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Wikipedia:井戸端/subj/記事名は信頼できる情報源による検証可能性や独自研究を載せないを満たさなくてもよくなったのか

記事名は信頼できる情報源による検証可能性や独自研究を載せないを満たさなくてもよくなったのか

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お世話になっております。今年9月にWikipedia‐ノート:検証可能性において「記事のタイトルに出典は必要か?」との問いかけに対し、「「信頼できる情報源において最も一般的」であることを示す作業は、結局、「出典」を提示する作業と全く同じ作業です。Dwyさん 2016年9月16日 (金) 13:25 (UTC)のコメント)」との答えが返っています。6月には、Wikipedia:井戸端/subj/「Wikipedia:記事名の付け方」の「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、・・・」の解釈についての質問です。のトピックにおいて、「新規の記事を作成する際に、記事名をどうやって付けたらいいかの基準のひとつに「認知度が高い」がある。「新しい記事を作る際に、信頼できる情報源において最も一般的に使われている言葉を記事名に使おう」。その理由は「認知度が高いものを選べば、読者や編集者が認知しやすい」から。ただ、ウィキペディアにおいては「認知度が高い」とは、単に認知度が高いと利用者の一人が思っているとか、掲示板やブログなどでよく使われているとかいうことではなく、「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」なのだということは説明が必要なので説明してある。Ks aka 98さん 2016年6月30日 (木) 04:11 (UTC)のコメント)」で終わっています。[返信]

これらの結果にもより、ウィキペディアの記事名選択において、信頼できる情報源において最も一般的であることを示すためには出典の提示が最低限必要だ、との認識でいます。改名提案の改名先候補において、信頼できる情報源によって検証可能なものと、検証不能なものがある場合、後者検証不能なものは検証可能性の「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」によっていけないこと、改名先として選べないとされていると考えているのですが、それで正しいでしょうか?

また独自研究を載せないでは、「Aが信頼できる媒体で発表されており、Bも信頼できる媒体で発表されているなら、AとBを組み合わせてCという観点を推進するような記事を書いてもよい」とすることは「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」の典型とされています。この場合、Cが信頼できる情報源で発表されていないので、Cは独自研究にあたり、ウィキペディアにおいて禁止されていると理解しています。そこで、「Aという記事名が信頼できる情報源で発表されており、Bという記事名も信頼できる情報源で発表されている、しかし、Cという記事名は信頼できる情報源で発表されていない。この時、AとBを組み合わせてCという記事名を付けることは独自研究にあたる」と考えているが、これで合っていますでしょうか?

最近、何かルールの変更でも合ったのかと思いまして、井戸端の皆々様に確認のためにご協力を仰ぎたいのですが、どうぞよろしくお願いいたします。--Degueulasse会話2016年12月8日 (木) 13:20 (UTC)[返信]

コメント 記事名の場合、「同じ名前の記事を複数作れない」という技術的な強い制約がありますので、曖昧さ回避のかっこを筆頭に、京成押上線のような「社名+路線名」(WP:NC/RAIL#日本の路線)、トヨタ・プリウスのような「社名略称+車種名」(WP:NC#自動車・乗用車関連)というように、「他と重複させない」ことを主眼として単語を合成した記事名をつけることが、Wikipedia:記事名の付け方自体で決まっていることもあります。--Jkr2255 2016年12月8日 (木) 13:57 (UTC)[返信]
コメント 原則としてはまったくおっしゃる通りだと思います。ただし、よくある例外の認識が欠けています。
