Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アン女王戦争 20170515
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選考終了日時:2017年5月28日 (日) 16:31 (UTC)→2017年6月11日 (日) 16:31 (UTC)
- (推薦)良質な記事となっている英語版の翻訳であり、背景、経過、影響と戦争の記事に必要とされるトピックが十分に記述されている上に出典もつけられていることから、良質な記事の目安を満たすと思われます。従って、良質な記事に推薦いたします。--ネイ(会話) 2017年5月14日 (日) 16:31 (UTC)
- 賛成 推薦者票。--ネイ(会話) 2017年5月14日 (日) 16:31 (UTC)
- コメント 読んでみて、いまいち納得感がありません。スペイン側に付いたインディアンをほぼ一掃してしまったフロリダでの戦いはともかくとして、北部の方ではお互いの拠点を攻撃しあっていただけのように描かれていますが、それでどうしてこれほどイギリスに有利な講和条約になったのでしょうか。ポートロワイヤルの占領がそれほど大きかったのでしょうか。そのあたりが不足しているように思いました。--Tam0031(会話) 2017年5月19日 (金) 13:47 (UTC)
- 賛成 何年も前に私が英語版からの翻訳加筆したときと比べて非常により良い形へと修正していただきまして、良質な記事の目安の満たされた記事となっているように思います。北方に関しては、ポートロワイヤルはアカディア植民地の首都であり、ポートロワイヤルが陥落したことによって半島部分のフランスによる植民地支配が維持できなくなるほどの影響が生じているのですから、記事に書かれていることをそのまま読んでもイギリスに有利になったことは自然な流れであるように思いますし、説明の不足は感じませんでした。--重陽(会話) 2017年5月27日 (土) 03:05 (UTC)
- コメント ポートロワイヤルの戦いくらい、しっかりこれが重要だと書いてくれればそれがわかるのですが、こちらの記事だと、アカディアの半島部分でのフランスの統治が終了とは書いてあっても、その次に抵抗がまだ継続、いまだに係争地、などと書かれているので、まだまだ双方で戦争の帰趨が行き来している感じを受けてしまいます。--Tam0031(会話) 2017年5月30日 (火) 13:47 (UTC)
- コメント 講和条約においてイギリスがアカディア半島を得た点を指して「イギリスに有利な講和条約」とお感じになられていたのかと思ったのですが、ご返答からすると違いそうですね。戦争の帰趨が行き来しているというのはある意味その通りで、だからこそ記事後半に書かれています通り、フランスは講和条約に含まれるのはアカディア植民地のうちの半島部分のみだと主張して半島以外の実権を維持し続けたわけですし、拡大政策を続けるイギリスに対するインディアン部族の抵抗の継続が後のラル神父戦争に繋がっているわけです。講和条約ではイギリスがポートロワイヤルを占領して半島部分におけるフランスの統治を終了させたことを反映してアカディア半島を得ており、講和時点の状況にふさわしい分だけイギリスに有利な条約にはなっていますが、講和時点におけるアカディアの現状を超えてイギリスに有利な条件になっているわけではありませんし、それは全て記事本文に書かれています通りです。戦時の状況と、条約の内容と、戦後の状況とを記事に書かれている内容から照らし合わせましても、納得感が得られないほどイギリスに有利な講和条約になっているという感覚が共有しづらいです。--重陽(会話) 2017年5月30日 (火) 22:37 (UTC)
- コメント たぶんそのあたりは、背景をよく把握している人と、していない人の差が出ていると思います。アカディアという地名自体が、それってどこ、という人間にとって(ノバスコシアと言われるとまだわかるが、そこの地名まではよく知らないです)、アカディア半島部を制圧したけど残りはまだ抵抗した、と言われると、それがどの程度の成果なのかよくわからないのです。前半の戦闘行動を解説している部分では、ポートロワイヤルの陥落をごく簡単に触れるだけなのに、そのあとにまだアカディアの残りの部分は依然として抗争中、と言われ、それがメイン州東部やニューブランズウィック州に当たる、と言われると、陥落させられたのはごく一部に見えるわけです。一方、講和条約でアカディア、ニューファンドランド島の主権、ハドソン湾地域およびカリブ海に浮かぶセントキッツ島の島々を得て、イロコイ連邦への宗主権、インディアンとの貿易開放、漁業権の確立と、イギリスが得たものが多数列挙されているので、あまりに戦闘の結果と講和条約が釣り合わないのでは、と見えています。これが、戦闘行動の結果を順当に反映したものなんだ、という風には見えていないのです。ニューファンドランド島についていえば、イギリス側が支配するセントジョンズについて、いったんフランス側に陥落した後イギリス側が再占領していますが、一方でフランス側の中心地プレゾンスへは攻撃は行われていない、とあるようです。それなのにニューファンドランド島の主権がイギリスに移譲されるのか? という感じもあります。--Tam0031(会話) 2017年5月31日 (水) 13:41 (UTC)
- コメント アカディアの地名がそれってどこというような事を言われてしまうと、一般になじみのない地名がどんどん出てくるような古代オリエント地域の記事や、ユダヤ・イスラームのような宗教分野の記事を書いている人間からすると、非常に辛いなと感じてしまいます。地名や専門用語の説明で記事が膨らんでしまうと肝心の記事主題の説明が埋もれてしまうので、出来るだけ避けたいところはあります。秀逸な記事の基準でも関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ないとしているのですから、良質な記事でも関連記事を読んで背景理解をしてもらっていることが前提となっていても構わないのではないでしょうか。
