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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アラブ・ハザール戦争 20200805

選考終了日時:2020年8月19日 (水) 15:44 (UTC)

  • (推薦)先月の月間新記事賞に漏れた記事です。非常に古い時代の戦争についてなので分かっていないことは多いようですが、それでもわかる限りのことをうまくとりまとめて説明できているものと思います。--Tam0031会話2020年8月5日 (水) 15:44 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Tam0031会話2020年8月5日 (水) 15:44 (UTC)[返信]
  • 賛成 :記事そのものは良質な記事として十分と思われるので賛成します。一応出典のうちGoogle Booksで確認可能なのものをいくつかざっと見ましたが概ねきちんと出典と内容は対応しているように見えます。その上でちょっと気になる点が2つあります。
  • 時系列情報:記事冒頭で「この戦争を642年から652年頃にかけての第一次アラブ・ハザール戦争と、722年から737年頃にかけての第二次アラブ・ハザール戦争の二つの主要な期間に分けて区別している」となっていますが、§第二次アラブ・ハザール戦争の小節§紛争の拡大では「721年もしくは722年には戦争の主要な段階が始まった。両年にまたがる冬の期間中に30,000人のハザール軍がアルメニアに侵入し~となっていて、微妙にずれています。721/722年というまたがり方は恐らく原史料がヒジュラ暦で書かれているのかとも思いますが、Brook 2006のp. 127の記述では「The Second Arab-Khazar War lasted from 722 to 737 and had a profound impact upon the future of the Caucasus. Thirty thousand Khazar soldiers invaded Armenia in 722 or 723 and soundly defeated the Arab army...」となっていてハザール軍のアルメニア侵入の西暦換算年がやはりずれています。他2つの出典のページがGoogle Booksで見れないのでさらに確認ができませんが、第二次戦争の編年情報は要確認であると思われます。
  • 記事名:恐らくですがこの戦争、日本語の定まった名前は無いものと思います。英語版記事を翻訳した西欧史や中東史の戦争名には東ローマ・サーサーン戦争 (602年-628年)のようにほぼWikipedia上だけで使用される名称がつけられている記事が結構あるのですが、本記事名もそれに近いものと思います。これは名称を引っ張ってこれる日本語出典が存在しないところからやむを得ない話なのですが、日本語名に定まったものが無いことは言及した方が良いと思います。--TEN会話2020年8月11日 (火) 15:00 (UTC)[返信]
  • 賛成 :日本語の本では触れられていない話題が多く非常に興味深いです。「§対立するアラブとハザール」の第3パラグラフ後半、ハザルなど草原の民との戦いを通してムスリムが定住世界の防衛者としての自覚を深めていった、みたいな話は「§戦略的な背景と戦争の動機」ではなく、もっと後のほうに、戦いがもたらした影響の節を作って説明したほうがいいかもと思いました。カナ表記に関して。الخزر‎ は、わざわざ英語風あるいはロシア語風に「ハザール」とする必要はなく「ハザル」でいいのではと思います。あと、أبو عقبة الجراح بن عبد الله الحكمي‎ は「ハカム部族のジャッラーフ」でいいのではないでしょうか(Allah の語末の h (本来は発音する)の発音を省略するのは慣用読みであって例外です。)。--ねをなふみそね会話2020年8月13日 (木) 04:34 (UTC)[返信]
  • 返信 :初版投稿者です。まずは皆さん推薦とコメントありがとうございます。まとめてになりますが、いただいたコメントについて返信致します。
    • 時系列情報:できれば記事全体についても確認し直すべきかとは思いますが、取り急ぎご指摘いただいた点について確認してみました。確かに Brook 2006, p. 127 では722 or 733となっていて記事本文とはずれがありました。他の出典も確認してみましたが、閲覧ができた Blankinship 1994, p. 122 では、「In this battle, a large Khazar army had routed the forces of the Himsi Mi'laq b. Saffar al-Bahrani, the governor of Adharbayjan and Armenia, in Ramadan 103/February-March 722 in Armenia...」とあり、こちらは記事内容通りの記載になっています(ただし「両年にまたがる冬の期間中に...」の部分は記載していると思われる前のページが閲覧できなかったのでこちらは確認できていません)。in Ramadan 103/February-March 722 の記載の仕方から見るに原資料はヒジュラ暦ベースと思われるので、ヒジュラ暦の記載がない出典の「◯年か◯年に...」の記述もご指摘の通りこの影響が一部あるのかもしれません。出典間で微妙に時期がずれていることは他でも経験があるので、このあたりはどの出典を一番信頼の置けるものとして採用するか次第になってしまうのかなと思います。とりあえずは別出典で確認できたので、記載はそのままにしておこうと思います。
    • 記事名:記事名が日本語の出典ではなく英語の出典の翻訳に基づいている点を注釈に記載しました。この問題は最初から認識していて、この記事の一番の問題点は本文じゃなくて記事名だよなあと思いながら翻訳していたので、いただいたコメントは覚悟していたというのが正直なところです^_^; 一応この戦争についての日本語情報は調べてみましたが、テーマのマイナーさもあってこれだという名称の情報は見つかりませんでした。以下は蛇足ですが、戦争関連の記事ではっきりと固有名詞化した日本語の名称が出典から得られるのは、一部の世界史的に重要な戦役でもない限りあまりないのではないかと思います(個別の戦闘や古い時代になるとますますない)。他言語版の秀逸な記事や良質な記事でその言語では出典に基づいた固有の名称(記事名)が与えられていても、(カナ表記の問題も含めて)対応する日本語の名称が見つからないために翻訳を躊躇/保留している記事は他にもいくつかあります。とはいえ記事の充実という目的からすればそのために作成できないというのも本末転倒な話なので、必要であれば後から議論・改名するとして今回のような対応で記事を立てていくのもありなのかなと思っています。
    • 対立するアラブとハザールの節:ご指摘いただいた箇所は個人的には細かい経過の説明に入る前の時代背景的な説明の一部と捉えていたので特に違和感はなかったのですが、もし単独で総括的な影響を説明する節を作るのであればそちらに話を持っていくのはありかもしれません。ただ翻訳記事ということで手元にすべて出典を揃えているわけではないので、構成を作り変えるのは難しいですが... この記事については私も日本語では触れたことのない情報が多く、その点でかなり興味深く楽しみながら翻訳させてもらいました。ここまで仕上げてくれた英語版の執筆者には感謝したいところです。
    • カナ表記についてالجراح‎は、アル=ジャッラーフに修正しました(確かにこちらが正しいですね)。名前もナサブを外してニスバに入れ替えました。定冠詞は残してますが… アラブ系の人名表記はどこまで含めるかが悩ましいところです。英語版の記事名はニスバを含めたり含めなかったりと割と適当ですが、今後新規に記事を立てる機会もあると思うので、何らかの方針はあっても良い気がします。現行の方針となっている定冠詞の後ろの=も、特に定冠詞が促音化している場合はwikipedia外ではほとんど見かけないです(アッ=ダウラとか)。ハザル表記はさすがに日本ではハザールと長母音表記している例の方が多いと思われるのでそのままにしていますが、日本語で一般化していても原音と大きくずれているケースはよくあるので、こうなるのはある意味仕方がない気がします。--Los viajeros 77会話2020年8月14日 (金) 14:23 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2020年8月15日 (土) 14:08 (UTC)[返信]