記事タイトルには、その主題の名詞をつけるタイプ以外に、記事主題の説明文を書くものが存在いたします。一覧などは典型ですが、今もちょっと拾っただけで、イスラームにおけるイーサースラヴ民族の北東ルーシへの移動皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀ハリウッドにおける東アジア人の描かれ方エバーグレーズの排水と開発が出てきます。これらは、文献にまったく一致する表現があることもあるでしょうが、固有名詞などとして信頼できる文献上にあるから、そう命名したわけではないでしょう。このタイプは日本語版のWikipedia:記事名の付け方には書いてないけど、英語版には明記されてますし、挙げたとおり、日本語版でも普通に記事として存在しているので問題ないでしょう。
履歴を見るとオリンピック分野で揉めてるものと推測いたしますが、あくまで固有名詞ではなく、トピックスに対する説明という観点であれば、タイトルだけを見て、それが何を説明しているか明白である限り、同一の表現が信頼できる情報源上に見つからずとも問題はないと考えますし、統一的な命名規則として、分野として合意が取ったものなら、なお問題は無いと考えます。
もちろん、信頼できる情報源に存在してて、それを用いることに致命的な支障がないのであれば、その権威を援用することは議論を有利に進めることに繋がると思います。ただ、有利になるだけであって絶対ではなく、議論結果の合意次第でしょう。--EULE会話2016年12月8日 (木) 14:20 (UTC)[返信]
Jkr2255さん、EULEさん、ご意見頂戴しありがとうございます。一般的な考え方を整理したかったのでとても助かります。EULEさんが示してくださった例は記事名に対してどこにも定訳がない場合ですよね。今回自分が考えていたのは定訳、一般的な呼称があるものに対してなのです、例えば、衆議院選挙がありますよね、2014年に行われた第47回衆議院議員総選挙ですが、これを「2014年衆議院議員総選挙」と書かれることがあります。1969年に行われた第32回衆議院議員総選挙などは「1969年衆議院議員総選挙」[1]と呼ばれていそうになく、これを信頼できる情報源によって記事名が担保できない場合、自分は独自研究にあたると考えているのですが、そのあたりはいかがなっているでしょうか?
思い返してみれば過去の改名提案は少なくとも改名先の情報源は担保された上で進められていたと思っているのですが、信頼できる情報源と検証可能性ほかをを差し置いて、それらが不十分な改名先へ改名できるようになったのだろうか、とのことなんです。そうだとしたら、根本的にウィキペディアに対する考え方が違うのかなと思いまして考えなければならないと悩んでおります。--Degueulasse会話2016年12月8日 (木) 14:55 (UTC)[返信]
コメント Degueulasseさんの求められている答えであるか否か判然とせず、むしろ大幅にずれている可能性の方が高いですが、個人的に悩みつつ向き合ってきた事でもありますのでコメントさせて頂きます。少し前に作成したウサルファ語を例に挙げますと、仮に「ウサルファ語」という日本語の言及例が一切存在せず、ラテン文字(いわゆるabc...)によるUsarufaUsurufaUturupaという三通りの呼称表記が資料Aにより与えられていて、「ウスルファ族」という民族名が唯一の日本語言及例である資料Bによって与えられていた場合、私は已むを得ず両資料を組み合わせて「ウスルファ語」を記事名としていたと思われます。ただ、こうした状況に陥る前の段階で、日本語文献を可能な限り漁り、最大限活かす努力が尽くされるべきであると存じます。私が主に関わる分野は日本以外(それも大半は中国語圏以外)に由来のある事柄のものでカナ転写について問題となってくる事が多いので、その観点から一つお話をさせて頂く事と致します。その後には、日本語の用語についても話し合いを行って決めてきた経験を交えて触れていきたいと存じます。
 主に力を入れている個別言語記事の場合、極力『言語学大辞典』をはじめとした既存の日本語文献に表記を揃えるようにしております。クルンフェ語の様に現在は別の英字表記(この場合KoromfeまたはKoromfé)の方が比較的知られているものの、日本語での転写例が一切見つからなかったという理由で無難と思われる和書の表記に倣った事がございます。セメ語の様に他の方により作成された記事(当初は「シアモウ語」)を手続きに則って改名した事もございます。またこちらの様に、自主的に未作成項目(特に言語)の日本語表記を調べてまとめる取り組みも行っております。非常に手間が掛かり、本分たる百科事典の執筆活動と比べると随分みみっちい事とは思われますが、今回の主題である検証可能性と独自研究の排除を徹底させ、後々の無用なトラブルを避けようと考えると避けられない工程であろうと存じます。