Wikipedia:井戸端/subj/初心者が編集に迷った時には。
|
初心者が編集に迷った時には。
[編集]かつてXさんが「『A方式』と『B方式』、二つの編集方法がある。自分が『A方式』で編集すると、必ず『B方式』に直されてしまう」状況が繰り返されたため、この井戸端へ「『A』と『B』のどちらが正しいのか、(『A』を採用している自分は)『B』では、根本的な解決がなされないと思うがどうなのか」という質問をしました。それに対しYさんが「何が正しい、というか、何が適切かは内容や状況によって変わるが、何が適切なのか自分で判断できるようになるまで、その種の行動を取らない方が良いと思う。」と回答しました。そして回答は、その一つだけでした。(具体的には、こちらのショータさんの質問とIwai.masaharuさんの回答。)(ショータさんが質問するにいたるまでの経緯は佐藤健 (俳優)の2008年10月2日 (木) 02:30の版から2008年10月3日 (金) 12:01の版まででの人物への編集。) 回答が一つだけだったということは、Xさんの質問を読んだ、他の編集者の方々もYさんに同意されたということでしょう。
Wikipediaにおいては、公式方針やガイドラインをもってしても「絶対的に適切な(正しい)編集」は存在させられないように思います。でも、できればより多くの方に適切である、せめて良好と思われる編集をしたい、だから私は「これやっちゃって大丈夫ですか」と質問します。Yさんの真意が「迷うならやめとけ」ではなく「少し考えなさい、他の記事・編集も参考にしてごらんなさい」であることは、もちろんわかります。しかし「方針やガイドを読んでなお、自分に適切な判断ができているか迷って」質問をしたとき、「まず自分で考えてください。」だけでは、私に限らず初心者はどうしてよいのかわかりません。複数の方から回答をいただき、賛否両論あった場合には(言い方は悪いですが)自分に都合のいい意見を採用することになりますが、その時でも「このガイドラインから考えればOKと思います」とか「この方針にはふさわしくないからNGなんじゃないですか」など、経験を積まれた方の具体的な導きがなければ、初心者を卒業できないと思うのは他力本願でしょうか。--219.167.210.242 2009年1月24日 (土) 12:44 (UTC)
- 先行する井戸端の質問を見てみましたが、出典のない記述を見つけた場合は、まず、自分で資料を探して、情報量を減らさずに情報源を付した記事として加筆修正するのが、「正しい」やりかただと思います。しかし、自分がそれだけの労力をかけることができなかったり、能力がなかったり、あるいはその記述が自ら修正するほどウィキペディアの項目として重要だと思えなかったりする場合には、適切な方針を示し、なぜその方針に従う事が大事なのかということを説明して、執筆者に出典を付けることをお願いしたり、要出典のテンプレを使ったり、コメントアウトしたりして、対応することも間違ったものではありません。Yさんの真意は、自分で調べるという選択がなく、正しさを求める質問に対して、自らの気付きを期待するものだったのではないかと想像します。
- 初心者を卒業する、というのが目的であれば、やっぱり、その場その場で自分で考えていただくということになるかと思います。考えて、行動して、それがもし適切でなく、誰かに注意されて、その指摘が適切であれば、その指摘にある観点や論理をその場で学び、次に考えるときには、自分に欠けていたもの、欠けているかもしれないことを考慮して、少しずついろんな考え方ができるようになっていく、というのが望ましいように思います。そこでは、方針だけではなく、方針が決まるまでの議論、ウィキペディア日本語版での慣習や、ウィキペディアの外側にある法律や慣習や理屈などを参照する必要も出てくるかもしれません。意見が対立しているような場合は、ある人には伝わる表現が、ほかの人には通じないようなこともあるでしょう。そのへんの按配は、事例によりますし、社会的な経験が左右するところでもあるでしょう。
- 方針やガイドラインを参照して、それに反しておらず、自分の判断が適切であると考える理由があるなら、その人に対して「経験者」にできることは、間違えることをおそれるなといって、背中を押すことなのだと思うのです。それだけできるのならば、すでに初心者ではないと思うのですね。方針やガイドラインを踏まえて、その上でどうするか、というところは、「経験者」も含めて、みんなが迷っていて、考えているところのはずです。ある方針に書かれているから、自分の行動は正しいと頑なに信じているほうが、初心者に近い。
- ほどほどの経験者として、『A』を採用している自分は)『B』では、根本的な解決がなされないと思うがどうなのか、という話をするときに、なぜ根本的な解決がなされないか、ということを示すところからはじめていただければ。そこで、たとえば、「WP:V」などの略語ではわかりにくいよとか、細かい気配りに欠けるところもあるかもしれませんが、それはそれで、少しずつ修正していけばいいと思うのです。だいだい分かってきたけど、分からないところもあるし、知らないこともあるだろう。専門的な知識が必要だったり、こじれてしまったりしたときは、他者に頼らざるを得ないこともある。それでも、記事を修正したり、誰かの編集を直したりしなければならないときは、そうした弁えを持ちつつ、自分にできる範囲の最善のことをする。知識や慣れの違いはあるけれど、初心者も「経験者」も、そこは同じではないでしょうか。--Ks aka 98 2009年1月24日 (土) 13:18 (UTC)
