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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/カトリック主税町教会 20220405

選考終了日時:2022年4月19日 (火) 11:03 (UTC)

  • (推薦)全面改稿を行ったので自薦にあたると思います。日本の愛知県にあるカトリック教会に関する記事です。かなり小ぶりな記事ですが、設立の経緯や建築などはある程度網羅され、また、資料的にこれ以上の大きなブラッシュアップは難しいと考えたので推薦いたします。--Takenari Higuchi会話2022年4月5日 (火) 11:03 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Takenari Higuchi会話2022年4月5日 (火) 11:03 (UTC)[返信]
  • コメント 「設立」のあたりの文献で説明されているのではないかと思われますが、「名古屋で最も古いカトリック教会である。」には出典(脚注)が欲しいと思います。出典が追加されたら賛成票を投じたいと考えていますが、加筆するとすれば現在はどの程度の重要性のある建物なのか(例えば観光客の数や、信者の方からの位置付けなど)を示せたらより良いと思います。--Rrrwrrrrrw会話2022年4月5日 (火) 18:11 (UTC)[返信]
    • 返信 ありがとうございます。ご指摘の部分について出典を追加しました。観光客数などといった重要性にまつわるものに関しては有意なものは見つけられませんでした。「多くの市民に親しまれている」といったものはありましたが、記載するようなことでもないでしょう。--Takenari Higuchi会話2022年4月6日 (水) 04:38 (UTC)[返信]
      賛成 ご対応いただきありがとうございます。コンパクトな記事ではありますが、書籍などの出典がきちんと付けられており、歴史・建築・周辺の様子など必要な情報はある程度網羅されていると思いますので、賛成とさせていただきます。--Rrrwrrrrrw会話2022年4月6日 (水) 16:33 (UTC)[返信]
  • コメント:改稿お疲れさまでした。この教会についてネット検索すると、ルルド洞穴についての言及が見つかりますが、Takenari Higuchiさんの改稿により本ページでは記載されなくなったようです。参照されている『あかしする信仰―東海・北陸のキリシタン史跡巡礼』のp67にも記載されていますし、ルルドの聖母でも出典付で本教会について触れられていますので、それなりに知られた事実と思いますが、除去されたことに理由はありますでしょうか?それと、現在の状況についての言及も必要と感じます。例えばカトリック名古屋教区のHPを見たのですが、本教会の写真は掲載されていますが施設案内などは無く、また外部HPに貼られたリンク先は消されており、宗教施設として現役なのか疑わしいと感じます。他にはGoogleマップの口コミを参照すると、海外の方から「隔週で日曜ミサが行われている」「日曜ミサはない」などの記載があるものの、いずれも少し古い書き込みでよくわかりません。またこれもネットでの拾い物ですが、教会前に設けられた掲示板には日曜日にボーイスカウトが利用しているような案内がされているようです。他には、こちらのHPでは、併設されていた幼稚園が2007年に閉園したことや、その施設がNPO法人の事務所になったことなどが言及されています。こうした内容を出典付で記述することの困難さは理解していますが、「主題を網羅できているか」という点に少し物足りなさを感じました。--あずきごはん会話2022年4月7日 (木) 10:22 (UTC)[返信]
    • 返信 ありがとうございます。ルルド洞穴についての記述を削除した理由ですが、当時の記述に対して『あかしする信仰』の記述のみでは十分説明できないと考えたためです。ルルドの聖母に主税町教会のルルド洞穴にまつわる記述があることは把握していましたが、あいにく出典として用いられている『ルルドの出来事』を近隣の図書館が所蔵しておらず、記述の確認が取れないため見送りました。とりあえず、『あかしする信仰』に記載されている情報を追加いたしました。
