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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ヨシップ・ブロズ・チトー 20240911

選考終了日時:2024年9月25日 (水) 00:04 (UTC)

コメント チトーの生涯を中心として、要点を手堅くまとめた良い記事であると思いますが、以下の点が気になりました。
  • 「第二次世界大戦」節「同年には逃亡していたドラジャ・ミハイロヴィッチを逮捕し、欧米諸国の助命嘆願を無視する形で7月に銃殺刑に処した」、「外交」節「こうしたチトーの政治思想はスターリン主義者によってチトー主義と呼ばれ、他の社会主義国においては反体制派粛清の口実にもされた」などに出典がありません。
  • チトーは近現代史の重要人物ですから、評価およびその後の影響については、独立節での解説が必要であると思います。
  • 一部の記述に疑問点があります。
  1. 「生い立ち」節に「チトーの生年月日は、正しくは1892年5月7日であるが」とありますが、各種書類において生年月日がまちまちであるなか、何をもってこの誕生日が正しいとされているのでしょうか(戸籍上の生年月日という意味でしょうか)。
  2. 「第一次世界大戦時代」節において「結局1915年春ロシア戦線のカルパチア地方へと転属させられ、同地でキルギス人の騎馬部隊と戦うも、槍で突かれ重傷を負い、捕虜となった」となっていますが、英語版の記述では「チェルケス人」となっており、地理的にはこちらのほうが自然なように感じます。
  3. 「第二次世界大戦」節に「ロンドン亡命政府を始めとする西側諸国はユーゴスラビアでの唯一の闘士はミハイロヴィッチであると宣伝していた」とありますが、「西側諸国」は、東西冷戦以前の諸政府を指す言葉として適切なのでしょうか。
--Nux-vomica 1007会話2024年9月11日 (水) 23:15 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。おこがましいですが、主執筆者の途方シネマズです。ご指摘ただいた内容について回答いたします。↓の番号はNux-vomica 1007さんの番号とは一致しません。
  1. ミハイロヴィッチの最期については、別の方が挿入されたのですが、出典を付記しました。助命嘆願の有無は参考文献に記載がなかったためその部分は除去。
  2. 生年月日ですが、申し訳ありません言葉足らずでした。戸籍上の生年月日が1892年5月7日です。その他の生年月日、5月5日生まれ、5月12日生まれ、5月25日生まれ、6月3日生まれについては、5月25日生まれは軍隊時代の書類というのは参考文献から読み取れましたが、それ以外の月日については何の書類によるものかが読み取れなかったので除去しました。それか、生まれた日については諸説あるくらいにした方が良かったでしょうか?
  3. 第一次世界大戦時代の負傷については、文献によって、キルギス人、チェルケス人とバラバラに記載されていました。キルギス人については、文献の「チトーと語る」でチトーの発言です。「独裁者が変えた世界史上巻」と「チトーは語る」では、チェルケス人になっています。「チトーと語る」のキルギス人を採用しましたが、地理的にはチェルケスの方が正しいということであれば、他の方の指摘を待ってから、どうするか考えて修正いたします。出典はキルギスもチェルケス混在しているので、それも修正します。
  4. 「スターリンの政治思想は・・(中略)・・・粛清の口実にされた」については、元々あった記述ですが、出典が無かったため除去するはずが漏れていました。文献を読んでいても、該当する記述はなかったと思います(もし見つかったら出典を付記の上で加筆します)。
  5. 第二次世界大戦中でありながら、「西側諸国」という記述の是非について。例えば「自主管理社会主義への道 : カルデリ回想記(1982年出版)」において、「1941年の間、および1942年の大半を通じて、西側諸国政府は、チェトニックを・・・・」という記述はあります。ただ、戦後の文献による内容なので、その当時時点での記述として、「西側諸国」という記述が適切かどうかは、申し訳ないですが判断ができません。文脈からこの国だろうというのを推測できますが、かといって出典に無いことを書いても良いものかどうか・・・。井戸端で確認する内容なのでしょうか・・・。
