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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/カール・ユーハイム 20091104

選考終了日時:2009年11月18日 (水) 01:22 (UTC)

  • (推薦)ドイツの菓子職人でユーハイムの創設者です。検証可能性が充分に担保された良質な記事だと思いますので推薦します。--R.Lucy 2009年11月4日 (水) 01:22 (UTC)[返信]
  • コメント良質な記事だと思います。気になった点をだけ。カール・ユーハイムHP「カール・ユーハイム物語」にはプランベック氏から店を譲りうけて独立したとありました。また、当該ページは色々興味深いことも書かれていたこと(例えば「昭和天皇即位を記念して神戸で行われた大観艦式の献上菓子に選ばれる」など)からこれを反映させればさらに充実するように感じました。私はほとんど記事の執筆を行っていないのでコメントといたしますが、賛成に準じたコメントといたします。-- 2009年11月8日 (日) 15:47 (UTC)[返信]
    • コメントありがとうございます。おっしゃるように青島時代については出典によって情報に若干の差がありますね。この点については記述を調整したいと思います。献上菓子についても本文に盛り込めるかどうか検討してみます。ご存じのように中田厚仁の加筆も案件として抱えている関係上、作業に少しお時間を頂くことになるかもしれません。-- 2009年11月9日 (月) 14:35 (UTC)[返信]
  • (保留)Miya.Mです。菓子職人に関する一般の記事としては平均点でしょう。しかし職人に関する良記事という視点で見ると、原料とか処方とか弟子の教育とか職人として重要な仕事内容の記述が不十分です。もう一つの企業の創設者としての記述はできていません。また記載内容が当人側からの情報のみに偏っているためか、読んでいて「辻褄が合わない」「なぜこうなるの?」「このひとは誰?」などの疑問が結構出てきます。記事のスタイルはいいかも知れませんが、現行の内容では「良記事」とは認められません。以下に目立った点を挙げますが、これらが解消されて「そこそこ書けている」レベルと思います。
    • 記事内容だけでは辻褄が合わない件:『関東大震災(1923年9月)の後、神戸に来て再起しようとしてアンナ・パヴロワの助言を受けた件』、アンナは当時ロンドン在住で前年の1922年に日本を訪問している高名なバレリーナですが、ここで突然出てきます。なぜアンナがロンドンからユーハイムに神戸の店の詳細な情報を教えたのか?それとも有名なアンナとは別人か?
    • 解説が不適切なためわかりにくい点 : 『晩年 太平洋戦争中は「喫茶店」をやめ「工場」だけを稼働させた件』、喫茶店経営の経緯は書かれていますが 本稿では工場は突然出てきてすぐ機能しなくなっています。当人が菓子職人にとどまらず企業の「創設者」と言われるゆえんは「工場経営」があると思いますが、殆ど情報がありません。 『発病の件』 夫婦で避暑地に行き、喫茶店主の旦那を避暑地に残し奥さんが先に帰ってきた。遅れて帰ってきた旦那は挙動不審で、結局精神病院に行った。文献にはそう書いてあるかも知れませんが、もう少し書き方を工夫されたほうが良いでしょう。中途半端な情報があるので余計に分かりにくくなっています(避暑地で何かあったの?奥さんは逃げ帰ったの?とか想像してしまいます)。他の文献を調べて充実させるか、単に「精神に異常をきたすようになった」と書いたほうが良いのでは?
    • 突然出てくる人名:上記バレリーナの「アンナ」もそうですが、『かつて「JUCHHEIM'S」に勤務していた山口政栄・川村勇ら3人』も、企業の継承者として名をあげるならば、戦前のユーハイムとの関係をもう少し丁寧に記述することが必要と思います。
    • なお ユーハイムが日本でドイツ菓子を作るきっかけとなった第一次大戦中の比較的寛大な捕虜の取り扱いについては交響曲第9番 (ベートーヴェン)の日本初演等の逸話もあり、この辺を加筆されると記事の幅が広がると思います。Miya.M 2009年11月14日 (土) 18:43 (UTC)[返信]
      • コメントアンナ・パヴロワについて質問します。アンナ・パヴロワの記事を見たところ、関東大震災後の時期にアンナ・パヴロワが日本のを訪れたことがないのかどうか、参考にできそうな文献が上がっていないようです。その時(といっても正確な時期はわからないので、関東大震災後1924年までということになります)アンナ・パヴロワが日本を訪れたことはなく、常にロンドンにいたという確証を、Miya.Mさんはどのようにして得られたのでしょうか。改変の参考にしたいので是非参照された文献を教えてください。-- 2009年11月14日 (土) 19:14 (UTC)(一部修正)-- 2009年11月14日 (土) 19:33 (UTC)[返信]
      • (お返事)Miya.Mです。文献について誤解を与えてしまったようですみません。アンナの件は本項目の現在の内容とリンク先の内容とが辻褄が合わないと申し上げているだけです。ユーハイム夫妻とアンナが1922年の訪日時に親しくなっており、その縁で1923年の地震後にアンナが夫妻に助言をしたかもしれませんが、項目には何も書いてありません。なお念のためインターネットでバレエ関係などを調べましたが、どの記事も来日は「1922年」とだけありました。ところでこの事実の参考にされた文献ではアンナと夫妻の関係をどのように書かれていますか?私にお尋ねになるよりそちらを再確認される方が早いと思います。夫妻と言えば、エリーゼ夫人は横浜の店の繁盛の件や、第二次大戦後帰国した直後に会長に迎えられたことなどからすると、彼女の存在は社員たちに重要視されていたのでしょうね。この辺も調査されて記事に加えられてはいかがでしょうか。Miya.M 2009年11月15日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
        • コメント文献には唐突にアンナ・パブロワが登場します。記事に書いた以上のことは現段階では分かりません。1923年に神戸で出会った経緯がわからない以上、アンナ・パブロワのことはひとまずコメントアウトしたほうがいいかもしれませんね。エリーゼ・ユーハイムについては述べるにしてもユーハイム、もしくは単独記事で述べたほうがよいと思っています。いずれチャンスがあれば単独記事を、と考えていました。今回この記事をご推薦い頂いたことはちょっと予想外の部分もありますので、選考期限を意識しすぎずゆっくりやります。-- 2009年11月15日 (日) 13:06 (UTC)[返信]
          • コメントブログなのでウィキペディアの出典には使えませんが、カール・ユーハイム物語というページがあり、ユーハイム家の軌跡について、かなり詳しい考察がされています。ご参考まで。このブログを信じるならですが、アンナ・パブロワとユーハイム家は横浜時代からの知り合いだったようです。また、娘の死がかなりの影響を与えたようでもあり、出典が見つかればこの話も足した方がいいかもしれませんね。--Freetrashbox 2009年11月16日 (月) 12:15 (UTC)[返信]
            • コメント情報ありがとうございます。そのブログは少し読んだ覚えがあります。あらためて読んでみましたが、かなり充実しているなあと唸らされます。ご指摘いただいた点については、時間を見つけてもう一度文献を調べてみます。アンナ・パブロワのエピソードについてしっかり記述しようと思えば、アンナ・パブロワをとり上げた文献にもあたる必要が出てきそうです。-- 2009年11月16日 (月) 12:51 (UTC)[返信]

(終了・見送り)選考期間が終了しましたが要件を満たさなかったため、選出は見送りとなりました。-- 2009年11月18日 (水) 15:01 (UTC)[返信]