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Wikipedia:井戸端/subj/本人によるブログは出典として適切か?

本人によるブログは出典として適切か?

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少し一般論的な話をしたいので、具体的な記事名などは挙げません。

主にサブカルチャー分野に含まれるジャンルの、人物記事(私の場合、そのジャンルは「声優」です。他に「芸能人」などである場合もあるでしょう)についてです。最近、それらジャンルに属するような方々が公式・非公式問わずブログを公開している場合が多くなっているように思います。これらのブログは、記事に書かれた内容の出典として採用できる類のものだとお考えになる方がどのくらいいらっしゃるのか、気になりました(「そもそも採用できない」というようなご意見も聞きたいです。でも、「ブログよりも、もっと良い参考文献はあるだろうし、そちらを元にすべきだ」というのはとりあえずおいておきましょう。あくまで「OK」か「NG」か、という話で)。

ブログについては、Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース#自主公表された情報源Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース#自主公表された情報源#自主公表された情報源:公式サイトが参考になると思うのですが、個人的には、おそらく「本人によるブログは出典として使用できる」のかなあ、と考えています(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース#自主公表された情報源#自主公表された情報源:公式サイトの、Stormfrontについての記事においてStormfront自身に関する情報源として使用できます という記述から)。

もし以前にこの手の話題が上げられていることがあったらご教授いただけると助かります。よろしくお願いします。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2009年10月19日 (月) 06:12 (UTC)[返信]

