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Wikipedia:井戸端/subj/出典なしとして広範囲に除去された記述の復帰について

出典なしとして広範囲に除去された記述の復帰について

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1億人の大質問!?笑ってコラえて!の記事について、70KBほどの内容が広範囲に除去されました(履歴)。編集概要にて「出典の一切ないコーナー紹介」を理由としており、ノートでの告知や議論、出典の明示関連のテンプレートの貼り付けなどは行われていませんでした。除去した編集者が除去までにこの記事に行った編集はなく、その後も差し戻しのみです。

この除去された記述を復帰するために、現在可能な範囲として、出典リンクを数十個付与したうえで除去の差し戻しを行い、記述を復帰しました(履歴)。私もこの復帰以外の編集は行っていません。しかし、これについてノート:1億人の大質問!?笑ってコラえて!にて除去した当人から強い反対を受けており、1対1の議論のため、合意が進む見込みがない状況下にあります。

そこで、直接的な質問として、以下のことがらについてWikipediaとしてどうかのご相談をお願いしたいです。

  1. 「出典が一切ない」理由で告知、合意などなしに広範囲に除去された記述を、出典を付与(数十個だが全てをカバーしない)して復帰することは、許容される (「すべきではない」ではない) ことか。
    • 除去があまりにも広範囲で1回の編集では対応不可能なため、除去された理由である「出典が一切ない」を解消して差し戻し、履歴を残しながら出典の付与、過剰な記述の除去を行う意向でした。
    • そのため、完全な無出典の状態は解消していますが、出典が追加で必要な箇所、除去を検討する必要がある箇所は残っています。これは編集で記事を改善していくために必要なものとして行いました。
    • 本件は特定の立場を支持したり、中立性に問題があったりするものではないため、方針によって削除を急ぐものではなく、WP:CITE#出典なき記載の扱いに基づいて、記事の改善や出典の付与の呼びかけのために記述を復帰することは問題ないと認識していました。
    • 現在、検証可能性を満たさない記述が残っているから、出典を付与しても復帰には反対とされています。
  2. 「テレビ視聴経験のみによって書かれた記事」は無出典と同じ扱いであるため、検証可能性を満すために出典を付与すれば、記事として適切なものになるのか。
    • 除去した編集者から、「それへの反論」として、1. テレビの視聴経験を出典には出来ない(WP:TVWATCH)。2. Wikipediaの執筆には出典が必要である(WP:V)。この2つのルールから導かれるのは「テレビの視聴経験(のみ)を根拠に執筆は出来ない」 と指摘されています。これは正しいのでしょうか。
  3. ここで除去された番組内のコーナーの一覧はWP:NOTTVGUIDEに該当するのか。
    • 「放送局に関する記事に、今後の予定や現在進行中の宣伝、現在の放送スケジュールなど」の「など」に該当するそうですが、腑に落ちません。
  4. Template:TVWATCHテンプレートは、Template:出典の明記のかわりであるのか。
  5. Wikipedia:検証可能性の「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」は方針であるため、WP:CITE#出典なき記載の扱いのガイドラインで示されている「出典の明記テンプレートを使って出典の提示を求めることができます。十分な期間を経ても出典が見つからない記述は除去してください。」は、本件において適用すべきではない(除去が絶対であり、復帰は認めない)、という解釈は正しいのか。
  6. 本件の着地点を探しています。
    • 記述の改善を前提に、この節を復帰しても問題ないかの結論が知りたいです。
      • ノートページでやるべきとも言われているのですが、その前に「記事を復帰するべきではない」のか否かを知りたいです。
    • 全部を一人の編集者の判断で除去するのではなく、出典の明示テンプレートを貼り付けて記事の改善を促していくのはどうであるか。

こちらとしては、無出典が理由としていたことを受けて、数時間かけて「完全な無出典」を解消したのですが、それを拒絶されたことに大変困っています。除去された方の意見については、こちらで勝手に翻案してしまわないよう、最小限の記載としました。これについては、ノート:1億人の大質問!?笑ってコラえて!をご確認ください。こちらのすべてが正しいと思っておらず、Wikipediaの方針、ガイドラインに沿う中でなるべく良い形で着地したいと考えています。ノートの中にある双方の発言に対するご指摘もありましたら、よろしくお願いいたします。--青熊獣会話2021年6月20日 (日) 11:37 (UTC)[返信]

追記します。3. の NOTTVGUIDE については、過去に同じ編集者が緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦の放送リストを削除する理由としても用いられています (差分ノート:緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦#番組リストの削除について)。同じ当事者による類似の案件のため、この「過去の放送リスト」を含めてのご助言をいただけますと幸いです。--青熊獣会話2021年6月20日 (日) 15:06 (UTC)[返信]