- コメント お気持ち、よく分かります。私が思うに、結局、初心者でも経験者でも自分の責任において(覚悟をきめて)行動してゆくしかないんじゃないかな、と思います。でも一気に進める必要なくて、徐々に徐々に、周囲の反応も見ながら自分の経験値を増やしていく、と考えてみてはいかがでしょうか。
- 今回の件について言えば、iwaimさんから「ノートでの指摘に留めてはいかがでしょうか」という具体的なアドバイスを頂いているのでは?もし迷いがあるのであれば、先ずはそのアドバイスに従ってみる、というのも手かと思います。そこで新たな展開が生まれるかもしれないし、その結果に満足できない場合は、じゃぁどうしよう?となり次のステップに進むのだと思います。--Penn Station 2009年1月24日 (土) 15:41 (UTC)
- (コメント)「初心者を卒業する」という意味でしたら「ルールにあるから編集してもよい」と考えるのではなく、「第三者の意見を取り入れて落とし所(合意案)をまとめてから編集する」と考えることでしょう。Y氏の「初心者は手を引くべし」との意見は編集したからではなく、合意形成前に編集を先行させたことにあります。時間がかかるので合意プロセスを嫌う人もいますが、そういう人はいつまでたっても「初心者」の域だと考えます。--あら金 2009年1月24日 (土) 16:21 (UTC)
- (コメント)おはようございます。件の井戸端のやりとりを拝見した感想なのですが。回答された方は、質問された方を「初心者」ではなく経験を積まれている「ベテラン」と扱って少し厳しめに回答されているような印象を受けます(実際、質問者さんの履歴を拝見すれば、初心者ではないことはわかります)。ですので、同じ質問を初心者の方がされた場合は、また回答の趣が変わっていたのではないかと思います。初心者の方が編集に迷って質問したような場合、それなりに親切なアドバイスをもらえるケースが多いように思います。私が編集を始めたばかりの初心者だった頃に質問をした際にも丁寧なアドバイスをもらえましたので、件の事例を見て「初心者が質問をしても答えがもらえないのではないか」と考えるのは杞憂ではないかと思います。--Giftlists 2009年1月25日 (日) 00:57 (UTC)
- 多数の方々にご回答・ご助言をいただき、大変ありがたく思っております。
- まずPenn Station様のご助言より。「自分の責任において(覚悟をきめて)行動してゆ」こうと。自分が「各方針・ガイドを読んだ結果、適切と判断した」ことに自信を持って編集を行おうと思います。その結果「いや、あんたの解釈、間違ってるし。取り消しね。」となったら、あら金様のご意見にある「時間がかかるので合意プロセスを嫌う人」を恐れず遠慮せず、私がどの方針・ガイドをどう解釈したかを説明し、そしてそのどこがどう間違っていたのか」納得がいくまで質問しようと思います。その際には自分の判断に固執して意固地にならぬよう気をつけたいと思います。
- Ks aka 98様のご意見のなかでは、「自分で調べるという選択がなく、正しさを求める質問に対して、自らの気付きを期待するものだった」との部分を大きく受け止めております。また出典のない記事に対しては「まず、自分で資料を探して、情報量を減らさずに情報源を付した記事として加筆修正する」のが、より適切ではないかとのご意見も、今後、編集を行う時には常に忘れずにいようと思います。
- 最後に。本来の質問から脱線しますが感想として。場違いだったら申し訳ありません。質問させていただいた際、提示しました中に含まれている佐藤健 (俳優)で2008年10月3日 (金) 08:38に行われた編集にあるような「出典の明らかでないファンサイト的記述、ある雑誌に記載されていたから「それを読んだ『私は』知っている」というような雑多な内容の記述は、百科事典としてどうなの」という気持ちが私は強いです。そのため「反ショータさん方式」、つまり「出典が明示できるならコメントアウト解除、それまではコメントアウト方式」で編集しています(それゆえ提示記事での経緯が気になったのですが)。何をもって「雑多・ファンサイト的」とするかは個人によるところが大きいですが、しかしファンでなければ発行されたことも知られないであろうタレント本や、ゴシップ系週刊誌の内容が「私が読んだんだから」という理由だけで、しかもどこで読んだかの明示もないまま記述されてしまう現状に不満を感じている今、ちょっと飛躍しすぎだと思われるかもしれませんがGiftlists様から展開された議論は、出典の明記や検証可能性が、本当に難しいものだと、改めて考えさせられました。
- 皆様、本当にありがとうございました。----219.164.61.229 2009年1月25日 (日) 08:38 (UTC)(IPが変わっていますが質問者本人219.167.210.242による投稿です。)