Wikipedia:井戸端/subj/原則禁止ガイドラインで例外許容範囲を合意・明文化しないのは有意義か?
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原則禁止ガイドラインで例外許容範囲を合意・明文化しないのは有意義か?
[編集]Wikipedia:関連項目、WP:COLOR、WP:ICONなど「原則禁止ただし例外事例許容」という、原則禁止故に削除多用を起こし、例外許容を盾に利用多用は抑制できず、と右にも左にも悪影響を起こしそうなガイドラインを散見してます。多用に対する抑制には大いに賛成なんですが、例外を許容する理由・範囲・度合い(消極的容認or積極的推奨)は個々人に依存して合意・明文化できないから個別にノート議論というのは些か無責任で、そこを決めないと左右に隙のあるガイドラインになり、策定時の意図に反して漠然とした例外許容を盾に個々人が良し悪しを判断して、利用多用を抑制できなかったり利用削除に異論が出たりしていて、有意性に疑いがあり総論は反対の立場です。
Wikipedia‐ノート:関連項目#ガイドライン化議論の再開で例外許容範囲は議論・合意できないけどWikipedia:配色の変更は控えめにとWikipedia:配色の変更の有用性のように、ガイドラインに対する両私論をまとめればどうか?と提案頂きましたが、これは抑制したい人・利用したい人にノート議論時の武器を作るだけで、執筆者は私論を書くのに疲れて、読者は私論を読むのに疲れて、得するのはルール悪用者だけな印象です。また、同ノートで例外事例の合意・明文化は出来るとコメント頂きましたが、例外事例ではなく例外範囲で俯瞰した道筋を示すのが先で、その範囲の実例として必要なら事例を挙げれば良いと思ってます。
本題の意見募集ですが、ガイドラインで例外を許容する理由・範囲・度合いを合意・明文化するコミュニティ疲弊と、ガイドラインの非有意性と悪影響によるコミュニティ疲弊とどちらが辛い意識でしょう。個人的には前向きに有意義なガイドラインであるべく前者に苦労したい・して欲しい思いですが、利用者の常識・良識に期待すればガイドラインが多少非有意義でも問題はなく後者が断然楽なのも理解してます(期待出来ないから抑制表現強化してるはずなので、そこの矛盾には首をかしげてますが)。コミュニティとしては後者寄りの意識なのかなという程度の話題で、運用中・策定中・未来のガイドラインはそのままに、合意に至らない程度の軽い感想を伺いたくお願いします。
(そろそろお前が口はさむから議論が進まないんだ、と怒られそうなので私へのコメント依頼等々が出る前に私を軽く是正して貰おうという意図を兼ねた井戸端な話題です。私自身は長いものに巻かれるスタンスなので適当な説得でも黙る所存です。願わくば一方的な原則禁止じゃなく適材適所を示す、許容範囲を合意・明文化することを祈ります。)--やなぎ0(会話) 2018年3月28日 (水) 10:45 (UTC)
- コメント 上記で挙げられている各種ガイドラインに目を通すと「例外を許容する理由・範囲・度合い」の説明も必要十分に記されており、特に内容の過不足は無さそうに思えます。もし記事編集の実務上で懸念をお持ちなのであれば、具体的にどのガイドラインのどの箇所が説明不足だとお考えなのか問題の所在を明示されたほうが第三者にも問題点が把握しやすいかと思います。--ディー・エム(会話) 2018年3月28日 (水) 11:47 (UTC)
- コメント ガイドライン作成の当事者から申し上げます。やなぎ0さんが挙げられたガイドラインには、以下の共通点があるものと思われます。
- 記事に必須の要素という訳ではない
- 適切に使うことで、記事の品質を高められる
- 不適切な使用で記事の品質を落とす(最悪「ない方がマシ」にもなりうる)
- 一方、執筆者や読者から見た、これらのガイドラインが指し示す対象には以下の特徴があるものと思われます。
- 文献調査などの下調べが必要な記事本文の追記より、追記するのがずっと楽である
- (記事全体における一般論として)追記より除去のほうが他の執筆者から反感を買う可能性がずっと高い
- 過剰な記述や装飾を邪魔で鬱陶しく感じているけれども、これらの除去をためらっている読者がいる(意外と多いかもしれません)
