Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アドルフ・アイヒマン 20100926
アドルフ・アイヒマン - ノート
[編集]選考終了日時:2010年10月10日 (日) 05:12 (UTC)
- (推薦)ナチス・ドイツ関連の記事は、先行研究が多く、記事の加筆は専門の方にとってはやりやすい分野のなのかもしれません。この記事「アイヒマン」もまた、ナチス時代の犯罪経歴、アイヒマン裁判とその後の心理学への発展と欠くことの出来ない内容を丁寧に記事に盛り込んでいます。二度とナチスが起こした悲劇が起きないことを祈りつつ、人類の自戒の塔の1つとして、この記事のGAへの推薦をします。--Tantal 2010年9月26日 (日) 05:12 (UTC)
- 賛成 推薦者票です。--Tantal 2010年9月26日 (日) 05:12 (UTC)
反対 2010-09-09 07:52:42 (UTC)版に対して。一読しましたが、GAであるにせよ記事の完成度に疑問を感じました。
- 冒頭にTemplate:政治家が使われていますが、アイヒマンは政治家なのでしょうか。定義文の「警察官僚」(こちらが適切でしょう)と明らかに矛盾しています。
- まず戦後の経歴(「逃亡」から「処刑」まで)について。明らかに出典が欠けています。推薦理由に「その後の心理学への発展」との関連が挙げられていますが、わずかにミルグラム実験との関連が触れられているだけで、なぜそこまでの評価が可能なのか分かりませんでした。
- アイヒマン裁判を経て、アイヒマンは「凡人」であったという評価についての書き方についても問題があるように考えられます。
- アイヒマンを凡人と形容し、それにも拘らず/それゆえに悪に加担した、という命題はアーレントの著作に由来するものです。しかし、今日ではアーレントの命題を額面どおりに理解するよりも、アーレントの思想や当時の思想的状況を勘案して読解するのが普通です。出典が示されていない以上は内容から推察するしかないのですが、「裁判」の節がアーレントの著作にほぼ従った内容になっているに見受けられますが、果たして今日の歴史家や研究者による再検討はなされていないのでしょうか。
- 新聞(雑誌だったかも?)の契約記者としてアイヒマン裁判取材に赴いたアーレントのリポートを通じて、同時代のアメリカの人々はアイヒマン裁判をほぼリアルタイムで知る形になりました。しかし、アーレントのリポートはアメリカのユダヤ人社会(特に亡命者を中心に)大変な反発を持って迎えられ、帰国後、アーレントはユダヤ人社会で孤立しました。アーレントの伝記的事項はさておき、同時代の反応として重要なアメリカのユダヤ人社会の反応が欠落しているのは、「GAだから『ある程度』で」ということで許容されるとは考えられません。
アイヒマンないしアイヒマン裁判はアーレントの著作における「悪の凡庸さ」というテーゼと結びつかなければ、他国から被告人を誘拐して強引に戦犯裁判を開いたという、ある種の現代史スペクタクルの域をおそらく出なかったでしょう。現時点の記事は、アーレントの著作とそれがもたらした社会的・思想的反響についてまったく弱く(というか全く目配りがなされていない)、ナチズムとの関連のみでしか捉えることが出来ていないようです。その意味で、アイヒマンという人物自身が全くの小人物であったにも拘らず、各種の知的・思想的な派生効果を生んだ理由を説明できていない(=特筆性を説明できていない)というのが私の評価です。
前述の点と重なりますが、アーレントの著作がいわゆる「客観的なリポート」としての性格を持つのかどうか、疑問が寄せられている部分があります。その意味で裁判前後の事実の出典としては、アーレントの著作を相対化・客観化して評価することが出来るようになった、1970年代後半から1980年代以降に刊行された研究に依拠するべきでしょう。この点、選考対象の記事ではありませんが全体主義やファシズムについても同様に見直されるべき点です。--ikedat76 2010年9月26日 (日) 14:29 (UTC)書きわすれ--ikedat76 2010年9月26日 (日) 14:46 (UTC)
コメント やはり政治家のテンプレートを使っていることは気にかかります。また、継母の名前が「マリア・ツァヴァルツェル」(Maria Zawrzel) とされていますが、この名前で検索してみても、この記事とこれを引いたコピーサイトくらいしか出てこないようです。Zawrzelというつづりはこれで正しいのでしょうか。
アイヒマンといえば、モサドは本人であるかどうか確信を持てずにいたけれど、妻との本来の結婚記念日に花を買ったことがきっかけでばれた、という話があったように思うのですが、まったく触れられていません。履歴を見ると、過去には書かれていたけれど、今回の加筆で別な内容に変わっているようです。ということは事実ではないエピソードなのでしょうか。有名な話なので、もしそれが事実ではないというのなら、そうだと明言する意味があるように思います。事実ではないと断言できる出典を探すのは大変なのでしょうけど。
ikedat76さんの批判されている内容は、なるほど詳しい方から見るとこういう批判ができるのかと思うのですが、さすがにGAレベルでそこまではちょっと厳しすぎるのではないかと感じます。FAにするにはそういう内容が要求されるのかもしれませんが。私としては、上記の内容が修正されるくらいになれば、賛成票を入れるつもりです。--Tam0031 2010年9月27日 (月) 16:14 (UTC)
- コメントちょっと問題なモノを発見してしまいました。
- 本項目の2010-09-28 12:36:22 (UTC)版基準で注56(2010-07-11 15:29:04 (UTC)版で加筆)
- イエルサレムのアイヒマン(初版(2009-04-26 17:44:39 (UTC)版))
- 後者から前者への履歴不継承によるcopy&pasteではないでしょうか。そうなると、2010-07-11 15:29:04 (UTC)版の直前の2010-07-01 17:29:04 (UTC)版まで実質的に差し戻されることになります。私がこのコメントを書いている時点での最新版である2010-09-28 12:36:22 (UTC)版との差分は決して小さくないように見えます。選考についても別の機会に仕切りなおした方がいいのかもしれません。
- 削除依頼(Wikipedia:削除依頼/アドルフ・アイヒマン)については当方で出します。ひとまず推薦者のTantalさんにお知らせしておくことにします。--ikedat76 2010年9月28日 (火) 14:57 (UTC)
(選考終了)賛成1:反対1で選考通過せず。今回は見送りましょう。--ikedat76 2010年10月10日 (日) 13:07 (UTC)