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Wikipedia:秀逸な記事の選考/キリシタン版 20070415

賛成/条件付賛成/保留/反対 0/0/1/1 この項目の選考期間は、2007年7月15日 (日) 13:18 (UTC)(2007年7月15日 22:18 (JST))までです。 (ノート

(推薦理由)Wikipedia:秀逸な記事の選考/日本語の際に、引き合いに出された項目ですが、この記事もまた脚注、参考文献の提示が適切であり、最も重要である内容の充実、研究史への言及も含めており、日本語と比較しても劣らない良質な記事だと思いまして、推薦させていただきます。--Tantal 2007年4月15日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

  • (保留)条件付賛成に近い形での保留票です。内容の充実・出典の明記などについては問題はないと思います。ただ、目安である「わかりやすさ」「完成度が高い」という点について、もう少し修正が必要であると感じました。具体的には、文章の長さ、5W1Hを意識していれば修正できる箇所、過度の漢字使用などがあります。具体例を挙げますと、
  1. 主語と述語がかなり離れている場合が多いです。たとえば、「前史」の節冒頭の「イエズス会の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、〜をとった。」という一文は3行近くあり、そのなかにヴァリニャーノが「欠かせないことを認め」たことと、「方針をとった」という述語2つを詰め込んでいます。日本を巡行したこと、そこで日本の宣教師たちと会議をしたこと、その結果、教育事業を拡大する方針をとったこと、これらはそれぞれ一文であったほうがわかりやすいと思います。
  2. 5W1Hを意識して記述すれば修正できたはずの部分が多く残されています。たとえば、先ほど示した部分の次の一文「すでに教育に必要な書物は整備されつつあったが、〜報告した。」ですが、主語はおそらくヴァリニャーノだとしても、「誰に」報告したのかがわかりません。また、本文一番最後の一文「大内田による古活字版とキリシタン版の関係の指摘から、森下修と山口忠男の印刷技法についての考究から、国字本についての研究が多く出ている」は、正確な意味がわかりません。「大内田の指摘と森下修らの考究を基礎として国字本についての研究が多く発表された」という意味なのでしょうか、
  3. 順序よく整理して説明する、という点についても努力が必要だと思います。たとえば「学林」という単語ですが、はじめはなんの補足説明もなく使用されていますが、そのあとで「コレジオ(学林)」という表記がなされています。この説明は一番先にやっておくべきではないでしょうか。そのあとも、「コレジオ」という語と「学林」という語が混在してつかわれています。また、人名である「ヴァリニャーノ」と「ヴァリヤーノ」という表記が混在しております。どちらでも良いにしろ、統一しておいた方が余分な混乱を招かずにすみます。
  4. 過度の漢字使用や同音の漢字による書きかえが可能な表現が所々みられます。具体的には、蒐集・俟って・委しく・湮滅した・遵う、などです。個人的にはこうした表記は好きですが、現代の義務教育を受けた人間では読みづらいと言われるのも事実だと思います。
これらの解決法としては、Wikipedia:表記ガイド#文体に従って修正をしていただくと良いかと思います。--ZERO 2007年5月30日 (水) 14:17 (UTC)[返信]
  • (反対)百科事典というよりも研究論文のような印象を受けます。図や写真を挿入するなどして、もう少し素人にも取っつきやすい印象を与えるような工夫が必要ではないでしょうか。おびただしい脚注も、そこまで必要なのかという気がします。専門性も大切ですが、平易さも大切です。--ホルン 2007年6月14日 (木) 11:54 (UTC)[返信]
    • (コメント)ホルンさんとは別の観点から私はこの項目の秀逸性を否定するのですが、素人に取っつきやすい印象ということが気になりました。写真についてですが、書籍の所蔵を省いていますが、表中の大部分の書籍は日本国外にあり、私が掲載許可の手紙を書くとしてもいつになるのかわかりません。これより簡単に掲載できるとは思えません。内容についてですが、出版事業の解明が進んでおらず、現代的な出版事業との比較ができない(あるいはされていない)という点でわかりやすさを目指しにくく、また、日本でのキリシタン伝道の一事業という高い特殊性は、そもそもわかりやすさからはすこぶる遠いと思います。脚注については主題の性質上検証性を確保するのにどうしても量がかさばるので、いまはむしろ少ないくらいだと思います。
    • しかし、文章自体に欠陥があるというのもたしかなことです。改稿を進めてはいますが、目処が立ちません。とある資料をなかなか閲覧する機会をえないために公開もできないのですが、さしあたり現状で、執筆者の努力不足によってわかりにくいのだ、と指摘できるところはどこだとお思いになりますか? Kzhr 2007年6月14日 (木) 17:03 (UTC)[返信]
    • (コメント)まず文章の可読性に難があると思います。具体的な問題点は上記で指摘されている通りです。とりあえず一文ずつ、もう少し短くする必要があるのではないでしょうか。あと記事名は「キリシタン版」になっていますが、挙げられいる参考文献の大半は「きりしたん版」となっています。このあたりも現行の記事名が正しいのか、専門外の人間には分かりません。--ホルン 2007年6月27日 (水) 00:48 (UTC)[返信]