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Wikipedia:井戸端/subj/フィクションやパンフレットを出典として扱うことについて

フィクションやパンフレットを出典として扱うことについて

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ビリヤード関連の記事を編集していて気になったことがあり、WP:CITEWP:Vや過去の井戸端の話題のうち、出典に関連するものをいくつか読みましたが解決しなかったので質問いたします。

  1. フィクション作品の内容を現実世界の出典や説明として取り上げることは特に問題とはならないのでしょうか。
    例えばビリヤード注釈4注釈18のような記載についてです。
  2. パンフレットを出典として挙げることは検証可能性を満たすものとされるのでしょうか。あるいは自費出版物として扱われるものでしょうか。
    例えば日本プロポケットビリヤード連盟#出典についてです。

出典や説明として相応しくない、あるいは検証可能性を満たさないとなった場合は、信頼できる情報源を調査して置き換える必要があると考えています。この場合、出典の置き換えは執筆者の責任となると思っていますが、私の持っている文献に記載を見つけることができればこのように書き換えることも必要ではないかと考えています。--First-Aid 2009年10月9日 (金) 06:21 (UTC)[返信]

こんにちは。検証可能性の方針は、単純に「線を引く」ためにあるわけではなく、情報源は、常に、より信頼できるもの、検証が容易なものへと置き換えたり、追加したりするのが望ましいでしょう。
出典の置き換えは、その記述を書いた執筆者の責任ではありません。その人は、もう参加していないかもしれませんし、フィクションやパンフレットくらいの資料しか持っていないけれど、その記述があったほうが閲覧者のためになると考えたのかもしれません。
記述されていること、記述があることが、百科事典の記事として妥当だと思うなら、フィクション作品やパンフレットでも情報源がないよりは好ましく、「現時点ではフィクション作品しか情報源が示されていない」ものを、それをみた編集者によって、今、より信頼できるもの、検証が容易なものを情報源として書き改めることが、ウィキペディアの発展に繋がるのだと考えていただければ幸いなのです。--Ks aka 98 2009年10月9日 (金) 07:03 (UTC)[返信]
出典の置き換えは、出典先が二次(以降)情報(つまり孫引き情報)で、一次情報(オリジナル情報)の出典と置き換えるのであれば妥当のように考えますが、二次情報に付加されたオリジナル情報がないという保証はないので、本文の論旨と良く見比べて、オリジナル情報の出典を除去することのないように検討する必要はあると考えます。
あるいは「メンタルスポーツ」とか「頭脳的プレイ」などは識別するための閾値を定義することは困難です。つまりメンタルスポーツという定義はできても、すべての競技にメンタル支配する傾向は見られます。なのでここまでがメンタルスポーツと区別できないという意味です。
そして「この競技はメンタルスポーツである」という「観点が存在する」ことを示すために出典をつけるのであれば、検証可能なものであればある意味どれでも良いとも言えます。
「観点が存在する」ことを示すために出典は二つもあれば十分なので、5個も10個も観点存在の出典がつけられているのならば整理する意味はあると思いますが、1つしかなければ、それと置き換えをするという正当性を合意するのは困難だと考えます(たとえば、本文の説明と明らかに矛盾を生じるといったような特別な理由が必要と考えます)。--あら金 2009年10月9日 (金) 07:24 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、あら金さん、回答ありがとうございます。
フィクションもパンフレットも検証可能性を満たさないというわけではないのですね。お二人の回答を読んで、まず出典と本文の関連性を見極めることが重要だと感じました。出典をただ単純に置き換えてしまう行為は危険で、執筆者が出典を提示した時点で、何を意図して記述し、何を主張したいのかを考える必要がありますね。そうしないとあら金さんの仰る「二次情報に付加されたオリジナル情報」なども失われてしまうということになりますね。
「ビリヤードはメンタルスポーツである」という観点は専門誌に記載されており、検証することも容易で、架空世界の記述よりは現実世界の記述のほうが信頼性があると考えての質問でした。しかし、置き換えるよりは現実世界の出典を併記することが望ましいと感じました。
パンフレットのほうは古い履歴を見ると「いつ時点でプロがn名所属」の部分を引用しているだけなので、いつかは情報が古くなり別の出典で書き換える必要が出てくると思われますが、このままにしておこうと思います。--First-Aid 2009年10月9日 (金) 10:24 (UTC)[返信]
フィクションを出典とする場合は、あくまでも出典がフィクションであることがわかるようにする必要があると考えます。そもそもフィクションでは事実をそのまま記述するのではなく、ストーリーの都合で事実ではないことを事実として書くことも許されます。First-Aidさんが挙げたビリヤードの例で言えば、注釈4は「漫画『POOLPLAYER ISABU』によると」のように書いて欲しいと思います。なお、私としては出典がフィクションであることさえわかればかまわないと考えますが、それが多数派意見だと思っていません。むしろフィクションは出典として好ましくないと考える人が多くても不思議はないでしょう。これについては広く他の人の意見を聞いてみたいところです。--アルビレオ 2009年10月9日 (金) 13:15 (UTC)[返信]
アルビレオさん、コメントありがとうございます。
私もフィクションはセリフが脚色される可能性があると考えていて、そこが情報の信頼性に繋がると考えています。でも、その際にフィクションを参考文献に挙げて切り離してしまうのではなく、個別に出典となった箇所を明確にしておくことは大事かもしれませんね。--First-Aid 2009年10月10日 (土) 00:27 (UTC)[返信]