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Wikipedia:査読依頼/西獺川 20090628

どうもはじめまして。以前このページを作成したところ、ポータルの新着にて要整理の印が付いたのでムキになり、資料を集めてこの河川の来歴について調べました。これ以上は資料が見つからないため、独自研究しないというルールの下では、もう自分で書ける限界を感じました。内容・読みやすさ・興味を引くかどうかなどあらゆる観点で充分なクオリティーになっているかどうか、改善の余地があれば指摘をお願いします。荒巻モロゾフ 2009年6月28日 (日) 13:43 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
 拝読し、よくよくお調べになってのものであることをまず感じました。同時に、調査結果がそのまま表出されたかのような体裁や、文献の種類のかたより、そして、見解の扱い方に関する若干の問題が目に付きました。
 調査結果がそのまま表出されるというのは、たとえば、
『摂陽群談』『西摂大観』『武庫郡誌』『住吉村誌』のいずれもこの川には言及しておらず、通行の邪魔にもならなかった様で、治水の記録もなければ、大水害の際に氾濫したという記録もない。
のようなところですね。このような記述の問題は、それが全体的にどういうことを意味するのか分らないまま——換言すれば、体系性に欠いたまま——お調べになった文献にどのようにあったかが並べられているということです。なぜ、これらの文献を調べれば西獺川のことが分るとお考えになったのでしょうか? ひょっとすると、獺川は近代に掘られたものかもしれないし、そうだとすれば、江戸時代の文献に見えないのは当然です。また、摂陽群談のような、地誌というのは、土地名所の記述はあってもそれ以上の記述がないのがふつうで、記述がないのがどうということはない。また、江戸時代の地誌と、武庫郡誌のような明治以降の郷土史記述とは、同じ価値があるとは考えられず、明治期の郷土史であれば、行政記録として、ないことに意味があるのかもしれない。明治18年と大正の地図に西獺川らしきものがあるとのご報告がありますから。
 文献の偏りについては、角川の分県の地名辞典の獺川の項目に、注意すべきものがあったことを記しておきます。個々の記述の出典がないのも気にかかるところです。たとえば、掲載されている地図が西獺川であるとたしかに理解していいのかということについて(もし同じ川であっても、名称が同じと言えるのか? やはり、根拠を求めておくべきところ)。
 見解の扱い方、ということについて。さきほど、地誌にないことの意味について書きましたが、もちろん、記述があったのであれば、おおいに頼るべきなのですし、記述されるしかるべしさがありながら、ないのであれば意味がある(明治期のものにないこと)のですが、まったく不明瞭であるところにないということに、ふみこんだ記述をするべきではありません。
 個別のことについては、流路の記述が今一歩意味を取りがたかったことくらいでしょうか。記述が足りないのは、資料が整えられていない以上いたしかたがなく、しいて言えば、水車用水路であったことがたしかならば、どのような利用(歴史・現在)があったのかあきらかになればよりよい項目となろうかと思います。
 くどくどと書きつらねましたが、以上拝読しての感想です。 Kzhr 2009年7月17日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
貴重なご意見を有り難う御座います。二次資料の内容と二次研究(資料に対する考察)との境目を明瞭にする事は大切ですね。今一度資料を見比べて(ついでに現地に赴いて異同がないか調べたり、写真を撮ってくるなどして)内容の再構成にとりかかる心算です。--荒巻モロゾフ 2009年7月19日 (日) 10:25 (UTC)[返信]
【その他】 ──表記・文体など