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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/タンジマート 20180331

選考終了日時:2018年4月13日 (金) 18:11 (UTC)2018年4月27日 (金) 18:11 (UTC)

  • (推薦)オスマン帝国で行われた19世紀の改革運動の記事です。19世紀にユーラシア各地で行われた近代化・西欧化運動の代表的なものの一つで、本文中にもありますが日本の明治維新などともしばしば比較され、歴史分野における重要性の高い記事だと思います。一通りのことが書かれており、出典もきちんとつけられていること。内容的に大きな誤りは含まれないと思われること。画像の配置も適切で、読みやすくまとまっていると思われることから良質な記事として推薦します。--TEN会話2018年3月30日 (金) 18:11 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票--TEN会話2018年3月30日 (金) 18:11 (UTC)[返信]
  • 賛成 詳細を各個別記事に振りつつ、うまく全体の解説をできている記事になっているものと思います。「ミドハト憲法と第一議会」の節の最初のあたり、「シャリーアとヨーロッパ近代法者を均衡させるための努力」とあるのは、「者」が余計に入っているのでしょうか? ちょっとわからなかったので修正できていません。--Tam0031会話2018年4月3日 (火) 14:24 (UTC)[返信]
  • 恐らくですが、単なる誤字だと思われるので削除しました。近代法学者としてしまうとシャリーアと対置するのはおかしいですし、出典の論文の記述としてもこれで正だと考えます。--TEN会話2018年4月4日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
  • コメント 私はこの主題について詳しい知識はありませんが、理解する上で十分な内容が書かれていると思います。ただし、以下に述べるコメントのうち2番目以下のものはGAとして推薦する上で問題ないものですが、最初のものは、GAとしてちょっとどうかな、と推薦をためらわせるくらいのものです。
§2 ギュルハネ勅令と初期の改革
  • 「イスタンブルにエジプト艦隊がせまるなか、...」
記事のメイン部分の最初がいきなりこんな書き出しでは何が何だかわかりません。まあ、概要節を読めば、ギュルハネ勅令(タンジマート勅令)を発布したアブデュルメジト1世の即位の時点から話を始めているらしいことはわかりますが。小説じゃないのだからもう少しわかりやすい書き出しにしていただきたいと思います。さらに重要なことですが、いきなりアブデュルメジト1世の即位から解説を始めるのではなく、それ以前のマフムト2世による近代化政策についても、本改革の前史として、最初に一節設けて触れておく必要があると思います。
  • 元記述の参考文献となっている書籍を元に、「§前史」を加筆してみました。エジプトとの戦闘中から話が始まるのは、出典元の書籍でセリム3世の改革から始まる箇所の章の半ばの部分から記述が引かれていたためと思います。
  • 「混合裁判所の設置」
「混合裁判所」というのが何だかわかりません。歴史学では常識的な用語なのかもしれませんが、Wikipedia内にも項目がないので簡単な注釈でもあればありがたいです。
  • 近代イスラーム史を専門にしていなければ歴史学でも常識的というほど広く知られている用語では無いと思います。注釈を追加してみました。
§3 クリミア戦争と改革勅令
  • 「しかし、この勅令は一方では列強の要求の所産であったものの、他方では、多民族を内包する帝国にあっては、非ムスリム諸民族の共同体(ミッレト(英語版))内部の深刻な対立も看過できないものであり、これを絶えず調停する必要も存在していたのである」
文章の意味が不明です。「勅令は、列強の圧力により発令させられたようなものではあるが、一方で、内部対立を調停するための何らかの政策も必要とされていたので、時節に叶ったものでもあった」というようなことを述べているのだと思いますが、もうすこし表現を整理した方がいいと思います。
  • 出典の記述が大体同じような感じなのでちょっと難しいですが、パラフレーズしてみました。
§4 ミドハト憲法と第一議会
  • 「イスラーム法典」
イスラム法(シャリーア)と混同してしまい、「?」となりましたが、要は「シャリーアとヨーロッパ近代法を折衷させた近代的な法典」ということでしょうか。これも常識的な用語かもしれませんが、独立項目がなく内部リンクができないので、どこかにさりげなく説明を入れていただくとありがたいです。「シャリーアとヨーロッパ近代法の折衷」は本改革の重要な成果であり要素でもあると考えられますので、いっそ一節を設けて「オスマン帝国憲法」をはじめとするこの改革で制定された近代的法制についてまとめた解説があってもよいと思います。
  • 『メジェッレ(英語版)』(民法典)については、これを対象にした書籍が出版されているようなのですが、確認できていないため節レベルでの加筆はできていません。「史上初のイスラーム法典」と言う元の記述は確かに出典の年表にそう書かれているのですが、具体的にそれが何かは載っていませんでした。ただ、堀井氏の論文やWeb上の記述などから見て、従来現実との間で妥協的かつ曖昧な運用が行われてきたシャリーアが、初めて西欧的な(厳密な)成文法と言う形で制定された、と言うことのようなので、その理解に沿った一文に変更しました。
その他
本文中でもヨーロッパ諸国との関係が何回も言及されているし、実際に当改革と当時のヨーロッパの情勢とは密接な関係があると思われます。特に戦争や移民や亡命者などの話題は、当時の各国の勢力範囲がわからないと理解不能な部分も多いため、当時のオスマン帝国、およびヨーロッパ各国(特に東ヨーロッパとバルカン半島)の領土範囲などがわかる地図を添付していただけるとありがたいです。
  • 元地図の関係もあって、東ヨーロッパを内包していませんが、当時のオスマン帝国を取り巻く状況の地図を作成して載せてみました。こういう情報が足りないなどの指摘があれば修正はしてみたいと思います。
--Loasa会話2018年4月8日 (日) 15:51 (UTC)[返信]
期限の延長ありがとうございます。忘れていました。一応、参考文献となっている書籍のうち3冊は手元にあったので、それらとWeb上で参照できる論文を元に加筆してみました。詳細はインラインで返信しています。--TEN会話2018年4月14日 (土) 18:22 (UTC)[返信]
  • 賛成 対応ありがとうございます。前史節が加筆されたおかげで、3節の唐突な感じがなくなりわかり易くなったと思います。
§2 前史
  • 「その軍事力や政治機構が欧州諸国のそれと比較して劣っていることが認識されつつあった」
誰が認識したのでしょう。オスマン帝国以外の諸外国、オスマン帝国自身、あるいは両方ともということでしょうか。
  • 参考文献的にはオスマン帝国内での認識なので文章を修正しました。
混合裁判所の注釈
4.「クリミア戦争と改革勅令」の方で注釈が付いていますが、「混合裁判所」という言葉が最初に出てくるのはその前の節なので、初出の時点で注釈が欲しいと思います。なんなら両方につけていただいても構いませんが。
--Loasa会話2018年4月15日 (日) 03:26 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--TEN会話2018年4月17日 (火) 15:32 (UTC)[返信]