Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/佐伯敏子 (反核運動家) 20161211
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佐伯敏子 (反核運動家) - ノート
[編集]選考終了日時:2016年12月24日 (土) 17:16 (UTC)
- (自動推薦)2016年11月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2016年12月10日 (土) 17:16 (UTC)
- 賛成 記述から察するに、まだ御存命なんですね。いつ死んでもおかしくないとされた人が、こんなに長命であるというのは不思議な感じですね。文章は、やや体言止めが多いように感じられましたが、きちんとこの方の生涯を追って書けているものと思います。長兄の長男が1964年に自殺したと※5番に記載されていますが、1964年は被爆の19年後であって9年後ではないと思います。「濃厚な残留放射能を浴びて」という表現はとても気になるのですけど(浴びるのは放射性物質か放射線であって、放射能ではないはず)、元文献にそのように記載されているのでしょうか。--Tam0031(会話) 2016年12月12日 (月) 15:45 (UTC)
- 初版投稿者です。ご意見ありがとうございます。長男の没年、放射能の件、ともに元文献で再調査してみます。すでに図書館に返却しており、遠方の図書館からの取り寄せになりますので、少々お待ちください。体言止めが多いのは癖かもしれませんね。長男の件では確実に手を入れなければなりませんので、そのとき合せて文体を見直してみたいと思います。--逃亡者(会話) 2016年12月12日 (月) 17:07 (UTC)
- 再確認を終えました。長兄の長男の没年はご指摘通り19年後でした。失礼致しました。「放射能」の件は放射能#概要のような誤用ということですね。申し訳ありません、実は門外漢なのです……。今回の出典としては参考文献にあります読売新聞・1992年8月5日大阪朝刊のp30に「濃厚な残留放射能を浴びた」、『NHK 戦争を知っていますか 語り継ぐ女性たちの体験』1のp112に「残留放射能をあびて」とありました。ほかに、『戦争を知っていますか』のp109に「残留放射能の被爆後遺症」とありました。同じく参考文献『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』には、佐伯氏ではなくほかの入市被爆者についてですが、p112で「残存放射能で被爆し」との表現がありました。2016年12月17日 (土) 07:17 (UTC)の修正時点ではまだ直しておりませんが、「残存放射能で被爆」が妥当でしょうか?--逃亡者(会話) 2016年12月17日 (土) 07:18 (UTC)
- 丁寧な作業、ありがとうございます。「残存放射能で被曝」かもしれません。原爆の直接の被害を受けることが「被爆」で、放射線を浴びることは「被曝」と区別されるはずですので。まあ、出典に従って書いた方が良いのかもしれません。--Tam0031(会話) 2016年12月17日 (土) 10:26 (UTC)
- 出典上は確かに「被爆」でしたね。出典と異なる表記になるので迷いましたが、誤用のまま通すのも憚られ、「残存放射能で被曝」に改めました。そのほかの加筆ついでに修正済みです。ご助言ありがとうございます。--逃亡者(会話) 2016年12月17日 (土) 21:36 (UTC)
- 丁寧な作業、ありがとうございます。「残存放射能で被曝」かもしれません。原爆の直接の被害を受けることが「被爆」で、放射線を浴びることは「被曝」と区別されるはずですので。まあ、出典に従って書いた方が良いのかもしれません。--Tam0031(会話) 2016年12月17日 (土) 10:26 (UTC)
