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Wikipedia:井戸端/subj/存命人物に直接言及していないが、懸念される記述について

存命人物に直接言及していないが、懸念される記述について

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現在、Wikipedia‐ノート:検証可能性にて、話し合われている話題と多少関係しますが、こちらで広くご意見を伺いたいと思います。

具体名を挙げた言及はしておらず、存命人物に対する直接のネガティヴな記述はないものの、ある一定方向の特徴が強調されがちな記事、事件記事、不祥事記事等、その関係者にとっては非常に不利益で、容認しづらい記述はウィキペディア上には非常に多くあります(例としては「ブラック企業大賞」のような記事も該当するかと思われます)。

存命人物の名前がそのまま記事名になっている場合、目につきやすく、WP:BLPの適用として記述が除去されるなどの対処は比較的早く行われる場合が多いいように思います。WP:BLPの目的と理念は、記事対象に対する尊重と、財団に対する訴訟リスクの軽減という側面もあると私は解釈しておりますので、とくに不利益を生む可能性や、プライバシーの侵害になる可能性がある記述についての扱いに対して、ある程度のラインを制定する必要があるのではないかと考えました。

私が考えたラインの指針の一つは次のようなものになります。

  • 記述内容に対する社会的な影響や、第三者の評論・評価節が伴わず、事案そのものが報道されたという出典があるだけの記述に関しては、除去や言いかえなどの対処が望ましい。

もちろん、百科事典の役割として、「こういう事実があり報道がされた」という記録のみにとどまっている事案をソースつきで集めていくことに重きを置くならば、このような提案はウィキペディアの成長とは逆方向のものになります。私自身は、「ウィキペディアが閲覧者にとって有益な情報や知識をもたらすものであっても、様々な方面に迷惑をかけたり不利益を生じさせたりすることには積極的にはなれず、社会的影響や第三者評価が伴わないものに対しては少々厳しくしても良いのでは」というスタンスです。いろいろなスタンスがあると思いますので、皆さんのご意見を伺いたいと思います。--海獺会話2012年8月26日 (日) 08:43 (UTC)[返信]

