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Wikipedia:査読依頼/漫画におけるLGBT 20240106

英語版良質な記事の翻訳を叩き台にして改稿を続けてきましたが、題材が大きいためなかなか記事の完成形が見えてこず、内容が散漫なまま記事が肥大化する(している)のではないかと危惧しています。何でもいいのでご意見・ご感想をいただいて今後のためのヒントにしたいと思います。

また事実誤認やトピックの過不足、視点の偏り、分かりづらい表現があればご指摘ください。地域・時代ともに広範囲にわたる内容なので、一部だけでも見てもらえるとありがたいです。特に海外漫画については背景知識がない方が読んでどう思われるのか教えて欲しいところです。--Deer hunter会話2024年1月6日 (土) 11:03 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
コメント 大きい記事の翻訳・執筆ご苦労様です。個人的には、韓国も取り上げてもらえればうれしいですが、資料が難しそうですね。以下雑然となってしまいますが、気が付いたところ、気になったところを上げます。
  • 個人的には、同性愛とジェンダークィアを同じ記事で論じるのは、論旨がぼやけるというか、難しい印象を受けました。
  • 女性の権利が向上した場所では、フェミニズムと並行的に女性のやおい的な表現が生じるらしいのですが、欧米ではあまりないのでしょうか?触れられていて見落としていたらすみません。
  • 冒頭の「異性愛女性が読む少女漫画」という表現には違和感がありました。少女漫画は小学校低学年でも読みますが、そのころはまだ、自分のセクシュアリティは不明な人が多いように思いますし、同性愛者の女性も少女漫画を読むでしょう、たぶん。
  • 「新インプリント」の意味が分かりませんでした。
  • 「欧州大陸の漫画」は「ヨーロッパの漫画」の方が良さそうです。
  • 「同性愛を最初に描き始めたのは竹宮恵子、萩尾望都、山岸凉子など「24年組」と呼ばれる女性漫画家の集団だった」という記述ですが、萩尾望都は当時同性愛と言えるようなものは書いていなかったと思いますし、『トーマの心臓』は同性愛とはいいがたいです。また、「24年組」は集団ではないと思われます。
  • 「『絶愛-1989-』(1989) は国際的なヒットとなった」に補足の説明が欲しいです。どうやって海外に流通したのでしょうか?
  • 「オメガバースのような新しいサブジャンルが登場している」とありますが、日本で生まれたものではないので、誤解を招くかもしれません。
  • 「エス」ですが、マンガで生まれたものでもないので、補足が欲しいです。
  • 「90年代に入ると女性性や同性愛を肯定的に捉えた作品がメジャーになっていった。小中学生向けの少女誌で連載されたヒット作『美少女戦士セーラームーン』もその流れにある。」とありますが、当時「りぼん」「なかよし」を読んでいましたが、セーラームーンのはるか・みちるコンビ以前に、少女誌でレズビアンカップルを見た覚えがありません(以後もないですが)。ここも補足が欲しいです。
  • 「やおい論争」で何が言い争われたのかが良くわかりませんでした。
  • LGBTというと、性自認が大きな要素になると思うのですが、同性愛者という性自認がある、となると、少女漫画では、24年組の少年愛より、パタリロ等、外国が舞台でゲイの大人の男性が登場する、華やかなギャグ作品やバトルものの印象が個人的に強いです。このあたりジャンルとして確立していた印象です。
  • 少女漫画でゲイの人々の苦悩をリアルに描いた作品としては、羅川真里茂の「ニューヨーク・ニューヨーク」が挙げられることが多いと思います。ジェンダーの揺らぎという意味では、手塚治虫の「リボンの騎士」や清水玲子の「月の子」等も入るかもしれませんが、「ジェンダーの揺らぎ」というテーマの資料は少なそうですすし、広がりすぎるかもしれません。

以上となります。参考いただければ幸いです。--呉野会話2024年1月23日 (火) 16:07 (UTC)[返信]

すみません。補足になります。
  • 「やおい論争」は、当事者が不快になるのはわかるので、わからなかった点はやおい側の反論になります。
  • 少女漫画におけるクィア的・性別の揺らぎ的な表現ですが、「IS」のような現代を舞台にしたリアル寄りの作品が出る前は、24年組などがSF・ファンタジーで行っていたのが大きいと思います(萩尾望都の「11人いる」、竹宮恵子「イズァローン伝説」など)。海外のSF小説の影響があるのでしょう。