ただ、主題によっては殆ど日本語文献が無い場合もあります。たとえば海外の人物名や地名などです。先ほど挙げた転写例の調査を進めていくと、日本語以外の文献が存在し特筆性の観点からも問題無いと思われるものの日本語の転写例がなく、もどかしく思われる言語も数種存在している事が分かりました(現時点ではLagwan語 (en、Lamen(u)語 (en、Leti語 (en、Mbara語 (enの四つ)。こうしたものよりも日本語による言及例のあるものから作成していくのが常識的なやり方であるとは思われますが、もしそうした記事をどうしても執筆する必要に迫られた場合、私であれば以下の様な方法を取りたいと存じます。
  1. Wikipedia:外来語表記法を根拠として転写を行う。理想としては個別言語一つ一つに発音についての典拠つきのページが作成される事が望ましいと存じます。
  2. IPAを示している典拠があれば、それを導入部の名称の注として明示する形でIPAを参考としたカナ転写を行う。
  3. 1、2のいずれも不可能である場合は、{{暫定記事名}}をつけてローマ字読み転写で項目を立てる。念のためにノートページには既存の言及例を探しても見つからなかった旨の報告を行う。
なお全くの印象論であるのですが、日本語の仮名・カナ表記はラテン文字表記とは違って、元の音をある程度吟味しないとどうにも収まりが悪くなる傾向がある様に思われます。少し前に、とある国から英語の呼称を用いてほしいという通達が日本国外務省に送られた事がジョージア (国)/グルジアの記事名をめぐる論争の契機となった事は記憶に新しいですが、これと似た事が今後起こらないとも限りません。(発言除去。ラテン文字を用いる言語でも「グルジア」系統から「ジョージア」系統の表記に変更される現象は十分あり得ますので、ここで同列に並べるのは至極的外れでございました。Eryk Kij会話2016年12月8日 (木) 17:36 (UTC)[返信]
 ここまで転写について長々と書いてしまいましたが、日本語の用語部分も独自研究の排除を考えると議論の対象となり得ます。たとえば記事ではありませんが言語系統を表す名称[1]について議論提起した事がございます(参照: Special:PermaLink/59236347#言語の分類に関して)。個別記事を挙げますと大西洋・コンゴ諸語も当初は「大西洋コンゴ語族」という記事名で、一旦「大西洋コンゴ語派」を挟んで現行の名称に至ります(参照: Special:PermaLink/60871219)。さて、この「…諸語」とする直接の言及例が日本語文献にあるのかと申しますと、全くございません。結局、改名議論においてそれ以外の様々な理由付けにより合意が行われたものが現在用いられている次第です。
 以上、転写と用語選択とについて主に自身が関わった案件を振り返って参りましたが、両方の件を踏まえますと既存の典拠を検討し尽した上で、それでも日本語の記事名を導き出せない場合に初めてウィキペディア独自の名称を設定する事が已むを得ず許容される、という認識でございます。少々認識の異なる箇所もあるやも知れませんが、基本的には信頼できる情報源にある名称に基づくべきという考え方は、Degueulasseさんと共通しているものと思われます。--Eryk Kij会話2016年12月8日 (木) 17:21 (UTC)[返信]
Eryk Kijさんご意見をいただきましてありがとうございます。お世話になっております。日本語文献がほとんど無い場合は手さぐりにならざるを得ないかと思います、日本語以外に由来する物事の場合に、すでに日本語の信頼できる情報源で訳語が示されていた場合、これまで目にした記事ではその中より選ぶケースが多かったように記憶しています。全く新しく命名を行なった場合に後からクレームがついているケースがあったようにも思います。そのため、日本以外の物事であっても先行研究やそれに類するものが存在することも多いと思いますのでできる限りは、検証可能性を満たす記事名は選ばれているように記憶しています。「既存の典拠を検討し尽した上で、それでも日本語の記事名を導き出せない場合に初めてウィキペディア独自の名称を設定する事が已むを得ず許容される、基本的には信頼できる情報源にある名称に基づくべき」と再確認させていただきまして感謝します。--Degueulasse会話2016年12月16日 (金) 16:36 (UTC)[返信]