コメント 番組記事のノートとどちらにコメントしようかと思いましたが、取りあえずこちらに。
  1. 「(検証可能な)出典が付記できれば」許容されると思います。テレビ番組の記事に往々にして見られることなのですが、出典(脚注)といいながら実は執筆者によるトリヴィアであったりすることも少なくないので、何らかの出典は必要になってこようかと思います。で、青熊獣さんの示された「出典」は日テレ番組公式サイトの記述ですが、出典に比して復帰したい対象の全てを網羅できているとは思いません。
  2. 「テレビ視聴経験のみによって書かれた記事(記述)」というのテレビ番組の記事に非常に多く見られるところですが、決して好ましいものではないと思います。最近では代替措置として「TVでた蔵」といった、番組の放送内容を書き起こしたようなサイトを出典に用いている事例も見受けられますが、その場合は「検証可能性」は満たせても「特筆性」(その事柄がWikipediaに記すべき事柄か否か)を補強できないので、その意味で「テレビの視聴経験(のみ)を根拠に執筆は出来ない」 という意見には一定の理解を示せるものです。
  3. 「今後放送される予定の番組の内容(いわゆる次回予告)」であればWP:NOTTVGUIDEに該当する可能性が高いと思いますが、放送後の番組であれば該当しないのではないかと考えます。
  4. 今の{{TVWATCH}}は文字通りWP:TVWATCHに対する警鐘、特に「事実確認の機能を欠く情報源」に基づく記述の回避を促すものだと考えています。{{出典の明記}}に近いといえば近いですが、完全な代替になるかといえば層でも無いと思います。
  5. 「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」という方針を杓子定規に解釈すると今回のような軋轢が生じるがためのWP:CITE#出典なき記載の扱いだろうと思います。WP:BURDENWikipedia:検証可能性の一部です)にも「しかし、もしも出典を示す機会を与えずに記述を除去すると、異議を唱える人がいるかもしれません。情報源を欠く記述について情報源の明示を求める場合、その記述をノートページに移動するとよいでしょう(後略)」といった記述がありますし、あまり方針を杓子定規に解釈しすぎるとWP:POINTに抵触する可能性が出てくるとも思います。
  6. 当然ノートで時間をかけて議論すべきと思いますが、議論をする際に当該記述を復帰するか否かで論争になることは少なくありませんし、「あいつの編集が残されているのが納得いかない」という不平が聞こえてくるのも往々にしてあります。ノートや個人の下書きに当該記述を回避するのも一つの方法ではないでしょうか。
ざっくりこんな所だと思います。--Bsx会話2021年6月20日 (日) 14:01 (UTC)[返信]
コメント コメントいただきありがとうございます。とても参考になりました。3. については、同じ理由として用いられた「池の水ぜんぶ抜く大作戦」の過去の放送リストの事例について追記いたしました。こちらについても、過去の放送のため該当しないという見解でよろしいでしょうか。--青熊獣会話2021年6月20日 (日) 15:06 (UTC)[返信]
コメント特定の利用者の行動について問いたいのであればコメント依頼を提出するべきでは?同じ編集をしているこれはどうか?と探し出すのは井戸端ではやりすぎ、場合によっては個人攻撃に該当するかと思うのですが --240B:C010:401:31C8:2B9F:8F36:AA3F:DDBD 2021年6月20日 (日) 16:57 (UTC)[返信]
コメント 純粋に、WP:NOTTVGUIDEに該当するかどうか、というガイドラインについての質問です。事実としてこのノート上で解釈が分かれており、今後の記事編集にも強く関わってくるため、このガイドラインの線引きを純粋に知りたいです。行動については一切問いません。--青熊獣会話2021年6月20日 (日) 17:24 (UTC)[返信]
コメント 今回、方針・ガイドラインの解釈の相違で衝突しており、どちらのガイドラインの解釈が正しいかを対立している二者で話しても結論が出せないことから、まずは方針・ガイドラインについて第三者に見ていただく必要があると判断して、それについて質問ができる井戸端に投稿いたしました。個人の行動について議論する意図はなく、また池の水についても、ガイドラインに関する質問、かつ関連性があり、単独で立項して聞きづらいために、追記という形といたしました。もしこれが井戸端での質問にそぐわないものだったり、個人攻撃になりかねないような発言があったのでしたら、お詫び申し上げます。--青熊獣会話2021年6月20日 (日) 17:38 (UTC)[返信]