  • 女性向けの同性愛表現ですが、セーラームーンの女性向けR18同人誌の表現が、意識の転換という意味で大きかったというのをどこかで読みました。かなり前なので資料が思い出せなくて申し訳ないです。こうした尖った分野は、アングラ作品で先に変化が起こり、後で出版物にフィードバックされることも多そうですが、確認困難なのが悩ましいですね。
全て対応してほしいということではないので、ほどほどにご参考ください。いろいろ上げておいてあれですが、すでにやおい、BLという記事があるうえで、重複する部分をどの程度本記事に加筆するかというのも、判断が難しいですね。どちらかの記事に詳しい内容があるものは誘導でいいかもしれません。海外漫画については、十分わかりやすいと感じました。--呉野会話2024年1月24日 (水) 09:56 (UTC)[返信]
返信 お返事が遅くなって失礼いたしました。多数のご指摘ありがとうございました。少女漫画のジャンルは私がほとんど事前知識を持っていなかったこともあり、ほかの方の見方を伺えるのは非常にありがたいです。手元の資料が少ないのですぐにというわけにはいきませんが、改善の指針にいたします。以下いくつか雑感を書かせていただきます。
  • 個人的には、韓国も取り上げてもらえれば
韓国や中国の漫画には興味がありますが、語学の壁でほとんど手が出せずにいます。
  • 同性愛とジェンダークィアを同じ記事で論じるのは、論旨がぼやけるというか、難しい印象を受けました
難しいです。この記事では実のところ主題をきちんと定義しておらず、「ゲイ」「LGBT」「LGBTQ+」「クィア」のような言葉をほとんど区別せずに使っています(基本的に出典の表現にならっているはずです)。そのあたりを整理するのは私の能力を超えるかとも思います。余談ながら手塚治虫はジェンダーの揺らぎなどの描写が鋭い一方で同性愛についてはそれほどでもない、という見方があり[1]、それは何か分かる気がします。
私の理解では、「LGBT」は人権運動の中で集団のアイデンティティを表すために使われ始めた呼称です。英語版はそういう観点で書かれていて、実在のLGBT当事者の社会的認知が進むにつれてフィクションでのレプリゼンテーションが拡大していったという素直な内容になっています(今の日本語版記事もそれを踏襲しています)。そして英語の関連文献や、実際のコミック作品もそういう文脈を踏まえているように見えます。悩ましいのは日本の文献や作品が必ずしもそうではないということです。私はもともと、日本と欧米で「ポップカルチャーにおけるLGBT表象」に対する姿勢に温度差があるように思ってこの題材に関心を持ったのですが、自分でもあまり考えがまとまっておらず、記事にもうまく反映されておりません。
  • 女性の権利が向上した場所では、フェミニズムと並行的に女性のやおい的な表現が生じるらしいのですが
1970年代、日本の竹宮恵子らと同時期に米国でスラッシュ文化が生まれたのは知っています。その中で米国スタイルの二次創作漫画も描かれていたという文献もあったのですが(『美術手帖』2014-12、p.120)、主体は小説で、スラッシュそのものが日本のやおい同人と比べてはるかに小規模なもののように思われたので記事には書きませんでした。それがフェミニズムの発展と関係しているとか、国によらないユニバーサルな現象だというような論は不勉強で知りません。日本の漫画が輸出され始めて以降は、洋の東西を問わずどの国でも日本スタイルのBLが広く受容されている印象があります。それに関しては文献も多いようなので追々加筆したいと思います。
  • 冒頭の「異性愛女性が読む少女漫画」という表現には違和感がありました
おっしゃることは分かります。私としては「同性愛者のコミュニティではないところから同性愛を描く文化が生まれた」という点を強調したかったのですが、表現が悪かったようです。
  • 『トーマの心臓』は同性愛とはいいがたい
私が出典に挙げた英語の文章[2]は『トーマの心臓』が同性愛を扱った漫画だとしています。もう少し正確には「同性愛の要素は副次的であり、むしろビルドゥングスロマンだった初期の少年愛漫画」の代表作だと書いているのですが、少なくとも「同性愛ではない」とも言い難いのではないかと思います。しかし一方で、意見が分かれるような記述を無理に残しておく必要もありません。日本語の文献も参照した上でもう少し考えてみたいと思います。萩尾望都の名前はどこかに残しておきたいところです。なお24年組を「集団」としたのは確かに当てはまらない気がしてきました。
