Wikipedia:秀逸な記事の再選考/インフルエンザウイルス 20110708
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(ノート) 本項は医学記事にも拘らず参考文献は僅か2点にとどまり、兄弟記事であるインフルエンザと比べても見劣りする内容ではないでしょうか。本項は2005年に秀逸な記事に認定されていますが、2011年現在の秀逸基準には達していないと感じたため本項の秀逸除去を提案します。 オクラ煎餅 2011年7月8日 (金) 01:49 (UTC)
- 現状維持: 秀逸の要件としては出典又は参考文献の存否に留まっており、その数は直接関係ありません。難を言えば、これほど長い記事であれば参考文献中のどのページを出典としたものか、逐一refを付けた方がベターかとは思いますが、現状の秀逸を覆すほどとは思いません。ろう(Law soma) D C 2011年7月8日 (金) 03:38 (UTC)
- 現状維持 医学(/生物)記事で参考文献が2点ではいけない理由はない。項目の性質や、挙げられている参考文献からは、それで足りるといえば足りるのではないかと思うのですけれど。インフルエンザと比較するなら、そっちを秀逸の選考にかけてもいいのでは。特に見劣りするとは思いませんし、2011年の秀逸基準に達していないとは感じませんでした。--Ks aka 98 2011年7月8日 (金) 13:54 (UTC)
- (Law somaさん、Ks aka 98さんへのコメント) 記事の中の個々の記述についての出典が一つもない、という時点で論外でしょう。百歩譲って、それを置いておくとしても……医学記事に限らず、たかだか2点の参考文献でまっとうな記事が書けるとでも思っているのなら、それはウィキペディアの方針的にも、それ以前にメディアリテラシーや一般常識からいっても非常識な意見でしょう。そんなものではFAどころか、普通の記事に求められるべき正確性・中立性・網羅性すら満たすことなどできません。万が一その2点が、それだけで正確性や中立性を実現できる素晴らしい資料だったとしても、それを保証できる者はいませんし、「この2冊で十分だ。俺が保証する」とでも言うのならただの独自研究です。FAの要件に参考文献が何件以上といった記述はありませんが、それはFA以前の問題だからです。たとえば1点だけであれば{{単一の出典}}によって注意書きが掲げられますが、2点というのは記事として(煩わしいテンプレを貼られなくて済む)最低限のレベルに過ぎず、秀逸どころか良質にも及ばない低レベルなお話です。なんでこんなことを言わないといけないのでしょうか…。--氷鷺 2011年8月7日 (日) 16:38 (UTC)
- コメント 出典のこの使い方を見ると、他原語版の話で恐縮ですが、選考の厳しい英語版では落選、ドイツ語版、フランス語版では当選、といった印象を受けます。--Calvero 2011年7月12日 (火) 17:06 (UTC)
- 除去参考文献で挙げられている2点の内中村喜代人の方はまだ譲るとしても、「Fields Virology」の方は参照頁1487-1580とかなりの頁数が参照として挙げられているにも関わらず、その情報がこの項目のどの記述の出典として使われているのか全くわかりません。また、この書籍自体は「最も権威あるウイルス学書」と評されている物のようであり、参考文献として非常に有用な情報が詰まった書籍であるのだろうなとは思うのですが、この記事で採用されている当該書籍の第4版は10年以上前に出版されたものであり「全面改稿版」とされている第5版ですら約6年前に出版されているものであること等から[1][2]、その参照頁数から記事のかなりの記述・或いはほぼ全ての典拠として使われていることが推察される出典としては余りにも情報が古すぎるのではないか?(10年もあればインフルエンザウイルスに対する学術研究の結果により、従来とは違う新たな問題点や新型ワクチン/薬剤の開発等が発生し、種々様々な変化から新たに盛り込む/更新すべき情報が多々あるのではないか)という点、更にこの2つの参考文献はそもそも秀逸記事選出時に存在したものではなく、2年後の2007年6月19日 (火) 12:30時点における版で初版執筆者のY tambe氏が追加なさったものです。