もうひとつ前提を忘れてました。
あくまで「使用できるかどうか」であって、「出典として使用した結果記述される、その内容」については考慮から除外してください。単純に「ブログに載っていたから書ける」というのは大間違いで、「ブログを出典として記事に書こうとした内容が適切かどうか」は今回別問題です。でないとものすごく瑣末なことや不確定事項を書くことができるといったような勘違いを生む可能性がありそうなので。よろしくお願いします。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2009年10月19日 (月) 06:58 (UTC)[返信]
Wikipedia:井戸端/subj/引用元のブログが削除されたとき、他にもあったかと思います。条件付きで使えるですね。johncapistrano 2009年10月19日 (月) 07:08 (UTC)[返信]
おお!これ、私の疑問を解決するための(ほぼカンペキな)回答です!ありがとうございます!-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2009年10月19日 (月) 07:30 (UTC)[返信]
◆例示されたStormfrontの事例ですが、「Stormfrontについての記事においてStormfront自身に関する情報源として使用できます」という記載の前に情報源として使用できる条件が書かれています。その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合は、その第三者の情報と矛盾していない限り という記述から、逆説的に以下の場合には公式サイト(今回の場合は本人ブログ)は情報源としては適切ではないと思います。
  1. 重要でない情報。
  2. (過度に)自己を美化する情報。
  3. (第三者により公表された信頼できる情報源がある場合)第三者の情報と矛盾している情報。
いずれにしても、本人ブログが出典として適切か否かという判断は「出典として使用した結果記述されるその内容」も含めて個別に検証するしかないと思います。(個人的には多くの場合「適切でない」思っていますが)--125.3.34.64 2009年10月19日 (月) 16:47 (UTC)[返信]
それは、個人のブログで「自分のことに言及している」ことに限定してのことですか?そうであれば、基本的にはOKだと思います。不祥事や熱愛・引退報道等の報道に対する謝罪・回答や所感といったものはニュース記事でもブログの記事が「本人談」として採用されています。ただ、何か自分に直接関係ないことに対する個人的な考えや思想、独自解釈などをその人以外の記事の出典として採用するのは不適切です。たとえば、その人が「戦争反対」と言っていたから「戦争」の記事にそのことを書くのはおかしい、ということです。
「自分のことに言及している」場合に限定しての話を進めます。個人のブログには「本人にしか知りえないし、確認できないこと」が多分に含まれているので、「本人はそう言っている」程度の記述にしかならないとは思います(それが疑う余地もない真実であるかのような書き方は出典があっても適切ではありません)。また、比較的他が疑いようのない生年月日なども芸能人の場合は年齢を詐称していることは往々にしてありますし、政治家の学歴詐称もよく聞かれる話ですが、他の情報源が出てこない限りは「自称」を信じるしかないでしょう。となれば、「自称」を前提として出典として採用するのは「OK。でも書き方に注意してね」と言うしかないのではないでしょうか。本当は二次情報源を待つのがいいのですが、これだけインターネットが発達して誰でも情報を発信できるようになってしまうと「いつ出るかわからない二次情報源なんて待ってられない」という考えもわからなくはないですし、報道に出るほど有名な人ばかりがウィキペディアに掲載されてるわけでもないですしね。「ブログは出典として不適切だと言われてるから出典を隠してブログを元に書いちゃおう」となるよりはだいぶマシかと。
あ、「いついつこう言った、ああ言った」だけの内容など、百科事典としてその人物を説明するうえで大して重要でないものまで何の脈絡もなくブログの内容を時系列で逐一追加していくのは論外ですよ。--Balmung0731 2009年10月19日 (月) 21:59 (UTC)[返信]
◆すこし具体的な話になってきているので、今回私が何を書こうとしているのかだけ述べておきます。
ある方が、舞台である役をやられました(端役ではありません)。舞台に出演されたことは、その劇団のホームページに載せられており、検証可能です。ですが、「何の役をやったのか」はそのページには言及がなく、パンフレットのみに記載があります。しかし、これは市販されたものではないため、検証可能性を満たさないものと考えると、他の出典が必要そうです。調べたところ、本人のブログには役名が(複数のエントリーに渡って)書かれており、本人のブログを出典としての記述が可能であるならば、問題はないのだがどうだろうか?というのがスタート地点になります。今回のケースの場合、今までのお話をまとめると、「記述可能」と言うことになるかと思います。
◆重要でない情報、過度な美化がおこなわれた情報は、不適切であるというのは確かです。「Aと言う人物のブログ」を出典にできるのは「Aと言う項目内でのみ」というのもそうでしょう(ただ、私はこれは「基本的に」だと思っています。例えば「杉田智和 - 中村悠一」くらいの関連性があれば、場合や書き方によってはブログの出典と言うのもありえそうな気がします(想定したのはWP:NPOVの「芸術作品などの特徴に関する意見」あたりの方面です。何でも書けと言っているわけではなく)。もっとも、この場合についてだけ言えば杉田智和氏はブログを持っていなかったりしますが。分かりにくいたとえですし、この括弧内の追記はまるっとスルーしちゃってください)。
◆本人によるブログが、出典の質としておそらくギリギリのレベルであろうことは、(ここでは「本人ブログを出典とする記述は可」としている以上)再度ここで確認しておいたほうがいいかなとは思いました。ブログに載っていたからと言って何でも書いていいわけではないということもまた同様です。こんなところでしょうか。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2009年10月20日 (火) 02:46 (UTC)[返信]
(芸能関係には疎いので個人的にはその情報がWikipediaに掲載されるほど、重要な情報なのかという点で疑問ではありますが、それはさておき)過度の美化には該当しないでしょうし、部分的に(その舞台に出演したという事実)は第三者(劇団)の情報と一致していますので今回の事例では問題ないでしょう(劇団が第三者であるかは微妙な判断ですが)。また、パンフレットが出典となりうるかという点についてはこちらでも話題になっていますので参考にされてはいかがでしょうか。--125.3.34.64 2009年10月20日 (火) 22:48 (UTC)[返信]
本人の経歴上舞台への参加は初となりますので、特筆すべきことであると考えています。
パンフレットの件は、拝見しています。今回の場合は「検証容易性」の話かもしれませんね(あんまりにも同じ資料で検証するのがむずかしいと、やっぱり検証可能性を満たしてるとは言いづらいかな、と思ったりしますが)。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2009年10月21日 (水) 01:45 (UTC)[返信]
いすかさんは少し難しく考えすぎかもしれません。本文に書き加えないまでも、こういう時こそノートを活用して、「非売品で現在では入手困難なパンフレットしか今は有効な資料がない」と丁寧に説明しておいて、それが適切がどうかは他の執筆者にも考えてもらうという形でいいのではないでしょうか。それがウィキペディアのいいところだと私は思っています(最初から喧嘩腰の人がいるのは残念なことですが)。もし、「それって本当なんだろうか?」と思った閲覧者がノートを見れば「ああ、パンフレットに書いてあったのか」くらいの理解は得られると思います。それでも出典として不適切で、その記載自体が不要と主張する方がいれば、やむえません、おとなしく引き下がるしかないと思います。まずは「出典を示そう」という前向きかつ建設的な意思が大事だと私は考えます。--Balmung0731 2009年10月21日 (水) 02:41 (UTC)[返信]
◆確かに、他に手がなければ、そういう方法を使うのはありかもしれませんね。今回は、パンフレット以外にブログがあったんで、書けるだろうと思うけどどうか?という方向で考えました。
「パンフレットって検証可能性/容易性のいみでどうだろう?」というのは、自分自身の話(自分自身がそういうことはしたくないな、と思っているだけ)なので、他の方に押し付けたりするつもりはないです。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2009年10月21日 (水) 02:54 (UTC)[返信]