:34 (UTC)2023年10月22日 (日) 16:34 (UTC)

  • (自動推薦)2023年8月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2023年9月10日 (日) 16:34 (UTC)[返信]
  • コメント地域特性のある土偶について細かく記述されており、興味深い記事となっていると思います。記事からリンクされている町田デジタルミュージアム文化遺産オンラインColBaseなどでは時代を紀元前2000年から紀元前1000年としており、「製作年代と分布」節の記述との乖離が気になりました。複数の説があるのか、通説が変わったのか、単にどちらかの情報が誤りなのかなど、解説があるとより良いのではと思いました。--Gurenge会話2023年9月11日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
  • コメント「最初期の研究史」という節の立て方はかなり気になります。本来ならば「研究史」節の下に置かれるべき項ではないでしょうか(また、この節の内容は館の下遺跡で出土した特定の土偶に関する記述に終始しており、そういった意味でも問題含みなのではないかと考えています)。「形状」節に編年的な記述と研究者による評価が混在しているのも改善すべき点であると考えます。--Nux-vomica 1007会話2023年9月11日 (月) 20:54 (UTC)[返信]
    • 執筆した者です。査読とコメントをありがとうございます。お二方それぞれのご意見について、十分に納得できます。(実は準備期間の確保が難しい中で取り組むことになった記事で、改めて読み直すと自分でも不十分と思える部分があって、選考に上がったのは意外なことでした)再度資料の取り寄せを依頼し、まずは構成の見直しから取りかかろうかと考えています。--Swanee会話2023年9月12日 (火) 03:38 (UTC)[返信]
  • コメントひとまず改稿が一段落しました。期間終了までには細部をもう少し掘り下げてみたいと思います。--Swanee会話2023年9月24日 (日) 12:02 (UTC)[返信]
  • コメント 研究史節ですが、前半部分は山形土偶ではなく土偶の研究史ですよね?この記事でここまで詳しく書く必要があるのか疑問に思います。同節、館の下遺跡の土偶の記述だけ浮いているように見えます。館の下遺跡土偶が最も早く(慶応元年)発見された山形土偶という認識で間違いないでしょうか?仮にそうであるならば、その旨を明記すべきと思います。同節、貝塚土偶の名称で呼ばれた「土偶研究の黎明期」とは何時でしょうか?山形土偶の名称が現れた明治時代よりも前のように読めるので、近代考古学が始まる明治以前の好事家の間での名称だったのでしょうか?形状とその変遷節ですが、ハート形から山形をへてみみずくに移行するのはよくわかるのですが、肝心の山形土偶の変遷について何も書かれていません。小野美代子の4期の分類は、どのような特徴を基に行われ、それがどのように変遷していったのでしょうか?またこちらの森脇の論文では、後続する編年研究やより詳細な地域系統分類もされているようです。いずれにせよ、山形土偶の研究について記述が足りていないと感じます。製作年代と分布節、三上が東北地方の影響が強いとした理由はなんでしょうか?東北、関東、中部に共通する特徴があることと、東北の影響が関東、中部に広がったことでは全く意味が異なります。型式編年や出土遺跡が西に行くほど新しくなる傾向があるのでしょうか?--あずきごはん会話2023年9月24日 (日) 13:45 (UTC)[返信]
    あずきごはん様、査読とアドバイスをありがとうございます。構成についてはさらに見直します。舘の下遺跡の出土例については、一部記述を残した上で、「著名な出土例」の節に移すなどいくつかできることはありそうです。執筆のときに使った資料+αが揃いましたので、ご紹介をいただいた資料とともに内容を深めようかと思います。--Swanee会話2023年9月27日 (水) 10:02 (UTC)[返信]
コメント加筆お疲れさまでした。当初私が質問した「紀元前2000年から紀元前1000年」はサイト側の誤りということで良かったですかね?