秀逸選出時のこの記事の大部分の執筆はY tambe氏が行ったものであり、この出典の追加は氏が記述に際して参考にした文献を後になって補遺したと考えますが、その一方でここから最新版までは6200バイト程増え、実際の記述にも結構な文量の追加があり、選出時から記事の内容に変化が生じているにも関わらず、それらには出典が付されていない点(特に公衆衛生節でそれが顕著に見られます[3])更にY tambe氏氏が出典を付すまでの2年間の間にも1700バイト程とは言え、若干の記事の成長が見られているも関わらず、これにも出典はありません(インフルエンザウイルス#A型インフルエンザウイルス節の「ウイルス粒子の放出」における「特に小児の場合、耐性ウイルスが発生しやすく~という報告もある。」という一文はこの間に他の編集者によって加筆されたものですが[4]、現状ではこの記述すら上記の参考文献を元にしたように見えてしまっています)。以上の事から現状の秀逸記事の基準には達していないと考え、除去が妥当であると考えます。--タールマン 2011年7月17日 (日) 03:50 (UTC)
- 除去医学分野で良質な記事にとどまっている他の記事と比較しても、出典がやや見劣りするように思えます。--Phenomenology 2011年7月23日 (土) 00:30 (UTC)
- 除去 出典が分かる記述が一つもないのでは、FAどころか平均以下でしょう。最後に「参考文献」を挙げただけでは不十分。--氷鷺 2011年8月7日 (日) 07:19 (UTC)
- 除去 いま選考にかければ、GAすら通過しないのでは。文献は2001年と2004年のものしかありませんが、本文中には2005年以降の動向も記されています。少なくともこの部分に関しては、間違いなく出典のない状態です。--Trca 2011年8月7日 (日) 14:26 (UTC)
- 除去 医学(/生物)記事で参考文献が2点ではあまりにもなさけない。参考文献が2点ではいけない理由はないというのは一般記事の話です。秀逸とは一般の記事より優れていると言うことだが、参考文献が2点それも古いものなのにほかより優れているとはありえませんね。--ぱたごん 2011年8月7日 (日) 15:58 (UTC)
- 除去 この項目は身近であり、なおかつ危険な病気について扱っています。それゆえに、情報源は専門分野においても十分に信頼できるものであり、記事の記述全体を支えるものが求められると考えます。--有足魚 2011年8月7日 (日) 16:53 (UTC)
- 除去
参考文献が2点で、かつ文中に出典がないという記事は、現状のFAとしては完成度が高いとは言えないと考えます。--Haifun999 2011年8月7日 (日) 16:58 (UTC)- コメント 2点であることはそれでもいいと考え直しました。ただ、本文の記述と参考文献の対応が分からない状況にあり、検証可能性が十分であるとはいえないと思いますので、票は変更しません。--Haifun999 2011年8月9日 (火) 10:56 (UTC)
- 除去 現在この記事を選考にかけてもFAどころかGAにも通過しないでしょう。このことは除去するに十分な根拠となると考えます。特にタールマンさんやTrcaさんが指摘されているように出典が明示されないままに多量の追記がされているのは致命的です。--Web comic 2011年8月7日 (日) 23:25 (UTC)
- 現状維持: 微生物学を勉強する(した)者からすると、当該文献は最高水準(バイブルと言われる)のものでありこれ以上文献数を増やす=質を劣化させる事につながりかねません。ただ、新たな記述を行うにあたり最新の版の資料を元に加筆する事は止めるべきではないでしょう。例えば上記の文献の孫引きの様な参考文献を10冊を元にするより、よほど適切であると考えます。--Vigorous action (Talk/History) 2011年8月9日 (火) 10:40 (UTC)
- 最高水準だから、バイブルだから、何なのでしょうか。その程度の情報くらいは確認したうえで、皆さんFAに値しないと言っているのでしょうけど。そもそも、現状はそれ以前の問題でひっかかっている訳で、結局、バイブルだから何?という。それはもう少し改善されてから言えるセリフであって、ちょっとまだ早すぎます(意味がないです)。
なんというか、盲目的にこれだけで十分FA…とかいう姿勢が異質というか、万が一そういう思考停止の「宗教」を押し通すつもりならいっそ他所でやってくれると有難いなぁと。--氷鷺 2011年8月9日 (火) 11:15 (UTC)
- 最高水準だから、バイブルだから、何なのでしょうか。その程度の情報くらいは確認したうえで、皆さんFAに値しないと言っているのでしょうけど。そもそも、現状はそれ以前の問題でひっかかっている訳で、結局、バイブルだから何?という。それはもう少し改善されてから言えるセリフであって、ちょっとまだ早すぎます(意味がないです)。