- 賛成 ボランティア活動に身を捧げた方について、一定の説明があるものと思います。なぜこれほどまでボランティアに打ち込めたのか、自分の理解の範疇を超えていますが、原爆体験が相当に強烈なものだったのでしょうね。選考の賛否には影響しないのですが、2点ほどご検討いただければと思います。1点目は、誕生年月日や兄弟構成を人物歴の冒頭で説明いただけますでしょうか。姉、兄、妹の記述が現れる都度、どこかで登場済みの人物なのか若干戸惑いました。たとえば、「1919年12月24日、和紙作りを営む家に誕生した。○人兄弟の△番目で兄2人、姉1人、妹が1人いた」のような感じにしていただくのはいかがでしょうか。2点目は、「しかし20歳代後半頃より、間接被爆による原爆症が本格化した」の文が気になりました。1919年12月誕生で1945年8月に被爆とすると、被爆時で25歳ですよね。原爆直後で既に20歳代後半なので、文章に違和感があります。出典でご確認できる範囲で十分なので、可能であればもう少し具体的にご説明いただけると嬉しいです。--Mogumin(会話) 2016年12月21日 (水) 14:25 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。手元に残してある文献を確認しましたところ、家族構成は『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』にありましたので、後ほど追記してみます。原爆症が本格化した時期は、『原爆供養塔~』や、先の『NHK 戦争を知っていますか』にはありませんでした。他の文献によるものか、もしくは「歯が全部抜けたのが28歳」なので、自分で勝手に20代後半と解釈してしまったかもしれません。選考終了までに確認可能かは微妙ですが、間に合いませんでしたら、結果はノート:佐伯敏子 (反核運動家)にて報告させて頂きます。よろしくお願いいたします。--逃亡者(会話) 2016年12月21日 (水) 21:09 (UTC)
- 原爆症の時期ですが結局、時期を明記した出典が見つかっておりません。自分で勝手に20代後半と解釈してしまったようです。家族構成の追記と共に、WP:V・WP:NORの観点より「20代後半」を除去し、単に「やがて本格化」のような表記に改めさせていただきました。ノート:佐伯敏子 (反核運動家)でも触れましたが、遠方の図書館の蔵書にほかの資料の心当たりがありますもので、詳細な原爆症の時期は、いずれその図書館へ行った際の調査課題とさせていただきたく思います。よろしくお願いいたします。--逃亡者(会話) 2016年12月24日 (土) 00:42 (UTC)
- 賛成 初版投稿者の逃亡者さんが得意とされている、必ずしも知名度は高くないけれども味わい深い人物の伝記ですね。読後感としてはこのような方々の存在があって、ある意味社会が成り立っているのだなあ~と感じました。文献に基づき丁寧に執筆されており、総体として広島の原爆投下以降、反核、平和運動に一生を捧げることになった人生が良くわかるものとなっています。GAの選考基準に合致するものと判断し、賛成票を投じます。--のりまき(会話) 2016年12月22日 (木) 22:13 (UTC)
- 賛成 出典もしっかりしており、業績をうまく網羅していて良質な記事の基準に達しているのではと思います。大変細かいことで恐縮なのですが、ひとつだけ少し気になったところをあげますと、現在注の32番となっている出典が出版社のフェイスブックポストとなっており、どうやらこれは『致知』1999年10月号特集「勤勉の哲学」からの転載であるようなので、孫引きになっています。もうひとつ同じ箇所で使われている出典は同出版社のメールマガジンで、実質的に同じ『致知』1999年10月を出典にしているように見えますので、注の32番は少々過剰脚注気味ということでなくしてよいのではと思います。できれば『致知』の該当号を確認できればよいのでしょうが、こちらは普通に売られていないようですので確認は難しいのかもしれませんね。いずれにせよ、現在の注32番にあたるフェイスブックポストは削除し、31番のみを出典として使用するほうがすっきりするのではと思いました。--さえぼー(会話) 2016年12月23日 (金) 12:44 (UTC)
- お2方ともご賛成ありがとうございます(まとめての返答で失礼します)。出典の件は、『致知』が仰るような事情からか手近な図書館になく、閲覧に苦労し、ネットで閲覧可能な出典をあちこちから集めた結果、過剰出典になってしまったようです。フェイスブックポストは削除させていただきました(参考文献に示しましたように『致知』の現物も読みましたが……年末のドサクサでコピーを紛失しました。申し訳ありません)。記事が長くなりますと細かい箇所を見落とし気味になりますもので、細かな箇所までご指摘頂けるのは、これまでの皆様同様、感謝している次第です。ご意見ありがとうございます(選考とはまったく無関係ですが、選考終了日の今日は奇しくも佐伯氏の誕生日でした)。--逃亡者(会話) 2016年12月24日 (土) 00:42 (UTC)
選考終了時点で賛成3票以上のため、通過となります。--Tam0031(会話) 2016年12月25日 (日) 12:57 (UTC)