  • 少女漫画では、24年組の少年愛より、パタリロ等、外国が舞台でゲイの大人の男性が登場する、華やかなギャグ作品やバトルものの印象が…
コミケからBLに至る流れに注目しすぎて、本流の少女漫画における男性同性愛についての記述がおろそかになっていたかもしれません。私が読んだ資料では羅川真里茂「ニューヨーク・ニューヨーク」のほか、青池保子「エロイカより愛をこめて」、吉田秋生「カリフォルニア物語」、秋里和国「TOMOI」、高口里純「幸運男子」が重要な作品としてよく挙げられていた記憶があります。
--Deer hunter会話2024年2月1日 (木) 14:48 (UTC)[返信]
お返事いただきありがとうございます。最初にコメントに順番を振っておけば良かったですね。上から順にお返事いたします。
  • 言語の壁は、どなたか話者の方がかかわっていただけるといいですね。中国は同性愛的な表現に厳しい規制があるので、おそらく研究はほぼないのではと思います。
  • 英語版の観点に、全く文脈の異なる日本の資料を追加したころで、難しい記事になっているというのは、私も感じました。特に、日本を加えたことで、同性愛とクィア両方をこの記事に入れることの困難さが増していると思います。そのため、クィアについては日本語版では省く、というのも、選択肢の一つとしてあり得るかもしれません。
4つ目のコメント「「冒頭の「異性愛女性が読む少女漫画」~」のDeer hunterさんのご回答にも関係するのですが、同性愛を描いた同性愛者向けの漫画と、異性愛者による異性愛者向けの同性愛漫画があり、記事で両方に触れるということを、冒頭で書いたほうが、補助線になり読みやすいと思います。「同性愛者のコミュニティではないところから同性愛を描く文化が生まれた」という表現は、わかりやすく、本文にあるとよいのではと感じました。
  • すみません。私のコメントの書き方が不明瞭でした。スラッシュのようなストリームがあるなら、スラッシュの中には小説だけでなくマンガもあるのではと思ったのですが、そもそもマンガが書ける一般人がこんなにいる日本が特異ですね。フェミニズムの高まった場所で日本のBLが受容されている、ということなのだと思います。
  • 前述したため飛ばします。
  • 同性愛の定義は難しいですね。余談になりますが、最近ヴィクトリア朝時代のアメリカ詩人エミリ・ディキンソンの記事を加筆しており、彼女が同性愛者か否かという議論の資料をいろいろ読んでいたのですが、男女の領域が明確に分かれていた当時、同性同士の愛情はかなり深く、深い愛情関係でも(おそらくセックスさえなければ)友情の範囲内で、同性愛という性自認がほぼなかったそうです。熱烈な恋文のような文通、ハグ、キス、女性二人の同居も友情とみなされていたということで、私の中では同性に対してセックスしたいという性愛を覚えること、ということが同性愛に不可欠だと考えていました。なので、好きな人(同性の先輩)の傷ついた心を癒すために、無私の愛情の証明として自殺する、というキリスト教的アガぺを描いた「トーマの心臓」が同性愛というのは、違和感がありました。おそらく出典では、少年愛=同性愛、という解釈なのでしょうが・・・。
24年組は、あまりはっきりした定義がなく、論者がそれぞれ、竹宮恵子、萩尾望都と関連がありそうな、24年あたり生まれの、推している漫画家を入れて(評価しない漫画家を入れず)論じていた印象で、個人的には使いにくい言葉だと感じています。竹宮氏が自著で自分は人気がなかったと語っていたのですが、実際売れていたのはもっとわかりやすいエンタメ作品だったんですよね。少女漫画は難解化して、読者が離れたともいわれています。
  • 竹宮・萩尾あたりの時代の少女向けで男性同士の関係を描く作品は、少女であること、女性になることの苦しみ、葛藤、成長が仮託されている、と論じられることが多いのですが、秋里和国らの作品は、仮託ではなく、人間を描いているという印象がありました。このあたりの作品は(吉田秋生は違うかもしれませんが)、表現に少女的繊細さよりメリハリがあり、男性評論家受けしずらいため、資料が少ないように思います。
当時の印象が多くお役に立つかわかりませんが、以上となります。--呉野会話2024年2月4日 (日) 13:50 (UTC)[返信]
返信 お返事ありがとうございます。一次情報に触れていた方の感じ方を聞かせていただけるのは非常に参考になります。
  • 同性愛を描いた同性愛者向けの漫画と、異性愛者による異性愛者向けの同性愛漫画があり
