Wikipedia:査読依頼/清教徒革命 20051225
投稿して時間がたってしまいましたが、査読依頼をかけようと思いました。厳しいコメントをお願いいたします。アズンチャ 2005年12月24日 (土) 21:29 (UTC)
門外漢ですが、読ませて頂きました。記述が詳細で、見出しのつけ方も効果的だと思います。ただ、幾つか気になった点があります。
- 「名誉革命」、「チャールズ1世」などの言葉に何度もリンクを掛け過ぎだと思います。
- 清教徒革命は市民革命の一つなのではないでしょうか?すくなくとも「市民革命」の記事ではそのような記述があるので、少しは触れても良いのではないかと。
- (これは単なる質問に近いものなのですが、)「内乱の前提」の節で貧富の差が広がったという記述がありますが、これが「水平派」or「平等派」の形成や財政の悪化に繋がったのでしょうか?
これらはともかく、全体的に見て力作だと思いました。 けふこえて 2005年12月28日 (水) 09:35 (UTC)
- コメントありがとうございます。直してみました。3つめについてですが、革命がおこるには、相当数が社会に不満を持っていなければならず、その不満はおおむね経済的不均衡(「俺たちは年中働いても楽にならないのに、あいつらは椅子に座ってるだけで裕福になれる」という意識)と革命を支持する思想(啓蒙思想やマルクス主義など)の裏付けがあって具体的行動となるようです。現代でも貧富の格差拡大と社会の不安定化は相関性をもって語られることが多々ありますが、それをたくさんある歴史用語・事件で逐一説明するのはどんなものかと。とはいっても、なじみのない人にわかるように説明してこその百科事典ですから、そのへんの落としどころが難しいですね。
- 水平派・平等派などの動機はそこらへんで、これとは基本的には別問題として財政の悪化は当時の国家ならどこでもあったことです。清教徒革命#財政の悪化にもありますが、問題は悪化する財政に改革が追いつかなかったことです。
- とにもかくにも直してみました。よかったら一度見てやってください。アズンチャ 2005年12月31日 (土) 00:06 (UTC)
コータと申します。偉そうな言い方で恐縮なのですが、以前の記事に比べ「すごく良くなった」と思います。ですので、細部について。ヨーマンがジェントリになるものと、没落するものの二極分化したというあたりなのですが、これはヨーマンと小ジェントリが没落し、その分の土地が中規模以上のジェントリに回ったという理解が通説ではないでしょうか。孫引きで申し訳ないのですが、『西洋近現代史研究入門』のハバカク・テーゼのくだりによると上記の様な事が書かれています(望田幸男他編『西洋近現代史研究入門』名古屋大学出版会、1999、p.12)。あとは、欲を言えば清教徒革命の代表的評価について、ホブズボウムとトレヴァ=ローパーの「危機論争」等への言及があると良いかも、という気もします。でも、全体的にとても良くまとまっています。「軍事財政国家」とか、ここ比較的最近の研究への言及もされており、他の西洋史関係の記事とは一味違う記事に仕上がっていると思います。 コータ 2006年1月13日 (金) 12:17 (UTC)
- ものすごいコメントありがとうございます。ちょっと専門的な話になると思うので、ノート:清教徒革命でお返事しようかと思います。ともかく、リサーチ・編集作業中です。アズンチャ 2006年1月22日 (日) 19:03 (UTC)
門外漢ながら。Wikipedia:井戸端を見て参りました。よく資料を検討されて執筆されていると思いますが、量が膨大なのが可読性の妨げになっているも確かだと思います。文章を書く上で難しいのは情報量を増やすことではなく減らすことだ、と院生時代に自分もよく言われました(し、その難しさも一応分かります)が、情報量をうまく圧縮する工夫が要るようです。以下コメントです:
- 井戸端で書かれている通り、戦いの記述量が多いですが、それだけでなく個々の事件の記述を詳細にするか・簡略にするかの取捨選択が充分ではない気がします。通常の(紙の)歴史書でも行われる執筆テクニックのように、その事件が、前後の事態の展開にどう影響したかに本記事の記述は焦点を絞るというのは如何でしょう。個々の事件の詳細な記述は別項に移動して(新記事を立項して)みると、分量が圧縮され、見通しが改善すると思います。
