Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/プリマス植民地 20110624
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選考終了日時:2011年7月8日 (金) 08:55 (UTC)
- (推薦)英語版FAからの翻訳記事になりますが、脚注、参考文献も整備されており、また、インディアン(ネイティブ・アメリカン)からの論説も提示されていることから、中立性も確保できている記事と考え、他薦ですが、推薦させていただきます。--Tantal 2011年6月24日 (金) 08:55 (UTC)
- 賛成 推薦者票。--Tantal 2011年6月24日 (金) 08:55 (UTC)
- コメント 面白い記事だとは思いますが、まだ欠けているところがあるように思います。歴史の説明が、インディアンとの関係および新たな入植者の到着を中心に書かれていますが、植民地の政治機構がどう発達したのか、冒頭の地図に描かれている各町がどのように設立されていったのか、そういった観点が歴史の節にあまり出てきていないように思います。「政府と法律」の節に政治機構についてやや説明がされていますが、最初からこういう機構が設立されて選挙が行われていたのか、発足したばかりの植民地で議会がどう開かれていたのか、いまひとつ分かりません。表を見れば、最初の知事はカーバーのようですが、「最初の冬」の節では「ジョン・カーバーがマーチン知事に代わって知事に選ばれた」とあって、マーチンが先に知事になっていたようにも思われます。移住する船の中での指揮関係と植民地での政治組織が混同されているのではないかと思えます。さらに、1621年2月終わりにカーバーが知事になっているように読み取れますが、その後3月にマサソイトとマーチン知事が和平条約を結んだことになり、事実関係が混乱しているようです。「最初の感謝祭」節では、「1621年遅くの秋の祭りは、後に「最初の感謝祭」として知られるようになったが、ピルグリムにとっても知らないものだった。」とありますが、これでは意味がよく分かりません。後の文章を読むと、どうやらこの秋の祭りのことをピルグリム自体は「最初の感謝祭」と認識していなかったということを言っているようですが、翻訳に起因するのかいまひとつ日本語として理解しやすいものになっていないように思えます。そういった箇所は他にも見られるようです。また、インディアンとの抗争の関係で軍隊組織が作られていたように読み取れますが、であればそれがどのような組織であったのかについても「政府と法律」などの節で説明が必要だと思います。地理の説明では、人口動態はおおむね分かるものの、この地域の広さがいまひとつ分からないので、面積あるいは地図上のスケールが欲しいです。あまり細かいことは現代のマサチューセッツ州の記事のほうに譲るべきなのかもしれませんが。--Tam0031 2011年6月25日 (土) 06:49 (UTC)
選考終了時点で賛成1票のみのため、今回は見送りとなります。--Tam0031 2011年7月8日 (金) 15:51 (UTC)