    • さて、現在の状況についてですが、たとえすでに宗教施設として用いられていないとしても、それが二次資料はおろか一次資料でさえ明確に示されていない以上、検証可能性の観点から記載することは難しいと思います。幼稚園の閉園やボーイスカウトも同様でしょう(幼稚園の閉園に関してはそういうニュースがあってもよさそうなものですが、あいにく見つけられませんでした)。NPOに関しては主税町教会にある施設を拠点としていた旨の二次資料があるので加筆することは出来ますが、あえて特筆すべきことのようには思えません。例えこれらの記述がなかったとしても、私としては「項目に記述されるべきトピックがある程度網羅され」ているという認識なのですが、いかがでしょうか。--Takenari Higuchi会話) 2022年4月7日 (木) 11:49 (UTC)一部訂正--Takenari Higuchi会話2022年4月7日 (木) 13:03 (UTC)[返信]
    • 報告 すみません。現在の状況について、「二次資料はおろか~」と大見得切った手前ですが、小教区の教会ではなく記念聖堂となっているという名古屋教区の資料を見つけたのでそれについて追加しました。したがって先の返信を一部訂正いたしました。しかし、やはり幼稚園の閉園やボーイスカウトについて有意なものは見つけられませんでした。--Takenari Higuchi会話2022年4月7日 (木) 13:03 (UTC)[返信]
  • 返信 まず、ルルド洞穴についての追記ありがとうございます。これについては加筆していただいた内容で十分だと思います。本教会の現状についての内容ですが、私の書き方が悪くて誤解を招いてしまい申し訳なかったのですが、大切なのは「この教会と付属する幼稚園が現役であるか否か」であり、NPOやボーイスカウトは疑わしいと感じた理由を挙げただけでこれについての記載は不要と考えています。一方で現役か否かについては本教会の歴史として必要な記述と考えます。ただ、私も疑いがあると感じているだけで、これ以上強くは申せません。それと検証可能性を満たす記述が難しいという事は十分理解していますが、「Wikipediaのルール上で書けることを書いたのだから網羅されている」とすることには、私個人は同意できません。一般論として「百科事典として記載されるべき事が、検証可能性を満たして記載できないのであれば、その主題は良質な記事に仕上げることが難しい」というのが私の意見です。何をもってして「記載されるべきか」という点については議論の余地はあろうかと思いますが、今回の件は記載されるべきだというのが私の考えです。ここまで書いてTakenari Higuchiさんと編集が競合してしまいました。追記していただいた「記念聖堂」で、私が指摘したことは全てクリアできたと考えます。念のため、その前の内容もそのまま残しておきます。ご対応ありがとうございました。また、個人的理由で恐縮ですが賛否の票は入れない事にしていますので、ご了承ください。--あずきごはん会話2022年4月7日 (木) 13:19 (UTC)[返信]
  • コメント この教会は小教区の教会ではなく記念教会になっている、ということであれば、毎週のミサのような信仰活動はもうあまり行われていないということなのでしょうか。そういうコミュニティに関する記述が不足しているように感じます。--Tam0031会話2022年4月11日 (月) 14:54 (UTC)[返信]
    • 返信 ありがとうございます。小教区の教会ではないということは定期的なミサも行われていないということなのでしょうが、明確にそれを示したものは見つけられませんでした。ただし、ちょくちょく記念行事のようなかたちでミサや礼拝が行われていたようなので、それについて加筆しました。--Takenari Higuchi会話2022年4月12日 (火) 00:14 (UTC)[返信]
      • かつては行われていて、ある段階で記念教会に移行したのでしょうか。名古屋での布教の初期からあるようなので布教に果たした役割みたいなものもありそうですし、それが後から設立された教会に教区の教会としての役割を引きついでいったのでしょうし、そのあたりの経緯もあまりに弱い気がします。--Tam0031会話2022年4月12日 (火) 15:05 (UTC)[返信]
        • ありがとうございます。1. かつては行われていて~、2. 布教に果たした役割、3. 教区の教会としての役割、について下でお答えします。
        1. 地牧区長座聖堂であり、主任司祭がいたのですからミサは当然行われていたのでしょう。いつの段階で記念聖堂に移行したのかは正直言ってよく分かりません。名古屋教区の広報紙『名古屋教区ニュース』2015年8・9月号では小教区の教会として登場していますが、2016年6月号ではすでに「記念聖堂」とされています。おそらく2016年度のはじまりにそのような移動があったのでしょうが、詳しいことは分かりませんでした。主税町教会は名古屋教区のブロックで言えば「城北ブロック」という地区に分類されるようです。同じく城北ブロックであり、現在のカテドラルである布池教会には「布池・主税町互助会」というものが存在するようなので、かつての主税町小教区は布池小教区の一部になっていると推測されますが、これも明確に示されてはいません。