  • コメント 失礼します。法人の名称を人名と同じくらい丁寧に扱うべきというアプローチもありますし、事件や事故の再発防止のためには近隣に危険を知らしめるべきだという意見もあります。個人的には、公開することが10年後50年後に国民にとって有意なものであるかという視点に立ちたいですが、そうするとやはり個人的判断でしょうね。--223.135.230.109 2012年8月26日 (日) 12:24 (UTC)[返信]
コメント「ブラック企業大賞」のような記事を該当させるということなら、その線の引き方には強く反対します。委員会の顔ぶれは、いちおうまっとうなものといえるでしょうし、挙げられているニュースサイトでの取り上げ方は、面白がっているだけでも、プレスリリースの転載のようなものでもないと思います。これを「事案そのものが報道された」と判断することに反対。記述にある太字強調を除去するなど文面を修正するとか、特筆性が十分ではないということでブラック企業に統合させようということならわかりますが。
「ライン」は、どのようなものを想定しているのかがわかりません。とくに不利益を生む可能性や、プライバシーの侵害になる可能性がある記述については、編集あるいは削除の必要がありますし、それらについてはある程度対応できています。海獺さんが引くラインは、社会的には容認される程度の不愉快さをも排除しようとしているように見えます。三面記事的な、2段程度の記事を書くべきではない、ということなら理解しますし、賛同します。事件記事、不祥事記事については、特筆性の観点から削除できるものもあるでしょう。しかし、出来事というのは通常事案そのものが報道されるのですし、その出来事自体に関心や影響力があるのです。「第三者の評論・評価節」を必須とすべきではない。もちろん、出来事の事実関係は的確に捉えないといけませんし、その社会的影響をウィキペディアで分析してはいけません。だからといって書かない、ではなく、どう書くか、を考えないといけないのではないでしょうか。WP:BLPの目的と理念は、記事対象に対する尊重と、財団に対する訴訟リスクの軽減という側面もありますが、それらと表現の自由や公共性や公益という観点とのバランスを取ることを考えなければなりません。ラインとしては、すでに中立的観点や特筆性などがあり、それに適さない記事が多数あるのであって、それを既存の方針に沿って修正していくことが先ではないかと考えます。じょじょに検証可能性を守る記述が増えてきたことで、中立的観点の重要性が浮かび上がってきた、ということだと思いますけれども。--Ks aka 98会話2012年8月27日 (月) 05:57 (UTC)[返信]
  • コメント 個別にはともかく、一般論としては悩ましい。この間いろいろ議論が交わされていることについては私も問題意識を持っていますし、Wikipedia:井戸端/subj/大津いじめ事件についてでも同様に考えさせられたのですが、どう対処するかはなかなかひとことで言い切れないところがあります。
私自身は、現在進行中で社会的評価の定まっていない、いわゆる時事問題の記事化については極力慎重であるべきという立場です。ウィキペディアがオピニオンリーダーであってはならず、なんらかの見解や立場を支持・強調したり、逆に非難・糾弾することのないようにするためには、「ナマモノ」を取り上げるのは困難で危険を伴うことです。また百科事典としては、一応事の始まりから終わりまで(中立的に)説明するべきで、それができないなら書かない方がいいともいえます。これは海獺さんのいわれる訴訟リスクの軽減にも資することでしょう。
しかし、現状でコミュニティの議論は必ずしもそういう方向ではなさそうです。この間当たったところでは、関連するガイドライン類について、Wikipedia:現在進行を廃止してWikipedia:最新情報の反映に統合させる提案が進行中ですが、ここでは出典を伴っていれば、最新情報を反映することはむしろ奨励する内容になっています(このほかWikipedia:報道が先行し企業発表と食い違う場合のガイドラインWikipedia:創作物を基にした逐次的な編集もあるようですが、詳しくは見ていません)。
「除去や言いかえなどの対処」については、「除去」が白紙化までいきついた例がすでにあるわけで、言い換えするにも出典が必要となれば、議論の堂々巡りは避けられないかもしれません。この点ではとくに、Wikipedia‐ノート:最新情報の反映で紹介されていることですが、東北地方太平洋沖地震に関って、創立者ジンボ・ウェールズから「Wikipedia がまさに必要とされている今(中略)半保護にすべきで、白紙にすべきではない」という表明があったことは重要だろうと思います。とはいえ、この記事対象のインパクトは、世界史・人類史レベルでも大きなものだと思いますから、このコメントをどこまで一般化できるかについても意見が分かれそうです。例として挙げられた「ブラック企業大賞」をもし除去するとなると、ウィキペディアは人道や人権よりも企業保護を重視する立場を取るのか、という指摘は予想されるでしょうね。--みっち会話2012年8月27日 (月) 10:55 (UTC)[返信]
コメント企業や団体に対する形式的に適切な批判は記事で取り上げるが、そうではないものからは名誉を守る、という点では私もいつも頭を悩ませてますね。シーシェパードなんですけど。ブラック企業大賞に関しては、ブラック企業大賞#受賞歴 2012年の「受賞理由」は問題かなあと思いました。主催者発表をそのまま書き出しているだけで、海獺さんのおっしゃる、第三者の評論・評価が伴ってませんので。ただ、これに関しては、主催者発表のような一次資料ではなくて、それを報道した二次資料を出典として用いる、という原則を適用するだけで問題を回避できるのでは。たとえば、ある企業の受賞理由に関してはJ-CASTの記事がいろいろと解説しているので、主催者発表ではなくて、こっちを基に書き直せばよいかなと思いました。二次資料(第三者言及)があるということは特筆性があるということであってウィキペディアの記事で取り上げるべきですし、「評判のよい信頼できる情報源」の編集者たちがこの内容であれば名誉毀損には当たらないとして公表しているわけで、その範囲で引用する限りおいてはウィキペディアがトラブルに巻き込まれるおそれはほとんどないと思います。英語版では一次資料ではなくて二次資料を中心にして執筆するという原則が確立されていて、BLPではそれが特に厳しいです(en:WP:BLPPRIMARYen:WP:BLPSPS)。要するに、BLPではブログやツイートなどの自己公表物を出典にしてはいけなくて、第三者がそれを報道して初めて出典として使用できるということですね。その時点で、ある人物に対するある評価に対する第三者の評価が入りますので。こういう考え方を日本語版のBLPに移入して、現在ある企業や団体の記事にも準用すれば、海獺さんが懸念している第三者の評論・評価が伴っていない、自己公表物を基にした記述を排除することができるはずです。--Bugandhoney会話2012年8月27日 (月) 14:16 (UTC)[返信]
  • コメント (Ks aka 98さん、みっちさんへ)ブラック企業大賞を例に挙げたのは「その関係者にとっては非常に不利益で、容認しづらい記述」の極端な例としてであり、私が積極的に除去すべきと考えているわけではありません。念のため。こういうものも該当するのではないかという極端な振り幅の話をして、多くの意見を募りたいという意図で挙げました。--海獺会話2012年8月27日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
コメントその問題提起を一般化して考えるなら、もしもその特定企業・団体への批判的評価が「正確性に疑問があり特筆すべき価値も大きくない」とみなせる情報であればノートで提起のうえ除去して差し支えないと思います。しかし、もしも「正確性の担保が完全でないが社会的・文化的・学術的に有意な情報ではある」と思われるものであるなら、その情報を取り除くのではなく、適宜必要な記述を補完して読者の判断材料となる情報をさらに充実させることが望まれると思います。
たとえば「ブラック企業大賞」の例で、もしもその評価に対して有意な異論が存在するのであれば、
  • その異論を両論併記で載せる。
  • 客観的な事実関係の情報をできる限り詳細に補足して読者が直接判断するための材料を提供する。
  • 明らかに事実に反する記述が記事に含まれていればその記述を除去するか、事実に反した評価判断が存在することを正確な情報源に基づいて追記する。
といった形で対処すれば問題ないのでは。
「ウィキペディアが閲覧者にとって有益な情報や知識をもたらすものであっても、様々な方面に迷惑をかけたり不利益を生じさせたりすること」を避けるというご意見は妥当な感覚だと思いますが、しかし、ある特定の情報をウィキペディアから除去することによって様々な方々の幸福の追求に寄与できるか、それともより多くの人間の不幸を助長してしまうか、私自身はその判断は容易でないようにも思えます。もし自信を持ってその判断を下せる事例があるならば、ノートページなどでその説明を尽くして個々の事情に即した結論を得れば良いのではないでしょうか。--ディー・エム会話2012年9月3日 (月) 15:29 (UTC)[返信]