- これは完全に個人的な好みですが、註の付け方について。長大な文書の後ろにまとめて註があるのではなく、
註をつけた段落のすぐ下(「=」2本の)節ごとにインテンドで付けた方が(少なくともオンラインのドキュメントでは)見やすい気がします。
以上2点、ご検討ください。--ikedat76 2006年1月31日 (火) 22:09 (UTC)少しだけ修正。--ikedat76 2006年2月1日 (水) 01:32 (UTC)
- コメントありがとうございます。記事分割、実はためらっていました。革命観にかかわる問題にコミットせざるをえないので…。ただ敷居が高くなってるだろうなという思いもあったので、英語版の分け方を参考にしつつ分けてみました。異論もあるかと思いますが、ここ数年の革命研究はほぼこんな感じのようです。いかがでしょうか。アズンチャ 2006年2月3日 (金) 18:00 (UTC)
- ご検討いただきありがとうございます、拝見させていただきました。以下2度目のコメントです。
- 註の配置ですが、<small>化はあまり必要がなさそうです。<sup>もせずに、番号註(「(註1)」みたいに)した方が、指示個所もはっきりするしよいのではないでしょうか。個人的好みのスタイルですが…
- それから、「分割と圧縮」の提案ですが、もう少し私も丁寧に説明したほうがよかったかもしれないと反省しました。私が意図したのはたとえばこんな具合にすること:
- 一連の革命と内戦はイングランドにおいては、イングランド内戦(1642~1647年、詳細は別項)からはじまった。国王軍と議会軍の内戦は、当初国王軍に有利に推移したが、組織改革などによって実力を増した議会軍が勝利した。しかし、勝利した議会派内では、革命の主導権をめぐって最初は長老派と独立派との間に、次いで長老派・独立派と軍・民衆(平等派)との間に深刻な対立が生じた。これを見た国王派は、議会派の内紛を利用するべく再戦を試みたが失敗に終わった。この国王派のふるまいによって議会と王との和解はついに断念され、軍の主導のもと、国王の処刑と共和政の樹立という帰結(1649年)を迎えた。
- 議論の内容を損ねずに圧縮できているかどうかわかりませんが、このように事件の「骨」(5W優先、1Hは極力簡略に)だけ残すと効率がよく、理解を助ける圧縮ができると思います(記事分割をする際に、記事の冒頭に付ける概要説明をどう書くか、と考えてみると作りやすいかもしれません)。この調子で、ぱっと見た限り例えば「主教戦争」の項などは、
- 2度の主教戦争(1639年および1640年、詳細は別項)はいっそうの財政悪化をもたらし、イングランドのチャールズはスコットランド盟約派と和解せざるを得なくなり、リボン条約を締結した。この条約に盛り込まれたは賠償金支払い条項は、イングランド国庫をいよいよ窮乏させ、長期議会召集につながることになった。主教戦争がひと段落すると、スコットランド議会は国政の中心機関となり、さまざまな議会改革が進められた。この改革がイングランド長期議会での改革および大抗議文のモデルとして採用された。
- などとできそうです。他の個所でもまだまだできるかもしれません。ご検討ください。それから長文お詫びします。--ikedat76 2006年2月5日 (日) 19:04 (UTC)微修正(下線箇所挿入)--ikedat76 2006年2月5日 (日) 19:16 (UTC)
- 丁寧なご指摘、感謝いたします。示していただいた例をお手本に何ヶ所か手直ししてみました。その後自分で通し読みしてみたのですが、これ以上絞るのはきびしい感じが…。ほんとはまだまだ分割せずに書きたいことがある状況でして。いいわけですね。自分でももうちょっと、直せそうなところを探してみます。ほんとうにありがとうございます。アズンチャ 2006年2月8日 (水) 18:53 (UTC)
編集を続けていますが、規模が大きくなってきました。特に予備知識なしで理解できるようになっているか不安な面もあります。一般の方のコメントもよろしくお願いします。アズンチャ 2006年1月30日 (月) 09:14 (UTC)