- 特に「追記は楽だけど除去は大変」である特徴から、ガイドラインの記述はどうしても抑制を優先せざるをえないと考えます。そして「記事に必須の要素という訳ではない」ため、「こういう場合に追加すべき」とは書きにくいです。
- コメント ガイドライン作成の当事者から申し上げます。やなぎ0さんが挙げられたガイドラインには、以下の共通点があるものと思われます。
- ただ、「無責任」とは余りにも心外です。110万件を超える記事に対して想定されうる状況を全て洗い出し、一律共通のガイドラインで例外を許容する理由・範囲・度合いを合意・明文化することはほぼ不可能です。これらの線引きは、100を超える各プロジェクトおよびそのプロジェクトの対象が持つ文化にも依存します。各プロジェクトで、その文化に詳しい方々に持ち帰り検討していただくことに問題はございますでしょうか?--茶でもすするか(会話) 2018年3月30日 (金) 23:13 (UTC)
- 返信 (ディー・エムさん宛) 具体例を挙げると各個ガイドラインで議論せよと至極全うなコメントがきそうなので、具体例は挙げませんでした。漠然とガイドラインを読んで、ウィキペディア熟練者が得ている慣習知識がなくとも、適当な判断を大半の執筆者が出来るなら問題ないです。左右どちらの疲弊も起きず、私の想定が間違ってます。執筆上の実例を挙げれば、ウィキペディアモバイル (ウェブサイト)で色・アイコンの原則禁止に従って{{Infobox オンライン情報源}}や{{Commonscat}}・{{Commonscat-inline}}を使わないとかですね。後から誰かが原則禁止を無視して直すでしょうけど、原則禁止を無視するのは良いのかとか、草取りの負担が増えるとか、多からず面倒です。関連項目の原則禁止は、ノートを読まないと認識出来ないですが、色・アイコンと違って本当に全面禁止合意がなされてて利用は不適切らしいですよ。--やなぎ0(会話) 2018年3月31日 (土) 04:14 (UTC)
- 返信 (茶でもすするかさん宛) 秀逸・良質な記事へ導くガイドラインではなく、悪質な記事を抑制するガイドラインとして有意義ですね。秀逸・良質な記事への執筆参考・判断基準にしてはいけなさそうですが。「無責任」は「不適当」の方が適当でした。責任は個人ではなくコミュニティにあって、問題が起きた時にコミュニティ疲弊として責任を追うので、無責任には成り得なかったです。問題(コミュニティ疲弊)はこの辺りがありますよね。
- ガイドラインで抑制を原則禁止合意して、利用を範囲合意しないのはWP:NPOVではない
- 利用に際して各記事・分野・プロジェクトで私論検討を要請(強制)する
- 原則禁止を無視されるからガイドライン抑制強化を幾度も重ねる
- 最初のコメントの通り、デメリットよりメリットが大きい意識なのだろうと思っているので、問題の有無は問題ではない理解です。ただ、方針に逆らうのは見逃して良いのかは少々疑問です。上位のガイドラインが抑制に傾いた状態で下位の私論で利用・抑制を検討させるのはアンフェアで、抑制支持者の意向に沿って私論検討も抑制に傾いてしまいます。この私論検討の際にガイドラインを無視して良いなら方針違反の問題も起きないでしょうが、ならばガイドラインではなく私論として纏めるべきですかね。--やなぎ0(会話) 2018年3月31日 (土) 04:14 (UTC)
- 例示に挙げていただいた記事「ウィキペディアモバイル (ウェブサイト)」を拝見しましたが、現在の版ではそれらいずれのテンプレートも使用されていないようです。仮に使用されたと仮定した場合、Template:Commonscatは必要に応じて使用可(百科事典の目的で使用する)、Template:Commonscat-inlineは不可(本文中でアイコンを使わない)という判断で論争の余地がほぼ皆無かと思います。例示のTemplate:Infobox オンライン情報源はテーブルのth要素がデフォルト色ではありませんが同種のinfobox系テンプレート全般で同配色が使用されているので個々のテンプレートの色指定だけを即座に修正せず「Wikipedia:色の使用#例外と色変更の手続」節の説明に従ってプロジェクト:テンプレートで問題提起いただく(その上でデフォルトの配色を基本とした統一的な修正の実施を検討いただく)というのがガイドラインの説明内容であり、妥当な対処指示かと思います。