- 少なくともアカディアに関しては、「半島部を制圧したけど残りはまだ抵抗した」という状況そのままに「アカディアの残りの部分は依然として抗争中」だったからこそ、戦後もフランスは「講和条約に含まれるのはアカディア植民地のうちの半島部分のみだと主張して半島以外の実権を維持し続けた」わけです。「陥落させられたのはごく一部に見える」というのは正にその通りで、アカディアに関してのみで言えばイギリスが戦後に得たのはアカディア全体からすればごく一部の半島部分だけです。アカディアにおける局地戦の結果はアカディアの局地的状況に順当に反映されているという話であって、ポートロワイヤルの占領を含むアカディアでの戦闘結果がニューファンドランドやハドソン湾などの別の地域の局地的状況にまで影響を与えたというような話ではなく、その辺りがすれ違っている原因ではないかと感じます。
- 一方で、ハドソン湾地域では目立った戦闘はなかったにも関わらずイギリスへの割譲が行われているのは確かですし、ニューファンドランド島の状況にしてもご指摘の通りですね。和平につきましては追加で色々調べていて出てきた部分もありましたので、加筆調整してみました。スペイン継承戦争におけるヨーロッパ側の都合についても言及いたしましたので、納得感が得られないという部分はある程度解消したかと思いますがどうでしょうか。--重陽(会話) 2017年6月4日 (日) 15:52 (UTC)
- コメント たぶんそのあたりは、背景をよく把握している人と、していない人の差が出ていると思います。アカディアという地名自体が、それってどこ、という人間にとって(ノバスコシアと言われるとまだわかるが、そこの地名まではよく知らないです)、アカディア半島部を制圧したけど残りはまだ抵抗した、と言われると、それがどの程度の成果なのかよくわからないのです。前半の戦闘行動を解説している部分では、ポートロワイヤルの陥落をごく簡単に触れるだけなのに、そのあとにまだアカディアの残りの部分は依然として抗争中、と言われ、それがメイン州東部やニューブランズウィック州に当たる、と言われると、陥落させられたのはごく一部に見えるわけです。一方、講和条約でアカディア、ニューファンドランド島の主権、ハドソン湾地域およびカリブ海に浮かぶセントキッツ島の島々を得て、イロコイ連邦への宗主権、インディアンとの貿易開放、漁業権の確立と、イギリスが得たものが多数列挙されているので、あまりに戦闘の結果と講和条約が釣り合わないのでは、と見えています。これが、戦闘行動の結果を順当に反映したものなんだ、という風には見えていないのです。ニューファンドランド島についていえば、イギリス側が支配するセントジョンズについて、いったんフランス側に陥落した後イギリス側が再占領していますが、一方でフランス側の中心地プレゾンスへは攻撃は行われていない、とあるようです。それなのにニューファンドランド島の主権がイギリスに移譲されるのか? という感じもあります。--Tam0031(会話) 2017年5月31日 (水) 13:41 (UTC)
- コメント 講和条約においてイギリスがアカディア半島を得た点を指して「イギリスに有利な講和条約」とお感じになられていたのかと思ったのですが、ご返答からすると違いそうですね。戦争の帰趨が行き来しているというのはある意味その通りで、だからこそ記事後半に書かれています通り、フランスは講和条約に含まれるのはアカディア植民地のうちの半島部分のみだと主張して半島以外の実権を維持し続けたわけですし、拡大政策を続けるイギリスに対するインディアン部族の抵抗の継続が後のラル神父戦争に繋がっているわけです。講和条約ではイギリスがポートロワイヤルを占領して半島部分におけるフランスの統治を終了させたことを反映してアカディア半島を得ており、講和時点の状況にふさわしい分だけイギリスに有利な条約にはなっていますが、講和時点におけるアカディアの現状を超えてイギリスに有利な条件になっているわけではありませんし、それは全て記事本文に書かれています通りです。戦時の状況と、条約の内容と、戦後の状況とを記事に書かれている内容から照らし合わせましても、納得感が得られないほどイギリスに有利な講和条約になっているという感覚が共有しづらいです。--重陽(会話) 2017年5月30日 (火) 22:37 (UTC)
- コメント ポートロワイヤルの戦いくらい、しっかりこれが重要だと書いてくれればそれがわかるのですが、こちらの記事だと、アカディアの半島部分でのフランスの統治が終了とは書いてあっても、その次に抵抗がまだ継続、いまだに係争地、などと書かれているので、まだまだ双方で戦争の帰趨が行き来している感じを受けてしまいます。--Tam0031(会話) 2017年5月30日 (火) 13:47 (UTC)
- 賛成 上記の編集を経て、かなり納得がいきましたので、賛成とします。
- 一般論として、その記事だけですべてを説明できなければならないわけではないというのはおっしゃる通りです。ただそれでも書きようというものがあると思います。上記の補足説明を受けると、戦闘行動の説明のところで、「イギリスがアカディアの半島部分の要地であるポートロワイヤルを陥落させ、半島部分におけるフランスの統治が終了したが、アカディアの残り部分では依然としてフランスが抵抗を続けていた」、講和の説明のところで「アカディアの現状を反映して、国境を明記しない形でアカディアをイギリスに譲渡したが、半島以外の部分では講和後も依然としてフランスが実権を維持した」と書いてもらうと、非常にすっきり収まると思います。
- スペイン継承戦争の影響もあって、北米ではフランス側が譲歩を強いられ、イギリスに有利な講和条約となった、ということであれば、この講和内容でも非常に納得ができます。今の文章で、だいぶ良くなったと思います。--Tam0031(会話) 2017年6月5日 (月) 15:01 (UTC)
- コメント 選考終了時点で賛成のみ2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031(会話) 2017年5月30日 (火) 13:47 (UTC)
早期終了・選考通過 選考終了までに賛成票3票が集まり、かつ反対票が1票も投じられていない状態が48時間継続した為、早期終了・選考通過となります。--Eryk Kij(会話) 2017年6月9日 (金) 22:28 (UTC)