確かにそういう記述があるといいと思いました。ただそれを導入部に無出典で書くのは憚られます。たとえば、それは日本の漫画だけなのか、その二つははっきり分けられるものなのか、という疑問が湧いてしまいます。うまく表現している出典が見つかったらいいのですが。
  • そもそもマンガが書ける一般人がこんなにいる日本が特異ですね
これは本当にそうですし、女性の描き手による女性向けの商業漫画が当たり前のように昔から存在していたのは日本だけかもしれません。欧米で「女性コミックス」というと「フェミニズムあるいはレズビアンの視点を中心とする … オルタナ系のコミックス」ならびに「日本の少女マンガやヤオイの翻訳版、さらに欧米人によるMANGA作品」しかイメージされないという話もあります[3]
『トーマの心臓』の主要登場人物の関係について、おっしゃるような読み方が成立することには異論がありません。萩尾望都の自伝でも「少年愛」という意識で描いてはいなかったとありました。ただ、この記事で重要なのは、その後のジャンルの発展に果たした役割です。仮に同作の影響を受けたフォロアーが性的な意味での同性愛ジャンルを確立したのだとすれば、作品そのもののテーマが何であれ「同性愛漫画の祖」として記述されることになるでしょう。やはり、このジャンルの文献が同作をどう扱っているか、もう少し調べてみようと思います。
--Deer hunter会話2024年2月6日 (火) 17:05 (UTC)[返信]
萩尾望都本人は「少年愛」を意識しなかったと言っていますが、竹宮恵子・増山法恵とのトラブルがあり、実際そうだったのかは闇の中ですね。自伝では竹宮・増山とそこまで親しかったことはなく、距離があったような書き方ですが、萩尾の『精霊狩り』の仲良し3人娘のモデルは萩尾・竹宮・増山のようですし、特別な相手ではあったのでしょうね(そうでなければあんなに傷つかないでしょうし)。萩尾と竹宮の影響を少年愛という意味で受けた次世代の漫画家さんは、不思議と思いつきません。日本も裕福になり海外情報が増えて、ハイソな外国へのあこがれが薄まると共に、ギナジウムへのあこがれも一部の趣味人のものになったのだと思います。時系列的に書くと最古の人間が「祖」と見えますが、系統として切れている場合は、これも難しいですね。
いろいろお話しできて楽しかったです。どうもありがとうございました。--呉野会話2024年2月7日 (水) 11:36 (UTC)[返信]
【感想】 ──専門外の方による感想。
コメント 現時点で本文が2.5万字を超えているのにまだまだいくらでも内容を増やせそうで、確かに完成形が見えないというのは肯けるところです。海外漫画については通り一遍の知識しかない自分が読んでも、分からないところは仮リンク先の英語版記事を読みに行くなどすれば概ね理解できた気がするので、百科事典の項目としては成立していると思えました。フランス語版を見ていてアデル、ブルーは熱い色への言及があったので気づいたのですが、映像作品の原作としてどの程度採用されたかは、社会における受容度の目安になるかな(あと前略ミルクハウスのように映像化で設定変更が行われた(涼音はトランスジェンダーでなく単なる女装男子ですが)場合は受容度がまだそこまで行ってなかったという目安になるかな)、と思ったのですが、その辺を盛り込むとさらに紙幅が増すのも悩ましいところで、迂闊に提案しかねるところです。多分、この記事の記述を充実させても完成形に近づくのではなく、逆に「アメリカン・コミックにおける~」とか「メディアミックス作品における~」とか「漫画作品における異性装とトランスジェンダー」みたいな複数の記事に分割する未来しかないという気がします。--シダー近藤会話2024年1月6日 (土) 18:54 (UTC)[返信]
さまざまな側面からご意見をくださってありがとうございました。非常に参考になります。
ゆくゆくはテーマを細分化していく必要があるのは確かです。個人的には世界の漫画をワンテーマで横断的に切っていく雑多な面白さというのもあると思うので、分割せずに済むならその方がいいのですが。
個別のLGBTキャラクターや作品を列挙していくとあっという間に肥大化してしまいそうです(英語版がかなりそんな感じです)。2次出典によって重要性が明らかにされている作品に絞りたいのですが、視野の広い概説的な出典があまり見つからないので困ります。日本に限っても、やおいやBLといった特定のジャンルを超えて漫画一般のLGBT表現を論じた文献はあまりないのかなという印象です。--Deer hunter会話2024年1月7日 (日) 17:53 (UTC)[返信]


【その他】 ──表記・文体など