拝読させて頂きましたが、やはり「製作年代と分布」節の記述が気になりました。リンクして頂いている「茨城県稲敷市 椎塚貝塚の土偶」を読むと、こちらでは縄文中~晩期とかなり広く年代を取っており、後期中葉とは割と乖離があるように見えました。また、あずきごはんさんも指摘されていますが、編年研究は小野、瓦吹、上野が中心となって行っているとあり、これらの研究に対する言及が無いように思いました。--Gurenge会話2023年9月29日 (金) 12:57 (UTC)[返信]
  • 横から失礼 横から失礼 横レスすいません。年代表記にぶれがあることは大きな問題にはならないと思います。詳細な説明は省きますが、先史考古学では土器編年が重要であって、加曽利B式土器と並行期であることが一番確実で重要な表記になります。そして加曽利B式土器が何年にあたるのかは研究者によって見解が異なっていて、とくに2003年に国立歴史民俗博物館が弥生時代開始時期について大幅な見直しを提言してから、研究者間でも認識が相当に揺らいでいます。年代表記に出典を付けた方が良いと思いますが(もちろんなるべく新しい資料を出典とした方が良いでしょう)、表記が異なること自体は誤りではなく見解の違いと見た方が良いでしょう。--あずきごはん会話2023年9月29日 (金) 14:42 (UTC)[返信]
    返信 (user:あずきごはんさん宛) ありがとうございます。勉強になります。であるならばなおさら、製作時期について「縄文時代後期中葉(約4,000年前-3,700年前)」と明記してしまうのは当方のような素人は誤認しやすいかと思いました。もともと記事中の記載内容と、提示している論文や外部リンク先などの記述に違いがあるのに、それについて特に触れられていなかった点が不思議に感じていたので。--Gurenge会話2023年9月29日 (金) 15:05 (UTC)[返信]
  • 返信 (Gurengeさん宛) 誤認はしないと思います。といいますのも「縄文時代後期(約3800〜3500年前)」も「縄文時代後期(前2000~前1000年)」も「縄文時代後期中葉(約4,000年前-3,700年前)」も書いてある事は同じで、全て正しいのです。例えれば物を測るのにどの物差しを使うかの違いでしかありません。1mという長さを尺貫法で表記すれば3尺3寸になり、ヤードポンド法で表記すれば39.37インチになります。書き方が違うだけで意味は同じです。先史時代の年代表記も同じです。山形土偶は加曽利B式土器と共伴して出土します。これは調査に捏造や瑕疵が無い限り覆りません。つぎに加曽利B式土器が生産された時代です。複数の物差しがありますが、どれを使っても縄文時代後期と表記されます。中葉とついているのはより細かい目盛りが付いている物差しで測っただけで意味は変わりません。そして縄文時代後期を何年前とするかです。Aの物差しを使えば約3800〜3500年前であり、Bを使えば約4,000年前-3,700年前と表記されます。同じ単位を使っているので混乱するかもしれませんが、これは意味は同じなのです。もちろん、この物差しは古いとかもう使わないという事もありますが、前述したように専門家でもどの物差しを使うかがバラバラな状態ですので、比較的あたらしい物差しを使っていればこだわる必要はありません。ですから年代表記はあくまで補足でありカッコ書きで記されます。本記事には注釈もついていますので、なおのこと問題ないでしょう。--あずきごはん会話2023年9月29日 (金) 21:47 (UTC)[返信]
    返信 詳しい説明ありがとうございます。あずきごはんさんに丁寧に解説頂くまで誤読しっぱなしであった当方はもう少し詳しく補足があった方が親切かなと思いますが、有識者の方が現状表記で問題ないということであれば特に対応頂かなくても大丈夫だと思います。--Gurenge会話2023年9月29日 (金) 22:29 (UTC)[返信]
  • コメントご紹介いただいた資料などを使い、加筆修正いたしました。今週末は仕事が入っているため、大幅な加筆はこれで最後となる可能性があります。(今回はいろいろ学ぶことが多く、今後のために生かせそうです。改めてお礼を申し上げます)--Swanee会話2023年10月17日 (火) 12:24 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成0票、反対0票より、見送り。--Family27390会話2023年10月22日 (日) 18:17 (UTC)[返信]