Wikipedia:削除の復帰依頼/関場誓子
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著作権侵害として削除されましたが、削除の妥当性に疑問です。復帰を希望します。復帰した上で、万が一問題があれば削除依頼に再度提出すればよいかと思います。
- Wikipedia:削除依頼/関場誓子。
- Wikipedia:コメント依頼/AkoyanoにおけるスのG氏の発言[1]
を参照ください。--fromm 2007年11月28日 (水) 05:09 (UTC)
- (賛成)依頼者票。--fromm 2007年11月28日 (水) 05:11 (UTC)
- (コメント・すみません)私がアホでした。見直したところ私の目が節穴で、外部サイト[2]にあるプロフィールの中の「外務省~」から「勤務。」と同じ文章が、削除された初版にもありました。その部分をはさんだ前後が違っています。すみません。復帰の是非はその「外務省~」から「勤務。」の部分に著作物性があるかどうかで判断されるのがよかろうかと思います。--スのG 2007年11月28日 (水) 06:37 (UTC)
- (賛成)転載元とされるページの内容([3])を見てみましたが、著作物の要件を満たしているとは思えませんでした。表現上の特徴としては以下のようなものがありますが、どれもありふれたものであり、書き手独自の視点、方針に基づいて作成されたとは考えられないからです。したがって、転載元とされるページの内容が著作物ではない以上、それをいくらコピー・改変したところで、著作権侵害は成立しないことになります。
- 各事実を、発生順に時系列で並べている。
- 各事実の表現は、ほぼ、機関や部署の名称のみから構成されている。
- 出生年・出生地・最終学歴・外務省内での異動歴・現職という、職歴を背景とした業績が表彰される人物を紹介する上では、誰もが選択しうる事実のみが選択されている。
- (反対)「各事実の表現は、ほぼ、機関や部署の名称のみから構成されている」とのことですが、その「ほぼ」という部分に問題の核心があるのではないでしょうか。何らかのデータベースから「XXXX年、外務省に入省」「XXXX年、在米日本大使館で研修」「XXXX年から北米局北米第一課に勤務」などの伝記的事実を箇条書きにして引っ張って来たのならともかく、これらの伝記的事実を文章にして組み立てたものが著作権法第12条に謂う「編集物でその素材の選択又は配列によつて創作性を有するもの」に該当しないと断定できるかどうか疑問です(サントリー株式会社のウェブサイトは同法第2条10の3に定義されている「データベース」には該当しません)。ZCUさんは別件では「表現上の特徴が一致する箇所を発見できなかったため、結局のところ、全体として著作権侵害の問題はない」と発言しておられますが、本件では表現上の特徴どころかワンセンテンスが一字一句同じです。したがって、やはり削除が妥当と考えられます。--203.124.65.239 2007年12月4日 (火) 10:16 (UTC)
- (コメント)IPユーザのご指摘に対する反論を、ノート:関場誓子に書きました。特に、Wikipedia:削除依頼/川惣電機工業の件を参照するのは筋違いだと思います。--ZCU 2007年12月9日 (日) 02:58 (UTC)
(賛成)ZCUさんご指摘のように、転載元の文章に著作性がない場合は復帰しても著作権侵害にあたるおそれはないと思います。ただしこういうコピペに近い記事立てが歓迎されないのは、初版投稿者にご留意いただきたいところです。--miya 2007年12月9日 (日) 00:13 (UTC)書いた後で、やはり自信がなくなってしまったので打ち消し線を入れます。--miya 2007年12月9日 (日) 00:47 (UTC)- (コメント)「コピペに近い」とのことですが、Akoyanoさんは[4]に依拠しつつも、Webサイトに記載されていない事実を独自に調査し、Akoyanoさんの表現でそれを記載されていますよね。--ZCU 2007年12月9日 (日) 02:58 (UTC)
- (コメント)正直な感想は、この程度で削除依頼を出したり、賛成票を入れてほしくなかったということです(多数決に基づいて削除を実行した管理者を責めるものではない)。百科事典は、小説や論説文と違って、事実の記載が多くなりますし、思想・感情の記載はあってもそれは常に既存・他人のものです(表現をどう工夫するかについて執筆者の思想・感情が表れるのみ)。したがって、表現対象の事実・思想・感情が一致すれば、その表現もどうしても類似してくるものです。この程度の一致が著作権侵害と判断されるのを見るにつき、逆にプロジェクトの存続が危うくなるのではないかと危惧しております。--ZCU 2007年12月9日 (日) 02:58 (UTC)
- (コメント)創作性がないということは、別の言い方をすると個性がないということです。つまり、誰が書いてもこうにしかなりようがないという表現でない限り、創作性なしと断定することは難しいと思います。問題となっている記述についてですが、『外務省に入った後、同省国際連合局軍縮課、米国ニューヨーク州ウィリアム・スミス大学、在米日本大使館にて研修を終え、北米局北米第一課に勤める。2007年現在、在ボストン日本国総領事館領事。ハーヴァード大学ロシア研究センター客員研究員。 』などと書くことも可能ですし、これもまた一般的によくある表現ですよね。にも拘らずAkoyanoさんが転載なさったサントリー株式会社のウェブサイトの表現は『外務省に入省し、国連局軍縮課、米国ウィリアム・スミス・カレッジ、在米日本大使館での研修を経て、北米局北米第一課に勤務。現在、在ボストン日本国総領事館領事。ハーバード大学ロシア研究所客員研究員。 』というものであったわけで、これが言葉の択び方において創作性がないと断言できるでしょうか? 私は疑問だと思います。--203.124.65.239 2007年12月10日 (月) 07:07 (UTC)
- (コメント)上記の程度の内容は、逆に言えば表現のゆれレベルの話であり、実質的な創作性がないと言っても良いでしょう。これを認めてしまっては、平仮名で書くか漢字で書くか程度の話で創作性が問えてしまいます。Creature 2007年12月13日 (木) 23:45 (UTC)
- (対処)復帰。なお復帰の方針に基き、Wikipedia:削除依頼/関場誓子 20071225を作りました。--Bellcricket 2007年12月25日 (火) 11:32 (UTC)
- (コメント)上記の程度の内容は、逆に言えば表現のゆれレベルの話であり、実質的な創作性がないと言っても良いでしょう。これを認めてしまっては、平仮名で書くか漢字で書くか程度の話で創作性が問えてしまいます。Creature 2007年12月13日 (木) 23:45 (UTC)