Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/フランク王国 20170811
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選考終了日時:2017年8月25日 (金) 00:07 (UTC)
- (自動推薦)2017年7月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot(会話) 2017年8月11日 (金) 00:07 (UTC)
- 賛成 歴史のみならず、言語、制度、貿易などと手広く(出典付きで)カバーしており、良質な記事どころか秀逸な記事の選考も容易く通過できるほどの出来であると考えます。いずれにせよ、自動推薦がなされたので、まずは良質な記事の目安を満たすものとして、賛成票を投じます。--ネイ(会話) 2017年8月12日 (土) 04:04 (UTC)
- 賛成 いやー、すごい記事ですねえ。このクラスの大きなテーマを1記事にまとめるのはえらい大変なことで、細切れにするか、出来合いの英語版記事を翻訳して持ってくるかでないとなかなかモノにならないと思うのですが、しっかりと日本語文献を使ってじっくり執筆されています。翻訳記事がダメってことではないのですが、この主題で翻訳されると出典が事実上検証がかなり難しくなってしまうので、日本語文献を下敷きにしていただくととっても嬉しいですし、日本語文献でも真摯に取り組めばここまでできる、ということを示すにもお手本になります。それにしても、これだけの記事でこれだけ赤リンクがあるというのは(2、3、リンク先を見つけましたが)、フランス史関係の記事を書く方は大変ですねえ。先は長い、って感じですよねえ。
- 記事の質に関係ない、すごくどうでもいいことをいくつか言います。
- 600年頃の地図画像は、もうちょっと下の位置の「分割と統一」節にあったほうが、本文との繋がりが密接になると思います。
- 「クロタール2世とダゴベルト1世」節の最後の段落に出て来る「サン=ドニ修道院」という赤リンクには、暫定的に仮設としてサン=ドニ大聖堂にリンクできるかもしれません。正確には別の事物のようですが、読者には参考にはなると思います。
- このスケール感の記事にこういうこと言い出すとキリがないんですけど、「カール大帝(シャルルマーニュ)」節のあたりに、どうにかしてローランの歌へのリンクを挿入できないかなと思いました。(素人考えでは、この作品はこの記事のスケールの中でも、いちいち言及するには値しない些末な物、ではないぐらい有名なんじゃないかなー、と思います。どうなんでしょう。成立時期が違うからあれなのかな?)--柒月例祭(会話) 2017年8月12日 (土) 15:33 (UTC)
- 賛成 西洋史において重要な項目であり、フランク族の登場から王国分裂までの歴史および王国の制度に関し、一通りのことが詳細な注釈・出典付きで記述されており、良質な記事に値するものと思います。なお記事の評価とは関係ありませんが、赤リンクに関し、表記ゆれか異なるものか、分からなかった項目を以下記しておきます。
- 747年、突如カールマンが俗世を放棄してイタリアのモンテ・カシーノ修道院に隠棲するという事件が発生した。 - 「モンテ・カシーノ」は「モンテ・カッシーノ」でしょうか?
- カールマンはブルゴーニュ(ブルグンディア)、アレマニエン、ラングドッグ、プロヴァンスを分割して継承した。 - 「ラングドッグ」は「ラングドック」でしょうか?
- 次男ロタール2世がフリースラントからジュラ山地までを(この地方は後にこのロタール2世の名にちなんでロタリンギア(ロートリンゲン)と呼ばれるようになる)、 - 「ジュラ山地」は「ジュラ山脈」でしょうか?--Iso10970(会話) 2017年8月13日 (日) 06:49 (UTC)
- コメントありがとうございます。まだ書きかけですがもう少し加筆したら歴史節をちょっと整理して圧縮して17,8万バイトあたりでまとめたいと思っています。地名については大体ご指摘の通りだと思うのですが、現在かなりタチの悪い風邪を引き込んでしまい脳みそが働かないので復活したら修正しようと思います。--TEN(会話) 2017年8月14日 (月) 12:20 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Loasa(会話) 2017年8月15日 (火) 09:57 (UTC)