- 「原則禁止を無視するのは良いのか」> 駄目です。
- 「Wikipedia:関連項目」については、「全面禁止合意がなされてて」というのは事実誤認であり、同文書の本文に「内部リンクに存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます。」という具体的な例外規定が明記されています。もしもその「特に重要な項目」の基準が不明瞭だというのであればさらに厳格な線引きを検討されても良いとは思いますが、それは全体の趣旨からすれば極めて部分的な要素に過ぎませんし、おそらくここで総論として議論すべきことでもないと思います。--ディー・エム(会話) 2018年3月31日 (土) 06:24 (UTC)
- 返信 (ディー・エムさん宛) 各個論ではなく総論として、デメリットはあるけどメリットに比べて気にしてない意識ですよね?が主題ですからね。私は各個論は井戸端どころかガイドラインノートでも冗長な話題の認識です。茶でもすするかさん宛のコメントの方にもうちょっと引いた観点の例があるので、そちらをご覧ください。--やなぎ0(会話) 2018年3月31日 (土) 07:33 (UTC)
- 返信 「デメリットはあるけど」> それはガイドラインが存在することに対してのご意見でしょうか? だとすれば基本的にそれはないと思います。現行のガイドラインによって全ての不適切な編集を皆無にすることは困難ですが、もしそれらのガイドラインが存在していない状態と比較すれば、後者の場合は現状よりもさらに不適切な記事の改善が進まず、より多くの低品質な記事を量産し続けざるを得なくなります。それを一定程度回避する機会を提供できる現行ガイドラインの存在メリットは多大であり、後者に対して前者のデメリットが見当たりません。
- もしそれらガイドラインの機能をより高めることのできる有意なアイデアをお持ちなのであれば、あるいは現状のガイドラインが原因で具体的に何かしら支障をきたされていて苦情をお持ちなのであれば、それを各ガイドラインのノートページで提起いただければと思います。もしそのような具体的な批判材料をお持ちでないのなら、現時点で最適と考え得るルールを過不足無く摺り合わせて合意形成による総意に基づいて現行のガイドラインを実際に作り上げた方々からすれば、それは単に、現時点最善の成果物に対する根拠のない批判にしかならないのではないかと思います。--ディー・エム(会話) 2018年3月31日 (土) 09:23 (UTC)
- (インデント戻し) コメント 改めて言いますが、現状のガイドライン策定・内容に改善提案する話題ではないです。私は抑制自体は賛成ですし、ガイドラインが原則禁止と言うなら仰せの通りにとウィキペディアモバイル (ウェブサイト)のように諸々使用しないです。ここまでには何も誰も問題はないはずです。
- 私の認識是正として、2018年3月31日 (土) 04:14 (UTC)で挙げた事項は如何でしょう。下段2つは他人の労力を勝手に推し量るなという話なので、苦労と認識してないなら私への説得はそれで大丈夫です。WP:NPOVも完璧な記事がないように完璧なガイドラインはなく、無視されても良いならそれもアリなのでしょう。一応対案として、大変だけど例外許容範囲を合意・明文化する、ガイドラインではなく抑制支持立場の私論とする、を挙げました。何度も重ねますが、対案を採用して欲しい訳ではなく、それらよりガイドラインの多少の非有意性の方がマシという意識なんですかねーという合意に至らない程度の軽い感想を伺いたい話題です。--やなぎ0(会話) 2018年3月31日 (土) 12:35 (UTC)
