Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ヒジュラ 20210722
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選考終了日時:2021年8月5日 (木) 23:59 (UTC)
- (推薦)自薦。イスラームの預言者であるムハンマドがメッカからマディーナに移住した出来事についての記事です。お世辞にも長いとは言えない記事ですが、必要な情報は網羅していると思います。--Takenari Higuchi(会話) 2021年7月22日 (木) 23:59 (UTC)
- 賛成 :推薦者票。--Takenari Higuchi(会話) 2021年7月22日 (木) 23:59 (UTC)
- コメント まず、私はイスラムに関しては全く知識がない、ということを表明しておきます。そのうえでですが、この記事に書かれている内容は「コーランに書かれた物語」なのでしょうか。それとも何か別の手段、たとえば考古学的手段とか歴史史料に基づく考証とか、によって検証された「歴史事実」なのでしょうか。記事を概観してもそこがわからないです。
- 印象でいうと、全体が「コーランに書かれた物語」のようにみえます。しかしながら「#洞窟での潜伏」には、「この出来事はクルアーンにも記されている」としてコーランの一節が引用されており、逆に考えるとこれ以外の部分はコーランに由来しないようにもみえます。(ムスリムの方からすれば、コーランの記述=事実、ということになるのかもしれませんが。)
- どちらであってもよいのですが、どちらにしても記事の冒頭に近い部分で、そこをはっきりさせるべきです。--柒月例祭(会話) 2021年8月2日 (月) 08:06 (UTC)
- 例をあげると、GAエレウシスの秘儀#「デーメーテール讃歌」では、「これは物語に書かれた内容だ」と明瞭にわかるように前提した上で、「(第1行 - 第90行)」などの形式で根拠を示し、別の節(「#解釈」など)で分析的記述をしています。GAイスラームにおけるイーサーや、FAシビュラの託宣の#内容と成立年代も、方式は違いますが分析的記述が行われています。必ずしも1記事のなかで「お話の内容」と「分析的記述」の両方を書く必要はなく、別記事仕立てにしてもよいのですが、現状ではそこが不明瞭です。--柒月例祭(会話) 2021年8月2日 (月) 08:27 (UTC)
- 返信 :ありがとうございます。この記事の内容は「コーランに書かれた物語」か「歴史事実」かとのことですが、簡潔に言えば、これは歴史事実です。とはいえ、初期イスラームの記録は当時のムスリムの伝聞に頼っている面が大きく、かつそうした伝聞をまとめた『預言者伝』などの歴史書が編纂されたのもヒジュラから100年以上経った後なのです。エレウシスのように放棄?され遺跡となってしまった都市ならともかく、マッカやマディーナのような大都市だと考古学的な手段も用いることが出来ないのでしょう。現にイスラーム初のモスクである預言者のモスクもムハンマド時代の面影は全く残っていません。なので、現在私たちが読むような歴史書の多くも、『預言者伝』などに伝わる伝聞やクルアーンに歴史学的な考証を加えた内容をもって「史的ムハンマド」としています。「追手が来た時にちょうど蜘蛛が洞窟の入り口に巣を張った」というのも伝聞のひとつですが、歴史書ではまず事実としては扱われていません。 --Takenari Higuchi(会話) 2021年8月2日 (月) 09:45 (UTC)
- 念のためクルアーンの全章を読み、引用以外の部分はクルアーンに由来しないことを確認しました。--Takenari Higuchi(会話) 2021年8月2日 (月) 16:06 (UTC)
- 返信 ありがとうございます。お手数をおかけしました。
- 私がこの分野に疎いのであくまで一般論にとどめますが、いまの歴史学のスタンスからは、7世紀頃の出来事について当時(100年経っているとはいえ)の文書の記述をそのまま「史実」として受け容れるのは
不可能だどうだろう、と私は思います。全然出どころのちがう複数のソースの内容が一致しているとか、考古学的証拠が出てくるとか、現代的な検証が必要です。ですがいまの記事からはそうした過程がみえてきません。形式的には数多くの日本語文献が出典として示されているのですが。 - たぶん(知識のない私の想像ですよ)、「誰それはほにゃららした(『出エジプト記』12-6)。」みたいな格好で記述していただければ、それが史実なのかどうかはさておき「そういうことになっているのだ」と読者にもすぐわかります。これは日本史でも西洋史でも一緒なハズ。ただし私の知識は日本史と英国史に偏向していますので、イスラム史ではこれが常識ですと言われてしまえば反論するだけの材料は私にはないです。