        2. いちおう設立初期に書籍による布教活動を行っていた旨は既に記述していますが、これでは不十分ということでしょうか。主税町教会の布教活動の結果名古屋でカトリック教徒がどれくらい増えた、という話であればそのような資料は見つけられませんでした。
        3. 小教区の教会としての役割については上に書いた通りですが、司教座聖堂(地牧区長座聖堂)としての役割については、布池教会の設立経緯について説明を追加しました。
        • 一通り以上になります。あまり詳しいお答えが出来ず申し訳ありません。--Takenari Higuchi会話2022年4月13日 (水) 00:40 (UTC)[返信]
          • コメント この教会が名古屋地区の初期のもので、布教が進んだ結果として小教区が分立していって、他の教会と分担するようになり、やがて記念聖堂として扱われるようになった、という流れがあるのではないか、ということを考えているので先の質問になりました。そういう流れが簡略にでもわかるように記載されていないと不足だと感じるということです。独自研究を禁止して出典を求めるウィキペディアの記事である以上、書けないことはあるわけですけど、それでもこういう点をクリアせずに良質な記事になれるかというと違うと感じます。--Tam0031会話2022年4月13日 (水) 15:27 (UTC)[返信]
            返信 賛成票を入れた手前、少し調べてみました。出典としては弱めですが、「東区文化のみちガイドボランティアの会」のサイトに「平成27年、教会機能が布池教会に移される。」という記述がありました[1]。しかしネット上にはこれ以上の情報は見当たらないですね。
            確かに布教において果たした役割や教会機能を移転するに至った経緯は書きたいところですが、なかなか縮小されることについての出典を見つけることはどの話題でも難しいのでしょうね。少なくとも「布池教会が司教座聖堂となった」くらいの時期には主税町教会が名古屋教区の布教における中心的な役割を果たしていたわけではないということは伝わるような気がしますが、書籍などの出典をお持ちのようなので加筆を期待しつつ、とりあえず票は残しておきます。--Rrrwrrrrrw会話2022年4月13日 (水) 22:19 (UTC)[返信]
            • @Tam0031さん ありがとうございます。質問の意図は理解できました。しかし、私の知識が間違っているのかもしれませんが、小教区というものは司教区の下に存在するもので、1962年に名古屋使徒座知牧区が名古屋教区に昇格するまでそもそも小教区は設置されていないと思います。なおかつ1962年にはすでに布池教会を始め名古屋各地にカトリック教会が設立されているので、Tam0031さんが望まれるような、「布教の結果として小教区が分立していって、他の教会と分担するようにな」る旨の記述を加えるのは難しいように思います。--Takenari Higuchi会話2022年4月13日 (水) 22:48 (UTC)[返信]
            • 報告 Tam0031さんの直近のご要望にお応えできたものではありませんが、主税町教会で受洗した人数(1951年12月まで)や名古屋知牧区成立時の教会や信徒数について記された資料があったのでそれらについて加筆しました。私としては「布教に果たした役割」にあたるように思えますが、いかがでしょうか。--Takenari Higuchi会話2022年4月14日 (木) 08:06 (UTC)[返信]
              • 賛成 なるほど、私が想定していた状況とは違うようですね。名古屋で初期の教会というところから、この教会がずっと中心だったのかと思っていたのですが、1962年時点で他の教会が既に司教座聖堂ということであれば、確かにもう中心ではないということがわかるようです。本来は記念聖堂になった時期が明確にできればよかったのですが、現状わかる範囲での一通りの内容は書かれていると思います。--Tam0031会話2022年4月14日 (木) 13:54 (UTC)[返信]
  • 賛成 内容が一通り網羅されています。--山形祐介会話2022年4月15日 (金) 08:13 (UTC)[返信]

賛成票のみ3票以上の状態が48時間継続したため、早期終了・通過となります。--アリシア-jawiki会話 - 投稿記録2022年4月16日 (土) 22:13 (UTC)[返信]