Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中国大返し 20101011
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選考終了日時:2010年10月24日 (日) 19:30 (UTC)
- (自動推薦)2010年9月度の月間新記事賞受賞記事。--totti 2010年10月10日 (日) 19:30 (UTC)
- 賛成 長らくリダイレクトになっていましたが、月間新記事賞を受賞しました。参考文献も豊富で、備中高松城攻めから山崎の戦いまで時系列的に解りやすいと思われます。良質な記事の目安とされています4点は満たされている考えます。執筆者は本記事内容でWikipedia:月間感謝賞/投票/2010年9月も受賞されており、良質な記事を加えることに賛成させて頂きます。--ブレイズマン 2010年10月11日 (月) 12:32 (UTC)
- 反対 「月間新記事賞」というイベントへのエントリ、という条件を満たすためには仕方がなかったのかもしれませんが、備中高松城の戦い、本能寺の変、山崎の戦いと別個に独立項目する意義がそもそもあったか微妙です。中国大返しの記事名で立項するのであれば、その歴史的意義よりも、むしろ軍事学上の意義により焦点をあてるべきでしょう。また参考文献に、百瀬明治氏と井沢元彦の著書があがっていますが、これらが信頼できる情報源といえるかどうか疑念も残ります。穿った見かたをすると、単に注釈を水増しできるという理由で使用されているようにも見えます。--Kangoshiyouichi 2010年10月14日 (木) 14:37 (UTC)
- コメントブレイズマンさん、Kangoshiyouichiさん、御意見ありがとうございます。そもそも不要な記事ではなかったかというのは、発想としてはアリだとは思います。逆に言えば、だからこそ、この記事は構成や盛りこむものの取捨に工夫しがいがあったと思っています。果たしてそれが成功しているかどうかは別にして。それから、百瀬明治と井沢元彦の件ですが、「信頼できる情報源」なのかどうかは、ある程度、読者個々人の判断ないしメディアリテラシーに委ねられてよいと考えます。だから、検証が可能なように、出典は明記しなくてはならないということなのだと思います。Kangoshiyouichiさんは、軍事学についてはお詳しいようですので、後学のためにうかがいますが、「中国大返しの軍事学上の意義」とは何でしょう。かいつまんで御説明ください。--Chokorin 2010年10月14日 (木) 18:08 (UTC)
- コメント上記議論になっている「中国大返しの軍事学上の意義」と私が考える「中国大返しの軍事学上の意義」は違うかもしれませんが、よく聞く話としてノート:中国大返しでも議論になっている「どうしてそんなに早く移動できたのか」という点の明記があればと思います。例えば、歴史的史実はないものの兵員輸送に船も使用したとの見解が示されている出典がないか、また文中にある「この速さについては、「足軽大将」の本領がいかんなく発揮されたという見解もある」とはどうゆう見解なのか、約10日間で冒頭部分にあるような「約200キロメートルを踏破した、日本史上屈指の大強行軍」の大強行軍がどうして可能だったのか、文中にはいくつかの記載がありますが、歴史的流れとは節を分けて記載があっても良いかと思います。現在の版は、月間新記事賞、月間感謝賞を受賞、良質な記事の目安も十分満たされていると私は思いますが、その分の加筆があれば、より良い記事になるのではと思われます。--ブレイズマン 2010年10月18日 (月) 08:34 (UTC)
- コメント「どうしてそんなに速く移動できたのか」については、実はそれを示す史料がありませんので、すべては推論にすぎません。また、高松城を6月4日に出発したと記す文献もあれば6日と記すものもあって、どちらに立つかによって「速さ」も変わってきます。船を使ったのではないかというのも、後から考え出した推論であり、史料的・物的な証拠があるわけではありません。ただ、この「神速」とも呼ぶべき速さを秀吉は最大限に政治的に用いたのではないかという論考はございます。「足軽大将」云々は、井沢元彦氏の指摘するところであり、そのような専門家以外の所見は掲載すべきでないという意見もありますので扱いの難しいところですが、加筆しても1行か2行程度の分量にしかならないと思います。この記事は、ブレイズマンさん、Kangoshiyouichiさんのおっしゃることとは別の点から手直しが必要だとみなしており、ある程度自分で納得できるところまで手直しが進んだら、そのときは選考に自薦したいと思っています。おっしゃるように、改善の余地の多い記事であることは確かであり、御意見はありがたく感じております。もし、ほかにお気づきの点がございましたら、また御教示ください。--Chokorin 2010年10月19日 (火) 02:51 (UTC)