記事名には5つの基準(WP:CRITERIA)があって、それらをバランスよく満たすことが望ましいとされているのが現行のルールです。信頼できる情報源で使われていることは基準の一つではありますが、すべてではありません。他の基準との兼ね合いで検証可能でない名称を用いる場合もあり得ます。記事名も記事の一部という考え方もあるでしょうから、記事内容のルールを記事名にも適用できれば理想的ですが、技術的な制約で不可能な場合がありえます。両論併記ができないので、中立的な観点を満たせないことはすぐに思いつく問題です。また、記事の改名に手続きが必要なので、将来的な改名の可能性が少ない方が良いという考え方も合理的です。同様に曖昧さ回避を行う上で一番労力が少ない方法を取るのも合理的です。そういったウィキペディアならではの事情も考慮に入れたうえで、改名の議論を行う必要があります。改名に関する議論はしばしば合意が困難になります。日本語版には改名議論が合意に達しなかった場合の対処についての方針はありませんが、英語版では規定があるようです(en:WP:TITLECHANGES)。--有足魚会話2016年12月9日 (金) 07:48 (UTC)[返信]
有足魚さんご意見をいただきましてありがとうございます。お世話になっております。「他の基準との兼ね合いで検証可能でない名称を用いる場合」、これが気になりました。他の基準と言われましたが、検証可能性・中立性・独自研究を載せないの三方針の位置づけは方針であり、相互補完ししかも利用者間の合意で覆せないもの、であると認識しています。合意やガイドライン以下で覆ると読めないのですが、この時にそれらを覆せる、ウィキペディアで検証不能なものを優先する基準は一体どれにあたるのでしょうか?
例えば、複数の記事名を同時に改名提案する場合に、検証可能な候補と不能な候補、A「もっとも一般的に使われているもの」・B「正式名称」・C「どちらでもないもの」があり、AとBは候補すべてにおいて検証可能性を満たせる、Cは候補が検証可能性を満たせないとします。この時にCは検証可能性を満たせないことで、一般に流通していないために信頼できる情報源による検証ができないと考えています。そのようなことですので、この候補Cは特定な観点で偏りもある、と思います。またCは検証可能性を満たせない候補であるので、中立的な観点の「出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐこと」を実践すれば、出典に含まれる情報を使い、含まれない情報は使えないことになります。このようなケースで、検証できない名称を検証できる名称を差し置いて使うという意見に対して、私は方針を素直に読んで検証できるものがあればそれを使うと考えているため、困っています。この点に関してご意見をお聞かせください…。--Degueulasse会話2016年12月16日 (金) 16:36 (UTC)[返信]
(横から失礼します)今確認したところ、英語版のen:Wikipedia:Article titles(記事名)は、2005年5月12日の版以降はpolicy(方針)とされており、Wikipedia:記事名の付け方が未だガイドラインである日本語版とは多少事情が異なるようです。また、両論併記ができないために中立的な観点を満たせないことが挙げられるように、記事名においては方針をそのままでは適用できないことも現実にあるようです。ついでに補足しますと、Degueulasseさんが本件について当惑される元となった議論はプロジェクト‐ノート:オリンピック/オリンピック関連記事命名方針の最終決定です。私も参加させていただいている当該議論は、オリンピック記事シリーズの非常に多くの記事の改名に関わるため、この問題については慎重に検討していただきたいと思います。私は、出来ることなら記事名も方針に従うことが理想であると考えますが、現実的には、Wikipedia:記事名の付け方に依拠して記事名を考えた後で、方針を満たしているかを確認する順序が適切であると思います。また、「名は体を表す」という言葉に倣えば、名(記事名)と体(記事内容)は一致しているのが望ましいと考えます。学術的な内容を扱う記事には学術的な記事名を、俗な内容の記事には俗な記事名を付けるのがよいでしょう。極端な例を挙げれば、「記事名は信頼できる情報源に記載のある、検証可能性を満たす独自研究ではない名称で命名されていたとしても、記事内容が記事名と同等のレベルで方針とガイドラインを満たしていなければ、記事全体の信頼性は損なわれることになる」と考えられます(プロジェクト‐ノート:オリンピック/オリンピック関連記事命名方針の最終決定#記事本文の記述にも記事名と同等の厳格な検証可能性を求めるべきではないか?でも同様のことを申し上げました)。記事をそのような状態に置くのは避けるべきだと思います。--Doraemonplus会話2016年12月17日 (土) 05:55 (UTC)[返信]