- コメント 以前のコメントが簡単なものだったので、詳しく問題点の指摘をしておきます。なお、文献が少ないことだけでは除去理由には不十分と考えていることを申し添えておきます。それでも、氷鷺さんご指摘のように、一般的には多いほうがよいのは間違いありません。
- 文献のうち最新のものが2004年なのに、2005年以降の出来事が随所に記載されているため、少なくとも一部は出典による裏付けのない記述になっている。
- 秀逸な記事の目安に「百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている」ことが挙げられているが、上のコメントと同じ理由で、出典のある記述は2004年以前の知見に留まる。インフルエンザウイルスのような社会的・医学的・生物学的に注目されている題材に関して、その後数年間に、説明すべき研究の進展がなかったとは考えられない。
- 同じく「説明されるべきことが全て」に照らすと、インフルエンザウイルスの分子進化や分子系統に関する研究がほとんど解説されていないのは物足りなく感じる。基礎的にも医学的にも興味深い研究がなされているはず。
- タールマンさんのご指摘にあるように、参考文献の提示後に加筆された内容が、文献に裏付けられていることの保証がない。これは現状維持派の方が確認すべきことだと思う。
- 抗インフルエンザ薬節の第2段落はかなりJPOV。日本中心に書くのではなく、世界的な動向を説明するなかで日本にも触れるのが適切。「上市されている国もある」は言葉を濁さず、具体的に書くべき。--Trca 2011年8月9日 (火) 12:06 (UTC)
- コメント 文献が2件であること自体は、大して問題ないと思います。文献参照なき加筆は、差し戻せば良いでしょう。必要だとすれば、要所要所におけるページ番号の明示だと思います。例えば、#ウイルスの吸着セクション「体内に侵入したウイルスは、まず標的になる宿主細胞の表面に吸着する。この過程において重要な役割をするのがヘマグルチニンである」などは、参照文献の何ページを見れば読者は検証できるのか。大事なのは「読者が検証できるかどうか」です。ウィキペディア日本語版の頂点たるFAであれば、読者が検証に要する時間を短くしてあげることも、要件の一つとなってもおかしくないと思います。また、検証可能性に限らず、歴史節等では原著論文の書誌情報表示も、FAであれば必須と言う査読者もいると思います。例えば、1933年の実験の文献ですね Smith W, Andrews CH, Laidlaw PP. A virus obtained from influenza patients. Lancet 1933; 225:66–8。
- 英語版の科学項目文献参照指針では「検証容易性と可読性と編集容易性のバランスが大切」と解説しています(The goal is to achieve a reasonable balance between ease of verification, readability and editability)。除去を主張される方も、現状維持を主張される方も、この「バランス」について、ぜひご一考ください。--Akaniji 2011年8月9日 (火) 13:18 (UTC)
- 除去 Trcaさんの見解に同意します。文献のうち最新のものが2004年発行である以上、2005年以降に関する記述についてはすべて出典が明記されていないということになります。この点を無視することはできないでしょう。--Pastern 2011年8月10日 (水) 08:30 (UTC)
- コメント 参考文献が2本では不足だとかいうのは,NPOVともVとも関係のない思い込みであり,また,内容と出典の吟味をせずに形式的に判断しているということのあかしでもあります。また,2005年からかならず進歩があるはずだ,というのも,いわば根拠のない決めつけであって,けっきょく,この項目が具体的にどう改善を要するものなのか,あるいは要しないのか,出典箇所の明記の必要以外,あきらかにされていません。要するに,だれも検証せずに賛否を投じているらしいことであって,だれにとっても得るところのない再選考になっているのではないかと危惧します。 Kzhr 2011年8月11日 (木) 03:54 (UTC)