- コメント「すべては推論にすぎません」という点に関しては、恐らくそうではないかと思っております。自身の考えを記述する場合Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する可能性がありますので問題です。が、信頼できる公刊された情報源で、かつWikipedia:信頼できる情報源の[意見]の項目にも「ある人やグループがある意見を表明したということは事実であり(つまり、その人がその意見を表明したのは真である)、そのことが検証可能である(つまり、そうした人や団体が意見を表明したことを示す適切な情報源を参照できる)ならば、そのことはウィキペディアに含めることができます」とあり、またWikipedia:検証可能性でも「「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」との指針が示されております。従いまして、出典を正しく明記したうえで、記述に沿った推論をウィキペディアに掲載することは可能であると思われます。上記「歴史的史実はないものの兵員輸送に船も使用したとの見解が示されている出典がないか」と記したのはその為であります。
- 現在の版も良質な記事の水準は満たされていると私は考えておりますが、「どうしてそんなに早く移動できたのか」という話はよく聞く話ですので、「ある程度自分で納得できるところまで手直し」をお考えるようでしたらその点もご留意頂ければ幸いです。--ブレイズマン 2010年10月19日 (火) 07:18 (UTC)
- コメント「どうしてそんなに速く移動できたのか」については、実はそれを示す史料がありませんので、すべては推論にすぎません。また、高松城を6月4日に出発したと記す文献もあれば6日と記すものもあって、どちらに立つかによって「速さ」も変わってきます。船を使ったのではないかというのも、後から考え出した推論であり、史料的・物的な証拠があるわけではありません。ただ、この「神速」とも呼ぶべき速さを秀吉は最大限に政治的に用いたのではないかという論考はございます。「足軽大将」云々は、井沢元彦氏の指摘するところであり、そのような専門家以外の所見は掲載すべきでないという意見もありますので扱いの難しいところですが、加筆しても1行か2行程度の分量にしかならないと思います。この記事は、ブレイズマンさん、Kangoshiyouichiさんのおっしゃることとは別の点から手直しが必要だとみなしており、ある程度自分で納得できるところまで手直しが進んだら、そのときは選考に自薦したいと思っています。おっしゃるように、改善の余地の多い記事であることは確かであり、御意見はありがたく感じております。もし、ほかにお気づきの点がございましたら、また御教示ください。--Chokorin 2010年10月19日 (火) 02:51 (UTC)
- コメント上記議論になっている「中国大返しの軍事学上の意義」と私が考える「中国大返しの軍事学上の意義」は違うかもしれませんが、よく聞く話としてノート:中国大返しでも議論になっている「どうしてそんなに早く移動できたのか」という点の明記があればと思います。例えば、歴史的史実はないものの兵員輸送に船も使用したとの見解が示されている出典がないか、また文中にある「この速さについては、「足軽大将」の本領がいかんなく発揮されたという見解もある」とはどうゆう見解なのか、約10日間で冒頭部分にあるような「約200キロメートルを踏破した、日本史上屈指の大強行軍」の大強行軍がどうして可能だったのか、文中にはいくつかの記載がありますが、歴史的流れとは節を分けて記載があっても良いかと思います。現在の版は、月間新記事賞、月間感謝賞を受賞、良質な記事の目安も十分満たされていると私は思いますが、その分の加筆があれば、より良い記事になるのではと思われます。--ブレイズマン 2010年10月18日 (月) 08:34 (UTC)
選考終了時点で賛成1票、反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031 2010年10月25日 (月) 14:03 (UTC)