Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/トルダの勅令 20180711
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選考終了日時:2018年7月24日 (火) 23:52 (UTC) →2018年8月8日 (水) 23:52 (UTC)
- (自動推薦)2018年7月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2018年7月10日 (火) 23:52 (UTC)
- 賛成 記事主題について綺麗にまとまった記事だと思います。--TEN(会話) 2018年7月15日 (日) 13:07 (UTC)
- 賛成 うまくまとめられた記事になっているものと思います。--Tam0031(会話) 2018年7月19日 (木) 14:44 (UTC)
- コメント 翻訳者です。ありがとうございます。この記事の周辺は未翻訳の記事が多く、状況をよく把握するには不十分な状況なので、関連項目の翻訳を進めて当記事を補強していきたいと考えています。--McYata(会話) 2018年7月22日 (日) 15:08 (UTC)
- 選考終了時点で賛成票2票のため自動延長となります。--Loasa(会話) 2018年7月25日 (水) 00:57 (UTC)
- 賛成 慣れないキリスト教諸派の差異やら東欧の固有名詞やらが多く、なかなかすっきり理解というわけにいきませんでしたが、それはもちろん私の基礎知識が不足しているだけのことであって、記事の問題ではありません。むしろ、この主題の背景にある宗教的なややこしさや影響などを考えると、一つの記事内である程度完結している(他の記事を参照する必要はほぼない)と感じられるのは、記事の構成が非常に上手にまとめてあることの証左であると思います。
- 冒頭部
- 「東ハンガリー王国のヤーノシュ2世が発した、信教の自由を認める勅令。」
- この勅令が西暦何年に発令されたのか、§4.「トルダの勅令」まで読まないとわかりません。冒頭部は記事の内容を簡潔にまとめた文で、御用とお急ぎの方は冒頭部だけ読めばその主題に対する最小限の知識(辞書的な意味程度)は得られるべきものと思います。そして歴史項目において、時期や日付は、その項目に関する最小限の必要事項の一つです。文化的な時代区分のように時期を明瞭に定義できない事項と違って、「勅令」ならばピンポイントで(発令された)日時が確定できるはずなので、この部分は「1568年に東ハンガリー王国のヤーノシュ2世が発した、信教の自由を認める勅令。」とすべきと考えます。
- 「東ハンガリー議会は、三国民の権利を次々と承認していった。」
- 「三国民」とは何のことか。§2.「宗教的寛容の形成」に、「三国民(ハンガリー人貴族、トランシルヴァニア・ザクセン人、セーケイ人)」とあるので、そこまで読めばわかるのですが、上に書いたように、冒頭部はある程度それだけで完結した内容であるべきなので、冒頭部にも「三国民」の説明は必要でしょう。私は最初に、項目の内容から類推して第三国人のような意味合いの言葉かと思ってしまいました。
- §4. トルダの勅令
-
- 勅令のおそらく一番重要な部分が引用されていますが、可能ならば全文の引用も(もちろん日本語で)読めるとありがたいのですが。もちろん本記事に全文引用する必要はありませんが、Wikisourceあたりにないでしょうか。
- 「トルダの勅令は個人の信教の自由は認めていなかった」
- 直前にある勅令の引用部分には、「誰一人として他人に自身の宗教によって非難されるものがあってはなりません。以上のことにより、信仰を理由に、誰かを投獄や免職の恐れによって脅かすことは禁止されます。」とあり、私は、これは事実上、個人の信教の自由を認めたものと解釈できる文面だと思うのですが、そうではないのでしょうか。その後にある「ルーマニア正教やユダヤ教、イスラーム教は(勅令の)対象外だった」という点を持ってして「個人の信教の自由は認めていなかった」ということであれば、文章の順序を変えるなり補足説明を入れるなりして、もう少しすっきり(少なくとも勅令文との齟齬が)理解できるような説明が欲しいと思います。
- 「1569年10月25日、ヤーノシュ2世は彼の王国において各宗教が自由に議論されることを認める勅令を出した」
- えーっと...「トルダの勅令」と呼ばれるのは先の1568年1月6日の議会で発した勅令の方ですよね。こちらの方は先の議会で発令された勅令とは異なるものなのでしょうか。であればこちらについても簡単な解説が欲しいと思います(特に議会での勅令との相違点について)。それとも、この二つの勅令は実質的に同一のものであって、日付の違いは、現代の法令における成立日と施行日の違いのようなものなのでしょうか。
賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2018年7月30日 (月) 15:27 (UTC)
- 返信 (Loasaさん宛) ご指摘ありがとうございます。ご意見を参考に記事を修正いたします。選考通過後ではありますが、必要な点に絞ってお答えします。前提として、トルダの勅令に関する私の知識はすべて英語版を元にしており、またその内容以上の解説がある日本語文献が皆無であり、補強が難しいことをご了承ください。
- 勅令の引用
- 英語版から訳す際に重要と思われた後半だけ抜き出し、前半は省略してしまいました。調べた限り、すぐに全文資料を手に入れるのは難しそうなので、英語版をもとに全文を訳しなおそうと思います。
- 個人の信教の自由
- 記事や英語版を読む限り、以下のように解釈するのが妥当ではないでしょうか。
- 自分の宗教を選択する権利は共同体にあり、個人にはない
- 一旦自分の信教として定まったものを信じる限り、そのことで他者から非難されたり不利益を被ったりすることはない(個人には、信教を選ぶ自由はないが信教を守る自由はある)
- 「対象外」の宗教とは、共同体が信教を選ぶ自由や、個人が信教を守る自由には該当しないものである。
- 特に矛盾はないと思いますが、確かに現状の文章では分かりにくいので加筆します。
- 1569年の勅令
- 「トルダの勅令」本体とは別物です。トルダの勅令が各自の宗教について定めたのに対し、1569年の勅令は、それまで各宗派が自派の存続盛衰をかけて論争、抗争する場でしか行われなかった宗教の論議(この宗教は他よりこのように優れている、など)を、より軽い議論の場や学問として論じることを認めたものと思われます。これは信教の自由からさらに進んだ宗教選択の自由(改宗の自由)につながるものです。
- ・・・とはいうものの、この説明は「ヤーノシュ2世は彼の王国において各宗教が自由に議論されることを認める勅令を出した」という一文を私がかみ砕いてみたものにすぎず、これが正しいかどうか実のところ判断がつきません。トルダの勅令すらすぐに手に入る参考文献が乏しいのですから、1569年の勅令については言うまでもなく補強困難です。どこまで記事に加筆してよいものなんでしょうか・・・とりあえず、別物ということを示すために「その後」の項に移すことにします。
- --McYata(会話) 2018年7月31日 (火) 14:35 (UTC)