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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/坊ノ岬沖海戦 20111011

選考終了日時:2011年10月24日 (月) 16:00 (UTC)

  • (自動推薦)2011年9月の月間強化記事賞受賞記事。--Pastern 2011年10月10日 (月) 16:00 (UTC)[返信]
  • コメント 非常に丁寧に文献に当たって書かれていることはよくわかります。ただ、戦争に関する事案は両者の見方が食い違いがちなものなので、可能な限り両者の文献を参照して書く必要があり、日本側以外の文献が『戦艦大和の運命英国人ジャーナリストのみた日本海軍』 だけに思われるのがとても気になります。本文を読む限りではアメリカ側の動向も十分書かれているとは思うのですが。他に軽微なところですが指摘しておきます。
  • 「駆逐艦「響」が周防灘で蝕雷し」「しょくらい」は、普通触雷と書くような気がします。Google検索だと「蝕雷」でも3000件くらい出るのですが、何か意味が違うのでしょうか。
  • 「連合艦隊は神奈川県横浜市の日吉キャンパスにあった」艦隊が陸上のキャンパスにいるというのは不思議で、司令部がキャンパスにいるということですよね。
  • 「若手士官の居室で吉田満著『戦艦大和ノ最期』で描かれるような出来事があったかどうかについて、生還した士官達の証言は定まっていない」『戦艦大和ノ最期』を誰でも読んでいるわけではないので、どのような出来事が描かれているのか説明もされずにこれだけ書かれても疑問が残るだけです。
  • 「雷撃機は転覆を狙うため「大和」左舷に攻撃を集中したとされるが、特に拘っておらず、機会があり次第、左右同時雷撃を行っている」同じ文の中でこのように説明されるとわかりづらいです。左舷に集中攻撃したというのは俗説だ、といいたいということなのでしょうか。
いずれにせよ、この分野に詳しい方のコメントを仰ぎたいです。--Tam0031 2011年10月13日 (木) 16:26 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛否が付いていないため、今回は見送りとなります。--Tam0031 2011年10月24日 (月) 16:21 (UTC)[返信]