記事名に対してどこにも定訳がない場合ですよね
いや、そうとは限りません。例えば「イスラームにおけるイーサー」は単に「イーサー」か「イエス・キリスト(イスラム教)」が定訳だし、「皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀」も紙面などの一般性としては「皇太子ご成婚」の方が妥当でしょう。また、Jkr2255氏が挙げられた曖昧さ回避の観点もあります。ここがミソなのですが、定訳や正式名称があろうと便宜的な名称や説明的なタイトルを作っても、(それで合意できたなら)ウィキペディアとしては問題ないんです。
「1969年衆議院議員総選挙」は独自研究にあたるか
「○○年衆議院議員総選挙」自体は聞き慣れぬ語ですが、「2014年衆議院議員総選挙」の例があるなら、独自研究にはあたらないと考えます。これは結局、表記法の決まり事であって、後代にそのような記法があるなら、当時などにそのような記法が無かったとしても、統一性を確保するために、遡って適応するのは別段変な話じゃないです。あくまで、個々の事柄に対する使用例の出典ではなく、記法や表現法に対する出典とみなされるでしょう。
個人的には「2014年衆議院議員総選挙」は聞きなれぬ印象で、例え使用例があろうと、一般的な日本語文書としては「2014年の衆議院議員総選挙」か「衆議院議員総選挙(2014年)」でしょう。だから、この例は、より良い記法・表現法によって淘汰されると思います。
いずれにせよ、あくまで理屈の上での話であって、実際としては、より一般的な記法や聞き慣れた記法があるなら、聞き慣れぬ記法が採用される可能性は低いですし、じゃあ、一般的な記法や聞き慣れた記法ってのは何だと言えば、それこそ信頼できる情報源上によくあるものということになるのでレアケースではあるでしょうね。--EULE会話2016年12月10日 (土) 08:54 (UTC)[返信]
EULEさん詳細に解説していただきましてありがとうございます。私も第47回衆議院議員総選挙のように信頼できる情報源が回号で揃うものはそのような記事名になると考えています。気になりましたのは「「2014年衆議院議員総選挙」の例があるなら、独自研究にはあたらない」の部分なのですが、独自研究を載せないには「新しい造語を、その造語が何らかの評判の良い資料に由来することを示さずに、導入したり使ったりする。」ことが独自研究とされています。そのため、(統一性を確保するために信頼できる情報源が遡及して使用したことが確認できれば異存はないのですが)、何年かの衆議院議員総選挙において、例えば1894年衆議院議員総選挙などという言葉を、何らかの評判の良い資料に由来することを示さずに使用したり、これに改名しようとしたりすることは、新しい造語であって、独自研究に当たるように考えているのですが、こちらはいががなりますでしょうか?
それでも独自研究に当たらないよということになれば、第4回衆議院議員総選挙や第47回衆議院議員総選挙を、ウィキペディア内に有志が集まることにより、聞きなれない「1894年の衆議院議員総選挙」や「2014年の衆議院議員総選挙」に改名するような根拠となることがあり得るのかということなのです。そういうことになれば見方が変えざるを得ないですし、多くの記事名もおかしなことになりかねないと危惧する次第です。すみませんが再度ご意見をお聞かせくださいますと幸いです、何卒よろしくお願いいたします。--Degueulasse会話2016年12月16日 (金) 16:36 (UTC)[返信]
記事名と実際の説明は分けるべきです。例えば記事名が「2014年の衆議院議員総選挙」だったとしても「第47回衆議院議員総選挙について説明する」「2014年に行われた第47回衆議院議員総選挙について説明する」とでも書き出せば問題なく、そこで正式名や一般的な名称を示したり、あくまで記事名は便宜上のものだと分かるのであれば何の問題もありません。他の方も言われているように、記事名そのものに独自研究の嫌疑をかけてその可否を決めようとする時点で、ピントがずれてるように思います。--EULE会話2016年12月17日 (土) 08:06 (UTC)[返信]

質問 Deguelasseさんがここに提起するきっかけとなったのは「プロジェクト‐ノート:オリンピック/オリンピック関連記事命名方針の最終決定」におけるDeguelasseさんと他の利用者の方々との議論が原因だと思うのですが(というより、Deguelasseさんに井戸端で定義するよう促したのは私です)、具体的に同記事における議論についても、コメントをお願いします。--Susuka会話2016年12月10日 (土) 09:49 (UTC)[返信]