コメント 「WP:NOTTVGUIDEには」該当しないとは思います。が、特筆性の観点から、過去の放送リストを須く掲載できるか否かというのは各所で議論になっているところです(当方の関わった中ではノート:チコちゃんに叱られる!並びにプロジェクト‐ノート:放送または配信の番組#テレビ番組の記事自体が独立記事作成の目安を満たしていない、典拠としての「TVでた蔵」の使用についてで議論になっています)。--Bsx会話2021年6月21日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございます。該当しないという確信はあっても、ガイドラインの文面から100%の断言がしがたかったので、ご確認いただけて大変参考になりました。NOTTVGUIDEは抜きとしても、池の水の記事では同様に必要かどうかの議論となっていました。テレビ番組は、実際には新聞のテレビ記事やテレビ情報誌、公式サイトで多数言及されているはずなのですが、性質上読み捨てられて残らない (収集・アーカイブ化・単行本化されない) メディアが多かったり、公式サイトやテレビ情報サイトは放送が終わると即内容が消えたり、内容が文章化されることがなかったり、DVD化されても内容や順序が異なったりするのが出典提示の壁になっていると感じています。--青熊獣会話2021年6月21日 (月) 16:15 (UTC)[返信]
WP:NOTTVGUIDEのことが取り上げられていますが、私がそれぞれの議論で言いたかったのは「ウィキペディアは名鑑ではありません」ということであって(「池の水」ではそのことについても触れていますが)、Bsxさんが挙げてくださった議論でも同様のことが論じられていると思います(WP:NOTTVGUIDEってただのショートカットで、別にあの中の4番のみを指すものではないと思うのですが…。)。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは名鑑ではありませんによれば「過去に存在したあらゆる事象のカタログ・名鑑・人名録ではありません。」とのことなので、「放送後の番組であれば該当しない」というのはまた違うんじゃないかなと思います。
また新聞やテレビ雑誌などを含めたすべての出版物は国立国会図書館に収蔵されているはずですから、本気になれば出典を集められないということはないとも思います。公式サイトもインターネットアーカイブを活用するという方法もあるでしょう(ただしこちらは一次資料ですが。)。--Takumiboo(会話) 2021年6月21日 (月) 17:33 (UTC)[返信]
コメント 池の水のノートの「2020年11月26日 (木) 01:31 (UTC)」では「4. は現在・未来のことで過去を含まないのではないか」という指摘があり、「2020年11月26日 (木) 01:56 (UTC)」で、「文の冒頭の「例えば」を無視しないでください」と回答されたように、4. の項目について直接的に議論されているものの、見解が分かれているが結論は出ていません。この項目を巡って実際に議論が起きていることや、記事の大規模な除去につながる強い方針であることから、今後のテレビ番組記事に関わる重要な事項の一つであり、解釈を誤るべきではないと考えています。そのため「4. の部分に限定して」の質問をいたしました。また WP:NOTTVGUIDE という字が指しているとおり、4. の項目を指すリンクとしか読めません。私もこの意図で使いましたし、項目ごとの名前でショートカットが容易されており、箇条書きにアンカーが貼れないという事情がありますから、123456 全部を指すつもりで WP:NOTTVGUIDE でリンクしても意図が正確に伝わらないと思います。また、出典提示の壁については、Bsxさんがご紹介いただいたノートで「出典が出せないなら、番組自体の特筆性がないのではないか」という議題となっていたために、この特筆性における「メディアでの言及」について個人的な所感を記載したまでです。池の水の質問は、削除に至った議論が同様の事例のために、参照される可能性があることを考慮しての質問でした。今回の質問結果によらず、池の水の記事の番組リストそのものについては複数人で議論済みのため、蒸し返して干渉する意向はありません。--青熊獣会話2021年6月21日 (月) 18:34 (UTC)[返信]
いや正直ショートカットがどこを指しているとか関係ないんですが…。WP:NOTという方針自体の話であって、私が特定の項目にリンクしていようが、それ以外の方針は関係ない、とはならないわけですから。そもそも4番の項目を指していたとしても、「ウィキペディアは現存する、または過去に存在したあらゆる事象のカタログ・名鑑・人名録ではありません。ウィキペディアの記事は以下のものではありません。」に続いての箇条書きなので、この文章を無視していいということにはなりません。
面倒なので過去の発言を撤回・修正しましょうか?緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦の私の編集の要約欄の「WP:NOTTVGUIDE」、およびノート:1億人の大質問!?笑ってコラえて!での私の発言の「WP:NOTTVGUIDE」は「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは名鑑ではありません」と読み替えてください。
(ついでですが、箇条書きにアンカーは張れます。WP:ANCHOR参照。)--Takumiboo(会話) 2021年6月21日 (月) 19:00 (UTC)[返信]
コメント 過去の発言を間違いとしてあげつらったり、終わった議論に訂正するよう求めたりは絶対にしないです。ましてやここは井戸端なので、相談者である私は極力、ここでは方針とガイドラインについてのご相談の範疇になるよう発言します。純粋に今後のために、「WP:NOTTVGUIDE を使うと相手に 4. の意図で受け取られる場合があると思われ、今後も用いると認識の齟齬が生じるかも?」、とだけお伝えしたいです。また、こちらの井戸端で質問を書くために私が使った WP:NOTTVGUIDE はすべて 4. に限定していることを補足いたします。ちなみに、念のため過去にどう使われてきたか検索したのですが、使われていないのかほぼ見つけられませんでした。読み替えや、箇条書きにアンカーが貼れるということについては承知しました。--青熊獣会話2021年6月22日 (火) 05:04 (UTC)[返信]