以上、長文になりましたが、私の回答は以上です。頂いたご指摘は今後記事を執筆するうえで励みになります。--途方シネマズ会話2024年9月12日 (木) 07:31 (UTC)[返信]
ご対応いただきありがとうございます!先に読んだときには見落としていたのですが、「1978年には社会主義国初の冬季オリンピックであるサラエボ五輪の誘致に成功した」にも出店を付与していただきたく思います。第一次世界大戦時代の負傷については、出典ごとに揺れがあるならば、両論併記あるいは「ロシア軍の騎兵」程度の記述にとどめておくのが好ましいと考えます(ただ、google scholarの検索結果などを見る限り、少なくとも英語資料においてはチトーを負傷させたのはチェルケス人であるという記述が多く、私見ながら「キルギス人」については高橋の聞き間違いであるようにも思います)。「西側諸国」については1980年代の出典そのままということで、私なら鍵括弧を補って「ロンドン亡命政府を始めとする、エドヴァルド・カルデリいわく『西側諸国』は…」としたいなかと思いました。最後に評価およびその後の影響についての記述なのですが、英語版の「Evaluation」および「Legacy」節をそのまま訳出すれば、GACに照らし合せて十分な網羅性を担保できるのではないかと考えます。--Nux-vomica 1007会話2024年9月12日 (木) 19:41 (UTC)[返信]
ご指摘いただいた内容ですが、下記対応しました。
  1. サラエボ五輪の招致については、出典が見つけられなかったため除去。チトーとサラエボ五輪の英語版の記事でも特にチトーに関する言及はありませんでした。在任中の出来事で、五輪を招致したのだろうと思われますが、推測で書くわけにもいきません。
  2. チトーを負傷させたのは、キルギス人か?チェルケス人か?ですが、ロシア帝国軍としました。
  3. 第二次世界大戦中なのに西側諸国となっている記述については、Nux-vomica 1007さんのご指摘のように変更しました。
  4. 死後の評価などについて。英語版の「Evaluation」および「Legacy」節を翻訳することにします。Legacy節は見たところ、日本語で言えば要出典となっている部分もあるため、気を付けて翻訳します。
それでは、あとは頑張って翻訳します。記事の文章の表現、文章内容、読点については、私は文章や文章構成が壊滅的に下手なので、修正頂ければ幸いです・・・。--途方シネマズ会話2024年9月13日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
昨日、EvaluationとLegacyの節を翻訳いたしました。アメリカ合衆国国務省のA.ロス・ジョンソンのコメントが、えらく回りくどくて難解で、自信がないですが、一旦できるだけのことはやれたかなと思います。--途方シネマズ会話2024年9月15日 (日) 04:46 (UTC)[返信]
賛成 返信遅れまして申し訳ございません。記事の加筆を確認いたしました!チトーについてよくわかる、良い記事になっているものと考え、賛成票を投じさせていただきます。--Nux-vomica 1007会話2024年9月15日 (日) 07:03 (UTC)[返信]
賛成 Nux-vomica 1007さんとのやり取りを経て、良質な記事の水準を十分満たす記事になったかと思います。--Keeezawa会話2024年9月16日 (月) 08:20 (UTC)[返信]
反対 英語版からの訳出部分について全般に日本語があやしいため。また「ロス・ジョンソンのコメントが、えらく回りくどくて難解」とのことですが、確認したところ論旨自体は明快かつ平易でした。この文章が難解に感じられてしまうと、翻訳以外の執筆箇所についても不安になる方がいると思われます SURUGA tank会話2024年9月16日 (月) 14:55 (UTC)[返信]
(追加コメント)言おうか迷いましたが、governed collectivelyを共同統治と訳出されていて、私としては「どっちらけ」でした。こういうのは英語とか翻訳とか「文章や文章構成」の問題ではないと思います --SURUGA tank会話2024年9月16日 (月) 15:24 (UTC)[返信]
賛成 英語版と比べてコンパクトですが、良質な記事の水準は十分満たす記事と思います。--アロイス・ヒトラー会話2024年9月16日 (月) 22:41 (UTC)[返信]