(横から失礼します)ここまでの議論を見る限り、記事名の付け方はケースバイケースであり、さまざまな要素を考えなければならないことは明らかであろうと思います。したがって、「「信頼できる情報源において最も一般的」であることを示す作業は、結局、「出典」を提示する作業と全く同じ作業です。Dwyさん 2016年9月16日 (金) 13:25 (UTC)のコメント)」というのはあまりに一面的な主張であると思います。Dwyさんの編集履歴を見る限り、百科事典の記事編集者というよりは、あらゆる井戸端やノートの議論に首を突っ込んで口を差し挟まずにはいられない「いっちょかみ」のようです。(編集履歴を見る限り、何らかの知見を有しているとかその分野に詳しいとかいう議題を選んで意見を投じているわけでもなく、手当たり次第にめったやたらに口を挟んでいるようです。そのため、トンチンカンな主張も散見されますし、その点を指摘されてももう当人は次の議題に関心が移っているからほったらかし、ということを繰り返しているようです)。ですので、Dwyさんが記事名の付け方についてのガイドライン取りまとめに尽力したとかそういう事情があるならともかく、今回も単なる「いっちょかみ」で意見を言ってみたという程度のレベルだと思いますので、そこまで頭を悩ませる必要はないのではないでしょうか。--126.189.5.183 2016年12月11日 (日) 11:08 (UTC)[返信]
コメント 記事名にWikipedia:独自研究は載せないWP:SYNがそのまま適用されるのか、私としては疑問があります。また、仮に適用があるとしても、WP:SYNで禁止されているのは「特定の観点を推進するような合成」であって、合成が全てダメだと言っているわけではありません。「特定の観点」が問題にならないような場面では、A(出典あり)とB(出典あり)を組み合わせてC(出典なし)という記事名を付けることが許容されることも十分ありえます。
更に、上で有足魚さんが指摘されているように、「信頼できる情報源」で使われていることはいくつかある基準の一つでしかなく、絶対無二の条件ではないことにも留意すべきです。
すぐ上のIPの方へ:要らぬことと思いつつ、一言だけ。発言の内容そのものではなく、発言者の属性・個性を批判する対人論証は、論理的には有効な議論になりえません。他人の編集履歴を見て、こういう履歴の奴の意見には真面目に取り合わなくても良いなどと言っていると、編集履歴も追えないIP編集者の発言なんかまともに聞く必要はないという議論になって返ってくるわけで、そういうところもお考えになった方が良いでしょう。--Dwy会話2016年12月12日 (月) 23:19 (UTC)[返信]
DWYさんご意見をいただきましてありがとうございます。上記EULEさんあてのコメントと再掲になり申し訳ないのですが、独自研究を載せないには「新しい造語を、その造語が何らかの評判の良い資料に由来することを示さずに、導入したり使ったりする。」ことが独自研究とされています。改名先にD「信頼できる情報源によって検証可能な記事名」とE「信頼できる情報源によって検証不能な合成された記事名」がある場合、後者のEは「信頼できる情報源で検証不能である観点を推進するような合成」に思え、独自研究とされているものに直接当てはまるように考えるのですが、この点はいかがなりますでしょうか?一方が検証できる以上、ウィキペディア内の利用者が知らないと言ったとしても、世の中で使用されていると検証できる記事名であり、なぜわざわざ編集者や読者が検証不能な合成記事名を選択し使えると考えるのか、それは検証不能な偏った記事名や考え方を広めることではないのだろうかと、そのような考え方が分からず困っています。--Degueulasse会話2016年12月16日 (金) 16:36 (UTC)[返信]
既成の言葉を組合せたものが全て「新しい造語」になるわけではないと思います。「2014年の衆議院議員総選挙」のようなものは、私の感覚では、であってではないので、「新しい造語」とは言いません。--Dwy会話2016年12月17日 (土) 14:27 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ たとえば定説のある英語の場合、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派であり、そのうちの「語族」や「語派」の部分。