コメント せっかくの井戸端なのに、青熊獣さんとTakumibooさん両名の「論争」になってしまうのが勿体ないなぁと思いながら拝見しているところですがそれはさておき。
そもそもの発端としては「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」という方針を、特に(執筆者の「見たまま」で幾年にもわたり加筆され続けてきた)テレビ番組の放送リストに照らしてどう取り扱うかということだろうと思います。端的にはプロジェクトで話し合われる事柄なのだろうと思いますが(ですのでプロジェクト‐ノート:放送または配信の番組#テレビ番組の記事自体が独立記事作成の目安を満たしていない、典拠としての「TVでた蔵」の使用についてというプロジェクトでの議論をご紹介したのですが)、もう少し広範にWP:NOTCATALOGの解釈という観点から取り上げるなら、「4.名鑑、名鑑の各項目、電子番組ガイド(EPG)あるいは商業活動に役立つ情報源」の中に「ただし、出来事や宣伝のうち主だったものや、歴史的に重要な番組一覧や放送スケジュールへの言及は認められるでしょう」という記述があって、要は「Wikipediaは『過去に存在したあらゆる事象のカタログ・名鑑・人名録ではない』が、記事の主題に対して言及すべきと思われる事象については記すべき」ということなのではないかと思います。今回の論争の発端で言えば、「『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』のコーナー一覧」が検証可能性の側面も含めて番組の主題に照らしてどのくらい重要か否かを冷静に考える必要があるのではないか(出典がなくても即座に全除去するのではなく、必要性について慎重に取り扱った上で丁寧に取り除くべきでは?)と思うところです。「Wikipedia:ページの編集は大胆に」というガイドラインにおいても「事実かもしれない記述を除去するときは、注意深く行うということにも留意してください」という言及があるくらいですから、まずはノートで時間をかけて話し合うべきでは?と考える次第です。--Bsx会話2021年6月21日 (月) 22:24 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございます。私の今の認識もお答えいただいた内容に非常に近いです。今は記事を復帰しようとしているのですが、復帰した結果さらに整理することがノートで検討される可能性もあるということも認識しています。きちんと話し合われて、記事の品質向上のためにWikipedia:合意形成が行われた結果であれば、それは問題ないと考えています。--青熊獣会話2021年6月22日 (火) 05:04 (UTC)[返信]
コメントこう言うのは極論となり得るかもしれませんが、テレビ番組とかの放映や芸能や報道といったものは、そもそも特筆性が高い題材でしょうか?出典に関して疑問や議論が発生した時は、ガイドラインの「Wikipedia:信頼できる情報源」が重要かと思われます。その内容は「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。(略)一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を保ち続けようと努めます。」「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。」というものです。過去の井戸端の議論を鑑みると、このガイドラインを主題にしたものが複数あり、たとえば「Wikipedia:井戸端/subj/アイドル、芸能人、フィクション関連の記事も学術資料に基づくべきでしょうか」や「Wikipedia:井戸端/subj/なぜ学術的資料の信頼性は高いことにされているのか?」です。この二つの議論の結論はどうやら、 議論を巻き起こしたり編集者の感情を刺激するような政治的または宗教的題材の記事も、芸能番組や放映や文化的事柄の記事も、より信頼性の高い情報源が的確に使われているほど、よりウィキペディア的に正当なのであり、その最たる情報源が論文や大学の教科書、 ということのようです。
では、果たして芸能番組や放映などを論じている論文や大学教科書の類は、どの程度存在するのか。そういった主題をウィキペディアの記事に据えて、その記事をウィキペディアのルール上秀逸なレベルにまで改良することは、非常に困難ではないでしょうか?編集者同士の解釈違いや議論を呼ぶような問題が、出典部分を中心に大きく残ってしまうと見受けられます。
別に、合意形成が不可能だとは申しておりません。ただ合意形成も、その結果できあがる記事も、妥協を多数重ねたものにならざるを得ないと思われます。--114.187.3.125 2021年6月23日 (水) 12:09 (UTC)[返信]
WP:NOPに基づき、114.187.3.125を投稿ブロックしました。--ネイ会話2021年6月23日 (水) 12:31 (UTC)[返信]