Wikipedia:査読依頼/吉村秀雄 20130102
表示
出典が単一のものに拠っている点は重々承知していますが、手に入る書籍ですと現状これくらいしかなく、後は雑誌やムックなどを見つけては出典を付け加えていくような形で完成度を高めていければ、と考えています。Ocdp(会話) 2013年1月1日 (火) 15:36 (UTC)
- 【査読】 ──専門家の方による審査結果。
- 【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
- 【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
- 【感想】 ──専門外の方による感想。
- 注釈は引用が必要な所につけるのですが、もしこのような量で引用がなされている場合は、著作権法における引用の範囲を超えてしまい、Wikipedia:方針とガイドラインのWikipedia:著作権の範疇を逸脱してしまいます。「この本を読むと全て伝わる」内容は百科事典では参考文献を挙げれば必要十分(必要以上に引用すると参考文献を掲げる意味や、既刊の書籍に対するリスペクトが失われてしまう)と思います。--inanzu(会話) 2013年1月18日 (金) 12:47 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。注釈なのですが、注釈の記事の種類4にあたる使い方で、引用ではなく補足説明として行っています。引用は人物の言葉を{{Quotation}}を使って5つ記載しています。すべて当事者の言葉に限定して出典も記載しましたが「正当な範囲内」を逸脱しているのでしょうか。--Ocdp(会話) 2013年1月20日 (日) 06:30 (UTC)
- まず著作権範囲内を逸脱する疑いがあるのと逸脱が確定的だというのはちょっと違います。今は出典が多すぎてオリジナルの文章が無いのかのように疑ってかかってしまっただけです。せっかくオリジナルの文章なのですし、文章が出典元からの引用ではないのであれば文章毎に出典をわざわざ書く必要は特に無いと思います。必要以上に多い注釈や出典は却って必要が有る箇所を埋めてしまうので、出典は極力減らして良いと思います。逆に、参考文献は出典とほぼ同じ効果があるはずです。 --inanzu(会話) 2013年1月20日 (日) 15:38 (UTC)
- 意見を賜りたいと思って査読などを利用しているので確たることは言えないのですが「記事に起こした内容の記載された原典をできる限り明記する」というのはWikipedia:出典を明記するの方針なのではないでしょうか。知っていることをただ記載しただけでは独自研究になってしまいますし、他者による検証を容易にするには「general reference」という出典の明記は賛成できないところです。とはいえ、異説などの発生しにくい民間人の記事で、200あまりの出典明記はすこし大げさかな、と考えなかったわけではないですが。
- Wikipedia:検証可能性#方針の方針1「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。」の事実を知った出所を出典として明記しており、引用とは別と思うのですが。--Ocdp(会話) 2013年1月21日 (月) 01:56 (UTC)
- 検証可能性とは、内容が合っているか間違っているかが判ることです。出典となった文献は該当する人物の伝記であって、主題が人物の詳細そのものです。一般に出典でページなど、特定の箇所を指すことになる場合とは、雑誌などのように出典に取り上げられた主題が場所ごとに違うというような、その出典文献の他の箇所は文献の内容と関係ないという意味も暗に含みます。逆に、必要以上に検証可能性への抵触に警戒する記述を行うまでも無いのではないかと思いますが。 --inanzu(会話) 2013年1月21日 (月) 05:50 (UTC)
- なるほど、趣旨は理解しました。シンプルな記述と人物の伝記という点から吉村秀雄を書くにあたって、スタイルは市川雷蔵 (8代目)を参考にしました。この中で参考文献として挙げられている、川本三郎 『時代劇ここにあり』のように、(おそらくは)特定人物だけを扱っているわけではない書籍の中から、市川雷蔵の情報だけを抽出した場合には出典を脚注で明記すべき、ということだと思います。ですが、やはり他の参考文献をご覧いただければわかると思いますが、市川雷蔵の伝記にあたるような書籍であっても、ピンポイントで記述した内容の情報が記載された場所を指定するのが検証を容易に、通読することなく短時間で行う上で支持されているのではないかと思うのです。--Ocdp(会話) 2013年1月21日 (月) 06:57 (UTC)
- この市川雷蔵 (8代目)の記述方法では、素人目には先人の文献の整合性について着目せず、独自研究の突っ込みが入るのを回避したいようにも見えてしまうんですがどうなんでしょうね・・・。
- (違う著者の文献を頻繁に入れ替えて参照していくならば、先人の書いた一連の文章の構造を壊す理由も本当は必要なのだけど、私には理由がこの記事からは読み取れない。「A氏が述べるところとB氏が述べるところを比較して〜」では無く、文章に書く内容を寄せ集める為に交互に参照しているのだろうか?)
- せっかくシンプルにまとめられているのですし、そこまで警戒されなくてもよいと思いますよ。--inanzu(会話) 2013年1月21日 (月) 07:17 (UTC)
多くの文献から情報を持ってきたほうが中立性を保持している、という根拠になるからでしょうか。もっとも、こういった記事では批判的に題材を扱った書籍は少数だと思いますが。{{要出典}}が貼られることを警戒し、貼られる前に出典をつけておこう、と考えた結果が現在の版で、どちらが良いかを考えるより、岡部幸雄、藤山一郎、市川雷蔵 (8代目)など、秀逸な記事がそのような出典の用い方をしてるので、それに倣っておこうかな、といったところです。なんだかこちらも査読を手伝って差し上げたいところなのですが、一方的に手伝っていただいているようなかっこうですみません。--Ocdp(会話) 2013年1月21日 (月) 07:42 (UTC)
- いいえ、おかまいなくー。私の思った感想はそんなところです。 --inanzu(会話) 2013年1月22日 (火) 15:52 (UTC)
- 【その他】 ──表記・文体など