Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/去来抄 20121113
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選考終了日時:2012年11月27日 (火) 01:55 (UTC)
- (推薦)2012年10月に月間新記事賞にエントリーした記事です。受賞はなりませんでしたが内容的に非常に興味深く、検証可能性もしっかりと担保されています。--Pastern(会話) 2012年11月13日 (火) 01:55 (UTC)
- 賛成 推薦者票。ただ1点、「『去來抄』と『花實集』」節にある「蕉門他流の秘蔵書であったならば、其角・嵐雪ならば『花實集』の企ては無かったであろうし、許六・支考・越人・野坡などであればこれを秘することは無い」という箇所について、おそらく芭蕉門下の人間関係がかかわっているのだろうと推測できるのですが、専門知識に乏しい読者のためにもう少し詳細な説明があってもよいのではないかと感じました。--Pastern(会話) 2012年11月13日 (火) 01:55 (UTC)
- 賛成
- 「概要」の節の使い方が気になります。『去来抄』の構成・内容と成立事情とをいっしょにして解説していますが、このような構成にする必要性があるでしょうか。2段落目は「成立」や「成立背景」、1段落目と構成の紹介部分は「内容」「構成」「各部概略」などにして分離したほうがよいのでは。曾良旅日記と構成をあわせる意図もあったかもしれませんが、「概要」はWP:LSにあるように本来は記事全体の要点の説明として使うべきもので、さほど長くはない記事には見出しとしては不要な物です。残念ながらそのような例を非常によく見かけますが、解説の主題をはっきり提示せずにあれこれと記事主題について述べる節として使用するのは記事構成の観点からしてできる限り避けるべきでしょう。
- 各部の内容を述べているところで前書き的なものが掲げられていますが、この書き方だと前書きなのか本文からの抜粋なのかわかりにくいのではないかと思います。最初の先師評の部分だけでも注などで前書きであることを断ってはどうでしょうか。また現代語訳があったほうが親切だと思います。語や人名などでないものに定義の箇条書きを用いているのも気になるのですが、この場合他の書き方がちょっと思いつけないのでこの場では気になったというにとどめます。
- 導入部ですが、「1702年(元禄15年)頃から去來が没した1704年(宝永元年)にかけて成立したとみられ、その後70年以上を経た1775年(安永4年)に板行されて世に流布したが、本書が去來の著したものであるか否かが問題視されてきた[1]。 蕉風の根本問題に触れた批評が多く蕉門の俳諧書として良くまとまり、近世俳諧史上、蕉風俳論の最も重要な文献とされている[2]。」というのは前後の文章のつながりが悪いというか、そんな疑いが持たれていたのになぜそんなに重視されたのだろう、というような疑問を抱かせかねないような気がします。「(・・・)に板行されて世に流布した。蕉風の根本問題に触れた批評が多く蕉門の俳諧書として良くまとまり、近世俳諧史上、蕉風俳論の最も重要な文献とされている[1]。一方で、本書が去來の著したものであるか否かがながく議論の的となっていた[2]。」のような形に直したほうがよくはないでしょうか。
- 特に先師評はよく引用される箇所もあり、もうちょっと内容に触れてもいいのではないかとも思われたのですが、あまり踏み込みすぎると松尾芭蕉や蕉風に書くべきようなものになってしまいかねず、また本文の構成上バランスよく全体に触れるということも難しそうなので、この点は仕方ないところでしょうか。当記事執筆者の責ではありませんが、芭蕉の記事が未整備なのが惜しまれます。
- 「『去來抄』と『花實集』」の節は、やや逐次的に追いすぎてドキュメンタリー的になっているような印象も受けたものの、研究史として興味深く読ませていただきました。諸本の解説のほか注釈も充実しており、書誌典籍の記事として良質な記事と言える質に達していると思いますので賛成票を入れさせていただきます。上述の概要については目立つ部分でもあり、この点は特に再検討を希望します。--頭痛(会話) 2012年11月17日 (土) 11:18 (UTC)
- 賛成 去来抄そのものが論じている内容は、私のような人間にはわかりづらいですが、どのような本であるかはわかりやすく説明されていると思います。後段、「成立」の節に含まれていますが、実際のところこの節の後の方は研究史のような話になっているようなので、節構成に再考の余地があるかと思います。--Tam0031(会話) 2012年11月24日 (土) 17:05 (UTC)
賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2012年11月26日 (月) 17:08 (UTC)