- 雑なことを言うと、記事の最初の方で「『預言者伝』などの歴史書によれば」「イスラムの信仰では」などと明記していただくだけでも全然違うと思います。英語版en:Hegiraは(検証可能性の精度では日本語版の方が上だと思いますが)「Migration」節の出だしが「Muslims believe・・・」で始まっているので、これが史実であるかどうかには直接言及をせずに「イスラムではこういうことになっている」という書き方になっています。(ムスリムではない私から見ると、「これが史実なのだ」と言われても受け容れられないし「伝説と史実の区別がつけられていない」としか思えないです。)
- 「マッカ脱出」節の1段落目の後半部に一文だけ、「Muir(1858a)」による分析的記述がみられます。全体的な構成のしかた自体はいろいろあってよいのですが、私はこの一文だけが異質にみえます。「ストーリー」を説明するのと、「現代人による解説・注釈」は分けるべきじゃないかなあと思います。私だったら、この一文は「注釈」にしてしまってもよいと思います(あくまで全体は「お話」だよという格好です)。
- 「お話」そのものは詳しく書かれており、とてもわかりやすいと思いました。あえていうと「アリー」君は誰?ってとこですね。イスラム素人の私にはこの記事だけでは読み取れないのですが、役割的には「モハメットのピンチを救った人で、その功で聖人の一人とされている」みたいな(源頼朝に対する梶原景時的な)人なのかなとか。
- 現時点では「賛成」はできないです。でも単に私の知識不足かもしれないので「反対」とはしません。--柒月例祭(会話) 2021年8月3日 (火) 16:18 (UTC)
- 返信 :ありがとうございます。一番下の「アリー」についてですが、説明と内部リンクを追加しました。また、「マッカ脱出」節のMuir(1858a)の記述を注釈にしました。『預言者伝』で確認できるヒジュラの経過にまつわる記述については、注釈で『預言者伝』について説明を「『預言者伝』によると、誰々は以下のように語った。」とするのはいかがでしょうか。--Takenari Higuchi(会話) 2021年8月4日 (水) 01:24 (UTC)
- いかがでしょうかと書いた手前ですが、修正してみました[1]。可能な限りご要望に沿った形になったと思います。--Takenari Higuchi(会話) 2021年8月4日 (水) 04:24 (UTC)
- 賛成 確認しました。ご対応に感謝し、票を「賛成」とします。今回追加していただいたうち、「注釈5」の『預言者ムハンマド伝』の解説部が、私が求めていたものの答えだと思います。
- ここから先は「賛成票の条件」とか「必須」ではなく、選択肢のひとつ程度のものです。この「『預言者ムハンマド伝』の解説」は、注釈というより本文に独立した節を設けてはどうでしょう。節自体は小さい節になるかもしれませんが、たとえば「==史料==」みたいな名前で、ムハンマドの事跡についての/ジビュラの詳細に関する主要な史料は『預言者ムハンマド伝』である、的なことを書く。医王による評価も書く(もしも、他に史料に関する分析的評価があるならばここに書いても良い)。そのうえで、「以下は主に『預言者ムハンマド伝』に記されているジビュラの詳細である」みたいにしておく。そうすれば、「背景」「ヒジュラの実行」では、いちいち「『預言者ムハンマド伝』によれば」としなくてもよいでしょう。(『預言者ムハンマド伝』以外の情報源がある場合にだけそれを書くのもよい)--柒月例祭(会話) 2021年8月4日 (水) 04:52 (UTC)
- 賛成 私もイスラームに関する知識は殆どない状態で読ませて頂いたのですが、この歴史的、或いは伝説的な出来事に関する説明は充分なされており、良質な記事の条件を満たすものと思いました。--灰色の海(会話) 2021年8月4日 (水) 17:13 (UTC)
選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Takenari Higuchi(会話) 2021年8月8日 (日) 04:33 (UTC)