(感想程度でいいとのことなのでリンク先は見てません)「原則禁止故に削除多用を起こし、例外許容を盾に利用多用は抑制でき」ないようになるようではそれは原則が原則として機能してないのではないかと思ってしまいます。 イメージとしては『同じような問題を抱える100の記事があり、そのうち70は同じ理由で解決でき、残る30は微妙に異なる点を内包している』場合があるとして、全く同じやり取りを70回繰り返すのは無駄だから、それを「原則」としてルール化し、残る30は「例外」として原則をベースとしつつもそれぞれ異なる問題を各ノートで解決してもらうよう促す、というのが「原則」と「例外」との関係になるべきで、原則となる事例が40とか50しかないなら原則として定める意味がなくなるので、内容を減らすか緩くするかして該当率を上げる必要があると思います。
要は原則なんてのは各ノートで議論するときに楽するために用意するだけですので、『個別にノート議論というのは些か無責任(不適当)』というのは本末転倒です。本来なら「100の記事全てがノートでの議論」であったのを「100の記事のうち70はノート割愛、残る30だけがノートで議論」という状態にコストカットするためにガイドラインを決めいているだけですので、ノートでの議論が重要であることは変わりません。--ButuCC+Mtp 2018年3月31日 (土) 13:11 (UTC)
- 返信 (ButuCCさん宛) コメントありがとうございます。何度も同じ議論をしないで済むようにガイドラインがあるのは承知してますが、原則禁止ガイドラインが各個利用可否判断議論や無視対策の抑制表現強化議論を発生させているので、議論をなくすためのガイドラインが新たな議論を発生させてもいるのですよね。本末転倒ではなく観点・度合いの話だと思っていますが、本末転倒と言われるくらいに後者の議論は些細な意識っぽい雰囲気ではありますね。議論に巻き込まれる一部の草取り編集者やガイドライン策定者で、多くの利用者は関係ない・気付かない議論ですかもですね。--やなぎ0(会話) 2018年4月2日 (月) 21:20 (UTC)
返信 (やなぎ0さん宛)ご質問をいただきましたので、以下、その返答です。
- 上記でお示しいただいた3文のうち、1番目の文意がよくわからないのですが、後半部分の「利用を範囲合意しないのは」というのは、文面を校正の上で意訳すると「許容される編集内容の範囲をガイドラインで定めないのは」という理解で合っているでしょうか? だとすればそれはWP:NPOVとは因果関係がありません。特定の編集行為に対してそれを許容するかしないかの画一的・機械的な選択基準をガイドラインに明示するか否かの判断は、それは単にルール設定のテクニカルな問題です。もし万が一、ある事柄について機械的に善悪の境界線の断定が可能だと述べている(あるいはその論拠となりうる)情報源と、そのような断定が不可能だと述べている情報源が併存しており、それらの情報をウィキペディア内の文書に両論併記する必要があるケースであれば、それらを適切な均衡で扱わなければNPOVの方針に抵触する可能性はありますが、ここでの問題とは直接には無関係(何かを許容すべき基準を明確化するか否かの選択と、それを許容しない基準を明確化するか否かの選択は表裏一体であり事実上同義なので、どちらにせよその判断根拠の正確性や中立性の問題はここでの本旨には元々関係がない)です。
- 2番目は、何を問われているのか掴みかねますが、いずれにせよ「各記事・分野・プロジェクトで私論検討を要請(強制)する」という想定がそもそもありえません。私論という文書の性質上、それが有用だと思った人が(独力もしくは複数の編集者と共同で)自主的に作成するものであって、私論の作成を要請(強制)する方針やガイドラインというものを想像できませんし、各分野のプロジェクトでわざわざ作成したルール文書が私論としてリリースされるという想定も現実には考えられません(プロジェクト管轄でルールを作成するのであれば通常は正式なプロジェクト文書としてリリースする前提で議論されるはずです)。