- コメント Twitter等で目にしてひと通り目を通した程度なのでコメントのみ。記事の内容自体は、十分な網羅性があり、分かりやすく、(少なくとも私の知識上)間違っていそうな情報もないように思いますので、その点は十分に評価されるべきでしょう。また、医学のしきたりにはあまり詳しくありませんが、記事の内容を見るに、理学・工学などの分野と同様に、どの教科書を参照したところで、違いはそれがどれぐらい分かりやすく書かれているかというだけであって、本質的な情報の量についてはそれほど変わらないんじゃないかと思います。ですから、「2冊の参考文献で、これだけの記事の全ての文章に書かれている情報が検証可能である」ということはありえないことではないと考えます。そういう意味においても、参考文献の数が何冊だからどうこうという話そのものについてはあまり意味のあることではないと思います。ただし、参考文献数が少ないこと自体は悪いことではありませんが、それは良いことでもありません。複数の信頼できる情報源をなるべく多く調べ使用することは、記事の品質、特に信頼性を高める点で、大変に重要なことであるからで、もちろんそれは、FA選考においても考慮されるべきです。また、他の方もおっしゃっているように、具体的にその記述の情報がどの文献のどこにあるのか示されていないのは、これも誉められたことではないでしょう。一般参照方式そのものに異を唱えるわけではありませんが、特にウィキペディアのような「素人(とみなす人)の集団」が執筆する上では、「これはここにあった!」と一対一できちんとその対応を述べる内部参照方式が、記事の信頼性を高める上で重要な役割をはたすでしょう。Xのことだけを知りたい場合に、AからZまで書かれたものを渡されるのとXのページだけを渡されるの、どちらが親切と思うか、そういう配慮の問題になると思いますが、一応ウィキペディア日本語版で最高の評価である「秀逸」を目指すのであれば、そのような細かい点においても問題になってくるでしょう。少なくとも、他の(最近の)FAやGAでは、そのような配慮がきちんと/ある程度なされているものばかりであることは、選考基準を考える上で考慮すべきです。と、ここまでコメントを書きましたが、Wikipedia:検証可能性方針とその近接方針については、近年では統一見解ができつつあるものの、その強度などにまだ幅があるものです。つまり、どこまでを許容するか、人それぞれになっても仕方ありません。先に述べたように私は「考慮すべき」と思うものも、人によっては「そんなの関係ない」と思われるかもしれませんし、その価値観は、それはそれで理解できます。少なくと2005年の選考当時は後者の人が多かったのがこの結果でしょうし、しかし現在ではその考え方も変化してきていることは、現状維持派も除去派もお互いに認め合った上で、ここでの再選考が口撃とならないように願います。--青子守歌(会話/履歴) 2011年8月11日 (木) 04:39 (UTC)
- コメント 日本語の参考文献『戸田新細菌学』32版をNDL関西館で確認してきました(ついでに33版も)。Y tambeさん以外の方の加筆について、インフルエンザ関係の近刊書籍とWEBをざっと見て、出典付けられるものはつけました。こちらの皆様にお願いなのですが、今の版に表示されている内容で、さらに出典を明示すべき個所がありましたら、Template:要出典範囲を貼っていただけないでしょうか。記事の質向上のため、どうぞご協力よろしくお願いします。--miya 2011年8月13日 (土) 04:12 (UTC)
- 出典追加ありがとうございます。しかしながら、冒頭から出典なしで始まり、現在もなお出典ゼロの節がほとんどであることから、{{要出典範囲}}ではなく{{出典の明記}}をそれぞれの節に貼ることで対応しました。また、要出典範囲のコメントアウトは差し戻させていただきました。不適切なものや疑わしいものであれば削るべきですし、有用な記述であれば要出典範囲のまま残すべきです。--氷鷺 2011年8月13日 (土) 04:46 (UTC)
- 氷鷺さんもこれはさすがにやりすぎかとおもいます。2004年以前の記述は{{ページ番号}}、2004以降の記事には要出典範囲もしくはその部分の削除もしくはコメントアウトでいいんじゃないかと思います。しかし、miyaさんも中途半端なことしてFAを維持しようとしても、仮にFAは維持できてもいろんなタグが貼られたままになってしまいます。FA外れたって右上の星が消えるだけで、ほとんどの読者は気が付かないことでしょう。しかし、タグがべたべた貼られたら誰でも気が付きます。出典の脚注提示はきちんとしていないとは言え、この記事は読者の参考になる記事です。なのにタグがべたべた貼られていては信頼が失われることでしょう。きちんとした医学分野で総説には脚注形式で文献提示するのは常識です。miyaさんの行為は記事を守ろうとして逆に記事の信頼・・ひいてはwikipediaの信頼を損ねる行為です。FAは模範たる記事、そして医学系の総説記事(wikipediaは当然総説です)には脚注形式は常識です。--ぱたごん 2011年8月13日 (土) 11:32 (UTC)
