Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作 20130811
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選考終了日時:2013年8月24日 (土) 22:38 (UTC)
- (自動推薦)2013年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2013年8月10日 (土) 22:38 (UTC)
- コメント 英語版からの翻訳を行った者として、こちらにこの記事が出てきたことは嬉しいのですが、まだ疑問点が残っているところがあります。冒頭でヴェモルク工場の重水生産能力は年間12トンと言っている一方で、後の方で月10キログラムに過ぎない、と説明する部分も出てきて、生産能力に100倍の開きがあってはっきりしません。戦時に伴って大幅に生産能力が増強されたのか、説明の間違いなのか。独自にウェブ上で調べられる文献を調査したのですけど、やはりはっきりしませんでした。英語版のノートで質問してみる必要があるかもしれません。--Tam0031(会話) 2013年8月11日 (日) 01:46 (UTC)
- コメント手元にある日本語の北欧史通史関連の文献には、当該事件は軽く触れているだけですので詳細は日本語では分かりません。ウェブ上で以下の文献がありました。
- Chris Waltham (1998年). “An Early History of Heavy Water”. 2013年8月17日閲覧。
- J. David Rogers (2001年). “THE RACE TO BUILD THE ATOMIC BOMB”. 2013年8月17日閲覧。
- Waltham(1998)p.10にはIG・ファルベンインドゥストリーがノルスク・ハイドロの経営権を握って以降、年産20リットルから年産1トンにまで重水の生産量を拡大したことが記載されています。
- Rogers (2001)p.9には1940年には月産10キログラムから30キログラム(年換算だと120キログラムから360キログラム)に拡大、p.12には年産5トンまで拡大したという記述があります。参考まで。--Wushi(会話) 2013年8月17日 (土) 00:34 (UTC)
- 資料提示ありがとうございます。前者では当初年産20リットルだったとのことですが、これはちょっと疑わしい気がします。フランスに引き渡した重水は185キロあった(これ自体もその資料に記載されている)わけですから、年産20リットルだとこれだけ生産するのに9年かかってしまい、タイムスケールが合わないように思います。また、"production with the existing plant was increased from 20 litres per year to 1 ton per year"ですから、生産能力が引き上げられたのではなくて、単に戦争突入などの関係で一時的に生産を控えていただけで能力は元からもっとあったのかもしれません。後者では、10キロから30キロにというところは、IGファルベンが生産を3倍にするよう要求した、とあるだけで、それが実現されたかどうかは少なくともp.9には触れられていないようです。またp.12では、一通り目を通したものの年産5トンという記述は見当たりませんでした。日産4.5キロとあったので、計算すると年産1.6トンくらいですね。とりあえず、冒頭の年産12トンの記述は削り、戦時中に増産を求められていたこと、1944年の報告で日産4.5キロとされていたこと、などを記載して修正してみました。--Tam0031(会話) 2013年8月17日 (土) 14:15 (UTC)
選考終了時点で賛否が付いていないため、今回は見送りとなります。--Tam0031(会話) 2013年8月25日 (日) 05:13 (UTC)