- 3番目も、そのような理由で「抑制強化を幾度も重ねる」というようなことが実際に行われたガイドラインを存じませんので、おそらくそれも誤解に基づく想像でおっしゃられているのではないかと思いますが、ウィキペディアのルール体系は、基本的にその文書の効力によって方針とガイドラインに分けられており、簡単にいえば、前者は重要かつ厳格な規則、後者はそれよりも拘束力の低い推奨事項という使い分けがされます。したがってガイドラインとして策定されたルールに対して、ご指摘のような理由で文書本来の役割を超えて拘束力を持たせるという選択肢がウィキペディアの運営上存在しません。もし万が一そのようなルール改正の議論があったとすればそもそもそれは前提が誤りですし、そのような対応策は意味が無いので方法論としても下策です。速度制限の交通法規を守らないドライバーに対して制限区間の範囲や速度規制の内容を闇雲に厳しくするだけでは(もともと守る気が無いわけですから)何の効果もありません。できる限り広範に協力し合い、違反運転の早期発見と違反者に対する丁寧な交通安全講習を根気強く繰り返しながら事故の予防に努める以外に、おそらく楽な近道はありません。それはウィキペディアがその独自の運営方針による長所を最大限発揮し続けるために必要なコストであり、個々のガイドラインの中身をどうこうして都合よく回避できるものではありません。--ディー・エム(会話) 2018年3月31日 (土) 15:29 (UTC)
- 返信 (ディー・エムさん宛) 質問ではなく、論点がズレ始めていたのと対案はないのかと言われたので出してますよという補足を兼ねて、話題の主観を改めてコメントした再仕切りでした。各個に追求すると藪から蛇が出てくるので、ざっくりと私の不要な懸念だ、というご意見だと受け取らせて頂きます。--やなぎ0(会話) 2018年4月2日 (月) 21:20 (UTC)
- コメント やなぎ0さんの仰る「大変だけど例外許容範囲を合意・明文化する、ガイドラインではなく抑制支持立場の私論とする」というのが今一つわかりません。「中途半端なガイドラインがあるからルールを破る奴やルールの裏をかく奴が出てくる。ルール破りをなくすには、ガイドラインをなくせばいい」という理屈にも受け取れます。「速度制限は支持するけど、スピード違反を完全に取り締まれないならば速度制限の道路標識を立てるな」と言っているのと同じに思えます。
- 現状とガイドラインの内容との乖離およびガイドラインの有名無実化を心配なさってるようですが、もし、記事の状態があまりにもひどければ誰かが修正するでしょう。現状では、杓子定規的にガイドラインを当てはめた場合に違反とみなせる例がしばしば見られますが、あまり厳密にお考えになる必要は無いかと思います。ウィキペディアの五本の柱の一つである検証可能性でさえ、未だに守られていない記事がたくさん存在することを考えますと、方針やガイドラインに即効性を求めるのがそもそもの間違いで、地道に根気よく浸透させるしか無いものと思われます。--茶でもすするか(会話) 2018年3月31日 (土) 22:36 (UTC)
- 返信 (茶でもすするかさん宛) 「ガイドラインではなく抑制支持立場の私論とする」はWP:COLORの私論だけど真逆意見もあるよとか、Wikipedia‐ノート:関連項目#ガイドライン化議論の再開の両私論挙げてはどうか、みたいな非中立的な所ヘの対案です(具体例なので追求するなら各ノートに移動、そしてこの手の両私論は近々ガイドラインで原則存在禁止になりそう)。私は「標識が非中立的に見えて無視する側の思考も分かるし、何度も標識立て直すくらいなら、標識を立てる前にルールを考えては如何か」と思ってます。非中立的だと、声の大きな抑制支持派が先導して利用支持派の意見は含まれてないので多少無視してもいいや、と思われる(私はそう思っている)のは必然に思います。
- それはそれとして、その無視される度合いを減らすにあたり、地道に標識を大量に立て続けるしかない(or一番近道)と言うのであれば、そういう意見なのでしょう。草取り編集者の懸命な利用・除去活動やガイドライン策定作業に敬意を払いつつ、利用範囲は独自基準でなんとかかんとかして貰いましょう。--やなぎ0(会話) 2018年4月2日 (月) 21:20 (UTC)
「1か0か」「100%か0%か」「YesかNoか」のような純然たる二択でなければいけない、というようなかんがえかたは、わからなくもないです。確かに単純明快でよろしい。が、実際には理想的には機能しないでしょう。なぜなら世界はそのようにできていないからです。Wikipedia:信頼できる情報源のなかには「信頼性はスペクトルのように幅が」あるという言い回しがありまして、そういうものだというほかないでしょう。