- 私見ですが、この記事が書かれた時点においては信頼できる文献を参照し、適切な内容で書かれたのだろうと思います。しかし、この記事は医学分野です。実際にこの数年間で特筆すべき研究の進展があったかは別にしても、今後も書き加えるべきことはいくらでも出てくるでしょう。そうすると、今のままでは、未来において書き加えられるであろう内容までも、過去の文献がその正確性を包括的に担保しているという形になってしまってはいないでしょうか。したがって、ぱたごんさんが指摘されるとおり、とりわけ医学系記事(のような動きの激しい分野)では、脚注方式による厳格な出典の明記を要求するのが常識的ではないかと思われるのです。--Phenomenology 2011年8月13日 (土) 21:18 (UTC)
- みなさん、コメントありがとうございます。まずは、Y tambeさんのご執筆でない部分から出典をチェックして、残りの部分についてはどのような形でどのていど出典をつけるべきか迷って、上でお願いしたものです。{{要出典範囲}}および{{出典の明記}}の添付については氷鷺さんにお礼申し上げます。FAの基準がそこまで厳格とは思っておりませんでしたので、見通しが甘かったというお叱りは甘んじて受けましょう。とりあえず、手持ちの資料で分かる部分は付けましたが、閲覧できていない英語文献が出典であろう個所は、付けることができませんでした。◆ただし、その場しのぎ的な{{要出典範囲}}のコメントアウトは差し戻し。として、内容吟味したように見えないコメントアウト解除があったことは大変残念です。このうち2か所は、必要性に乏しい、もしくは信憑性に疑問があってコメントアウトした部分でした(ノート参照)。また3か所目は、そもそも出典がなければ残しておいても意味の無い個所でした。コメントアウト差し戻しなさる場合には、内容吟味の上、必要・適切と思われる記述に限っていただきたいと思います。--miya 2011年8月14日 (日) 16:56 (UTC)
- 私見ですが、この記事が書かれた時点においては信頼できる文献を参照し、適切な内容で書かれたのだろうと思います。しかし、この記事は医学分野です。実際にこの数年間で特筆すべき研究の進展があったかは別にしても、今後も書き加えるべきことはいくらでも出てくるでしょう。そうすると、今のままでは、未来において書き加えられるであろう内容までも、過去の文献がその正確性を包括的に担保しているという形になってしまってはいないでしょうか。したがって、ぱたごんさんが指摘されるとおり、とりわけ医学系記事(のような動きの激しい分野)では、脚注方式による厳格な出典の明記を要求するのが常識的ではないかと思われるのです。--Phenomenology 2011年8月13日 (土) 21:18 (UTC)
- 氷鷺さんもこれはさすがにやりすぎかとおもいます。2004年以前の記述は{{ページ番号}}、2004以降の記事には要出典範囲もしくはその部分の削除もしくはコメントアウトでいいんじゃないかと思います。しかし、miyaさんも中途半端なことしてFAを維持しようとしても、仮にFAは維持できてもいろんなタグが貼られたままになってしまいます。FA外れたって右上の星が消えるだけで、ほとんどの読者は気が付かないことでしょう。しかし、タグがべたべた貼られたら誰でも気が付きます。出典の脚注提示はきちんとしていないとは言え、この記事は読者の参考になる記事です。なのにタグがべたべた貼られていては信頼が失われることでしょう。きちんとした医学分野で総説には脚注形式で文献提示するのは常識です。miyaさんの行為は記事を守ろうとして逆に記事の信頼・・ひいてはwikipediaの信頼を損ねる行為です。FAは模範たる記事、そして医学系の総説記事(wikipediaは当然総説です)には脚注形式は常識です。--ぱたごん 2011年8月13日 (土) 11:32 (UTC)
- 出典追加ありがとうございます。しかしながら、冒頭から出典なしで始まり、現在もなお出典ゼロの節がほとんどであることから、{{要出典範囲}}ではなく{{出典の明記}}をそれぞれの節に貼ることで対応しました。また、要出典範囲のコメントアウトは差し戻させていただきました。不適切なものや疑わしいものであれば削るべきですし、有用な記述であれば要出典範囲のまま残すべきです。--氷鷺 2011年8月13日 (土) 04:46 (UTC)
終了 除去票が3票以上かつ全体の75%以上となった時点から1週間が経過しましたが、除去9票、現状維持3票でしたので除去で再選考を終了とします。--氷鷺 2011年8月14日 (日) 17:03 (UTC)