- 「重要でなければ100%ダメ」と明確に定めたとして、こんどはその「範囲」や「重要さ」の判断基準を100%明確に定義しなければならなくなります。最終的には、そういう「定義づくり」に一生を費やすことになるでしょう。世の中の学問のすべてがそういうところを持ってますよね。一生を定義づくりに捧げるのでなければ、どこかで曖昧さを許容する妥協をしなければいけなくなります。趣味としては「定義づくり」は楽しいものかもしれないですが、Wikipediaの目的は百科事典づくりですから、定義づくりに過度に注力するのは生産的ではない、とみなされることになるでしょう。
- Wikipediaの方針にはWP:BUROという考え方があります。他者によって1から10までカンペキに定義されていなければ判断がつかないよ、という方は、Wikipediaむきではないということでしょう。罪刑法定主義には、日本では罪刑法定主義が採用されているけど英米ではコモン・ローという概念があって罪刑法定主義じゃない、というような解説があります。もしかすると、外国発祥のWikipediaには文化としてそういう面があるのかもしれないですね。
- 世の中では、それでもどこかに線を引かなければいけない局面もあります。交通違反の検挙とか。アルコール血中濃度の数値と飲酒運転と事故の関係については実際に裁判で争ったりしますよね。だからといって、いちいち血中濃度と運転能力の因果関係を個別的に実証してからでないと検挙できないということになると、実務上は取締は不可能になり、飲酒事故は増える・・・。速度違反も同様で、だから実際の現場では、制限速度よりいくらか上のところで取締が行われますよね。
- 色に関する「相反する2つの私論」を例示いただきました。実はその2つは私が書いたたのですが、もともとはWikipedia:空が青いということに出典は要らないとWikipedia:空が青いということに出典は要るをモデルにしたものです。たしかに「相反しているようにみえる」のですが、両者ともよく読めばそれなりにナルホドというところはあるんじゃないかなー、と思うんですよね。それは、つまるところ両方とも「すばらしい百科事典をつくる」という目的を共有しているからでして、目的地は一緒で経由地が違うだけ、なんだろうと思います。
- ところが、人によっては、その最終目的地のことを忘れて、「定義づくり」にのめりこんだり、「決められた手段」を固持することに過度にこだわってしまって、結果として最終目的地を目指すのを阻害してしまう、なんてことが起きます。そうはならないようにしたいですよね。だからほんとうは「原則はこうで、例外はこう」という定め方よりは、「目的はこうで、そのための手段としてこういうのやこういうのがある」というふうにするのがいいんだろうなー、とは思います。
- 私とは違い、全てキチッと統制・統一されていることを絶対的な正当性として追求なさる方もいます。そういう感覚はわかるのですが、協働むきではないと思います。独力で高度な仕事を成し遂げるタイプでしょう。--柒月例祭(会話) 2018年4月2日 (月) 08:35 (UTC)
- 返信 (㭍月例祭さん宛) そうですね、私も0or1を期待してるのではないですし、この手のガイドラインは私にはデメリットがそこそこに大きそうに見えてるけど、メリットの方が大きいと思ってる人もいるんですよね?という話題ですから。その上で㭍月例祭さんのコメントには、ガイドラインの良し悪しの度合いの意見が意図的に?伏せられているのでコメントしづらいですが、私の意識是正に協力して頂けてるくらいですから要はそういうことなのでしょう。--やなぎ0(会話) 2018年4月2日 (月) 21:20 (UTC)
コメント いつまでも続ける話題ではないので締めます。最初のコメントの通り「ガイドラインが多少非有意義でも問題はない」という意見の存在を確認したい話題で、それを確認できたので私は納得です。ただし、これは私の理解の中の話で、特定個人の意見を取り上げたものではないし、コミュニティの総意でも合意でもないので悪しからず。ご意見・ご感想ありがとうございました。--やなぎ0(会話) 2018年4月2日 (月) 21:20 (UTC)