コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia:井戸端/subj/他言語版の記事の翻訳など他言語版との関係についての質問

他言語版の記事の翻訳など他言語版との関係についての質問

[編集]

先日、踏み台昇降を編集していた際に英語版のHarvard step testとの関係について記述されていて、日本語版と他言語版との関連をみて何点か気づいた点を整理しましたので井戸端で質問します。

第一の質問

英語版など他言語版の記事をWikipedia:翻訳のガイドラインの手続きに従って翻訳すれば日本語版でも独立記事として存続できると考えてよいですか。

第二の質問

他言語版の記事を見るとそこまで細分して立項する必要があるの?と思うものもありますが、他言語版から翻訳された記事を日本語版で合意によって統合することはできるのでしょうか。他言語版で独立記事ならば日本語版でも独立記事のほうがよいので慎重な対応をしたほうがよいといったところでしょうか。

第三の質問

英語版など他言語版からの翻訳があったものの出典が全くない立項もしくは出典がない加筆があったとき、その翻訳によって立項・加筆された出典のない部分は翻訳によらない出典のないものと扱いは同じなのですか、それとも翻訳による記事や加筆の場合には何らかの優位性をもちますか。出典が付かなくて大幅に削減されている記事もあったりしますけど、出典がない翻訳記事を同じ図式で考えると事実上翻訳と相反する作業になるような気もするのです。翻訳作業には労力がかかるでしょうから大幅な改稿をしてしまうと翻訳した方に悪いなと躊躇してしまいます。

第四の質問

「日本中心にならないように」は「日本語中心にならないように」なのでしょうか。たとえばサイダーの記事を参照しますと、定義が「国や地域によって」とか「日本では」となっていてWikipedia:日本中心にならないようにを考慮したものなんでしょうけど、そもそも日本語版なのですから定義はあくまでも「日本語では」としておき「他言語では意味が異なることがある」としてその具体例を出典付きで補足する形でよいのではないでしょうか。

第五の質問

たとえば合成樹脂と英語版のplasticがリンクしていること自体は相当する範囲内だと思うんですが、そのことをもって日本語の合成樹脂と英語plasticが同じ意味だという前提を置いてはいけないと思うんですがどうでしょう。合成樹脂の記事では合成樹脂と英語のplasticが必ずしも同じ意味でないことがしっかりと記されています。リンクはしてますけど。怖いのはそういう出典を根拠にした記述がなくて日本語の合成樹脂と英語のplasticは同じでしょというような前提が暗黙裡に置かれているようなときです。ノート:フェルトペンで同様の問題がかなり前に指摘されています。フェルトペンの起源についての記述が日本語でいう「フェルトペン」とは違うものではないかというものです。日本語での概念の正確性、英語での概念の正確性それぞれを保たないと百科事典としての価値を損なうと思うのですがどうでしょう。

御教示ください。--Skimr会話2015年8月25日 (火) 00:30 (UTC)[返信]

  • 第四の質問の例示は不適切。韓国でもサイダー(사이다)で通用するので、定義はあくまでも「日本語では」とするのはダメ。--hyolee2/H.L.LEE 2015年8月25日 (火) 01:14 (UTC)[返信]
    • コメント hyolee2/H.L.LEEさんの論理はおかしいです。ウィキペディア「日本版」なのだから、「日本では」とすることには何の問題もない。発音が対応する英語のciderは日本語のサイダーとは意味が異なることや、発音が対応する朝鮮語の사이다が日本語のサイダーと同様の意味であること等、各言語の事情は参考に書けばよいこと。逆に「日本では」「韓国では」などと記述するのは、ウィキペディアに各国POVを持ち込む行為ではないでしょうか(たとえば「日本では」としてしまった場合、日本で生活する日本語話者の非日本人は「サイダー」をどの意味で使う方が多いのか?、とか、「韓国では」としてしまった場合、韓国ではサイダーという意味なら北朝鮮ではどういう意味を持つのか?などという疑問が直ちに想起されます)。--114.49.35.132 2015年8月25日 (火) 05:11 (UTC)[返信]
  • コメント まず大前提として、同じ物の翻訳として作る「Windowsの英語版・日本語版」のようなものとは違って、ウィキペディアの各言語版は基本理念こそ共通するものの、(他言語版を参考にするケースもあるとはいえ)方針からそれぞれに策定するなど、一定の自律性を持ったサイトです。「他言語版と揃えること」を優先する必要はありません。
    • 1つ目ですが、日本語版と英語版で記事存続の基準は違いますので、言語版によって存否が異なることもありえます。例えば、英語版やコモンズではカテゴリに専用のテンプレを張った「カテゴリリダイレクト」が運用されていますが、日本語版では許容されていません。
    • 2つ目についても、特段問題ありません。
    • 3つ目についても、日本語版として書き下ろしたものとと違いはありません。怪しいところについては「訳さない」という選択肢もあるわけですし、翻訳だろうが執筆だろうが「わざわざ独自研究を書き込んだ」労力を考慮することなど、全く必要ありません。
    • 5つ目ですが、文化圏によってものの区分が大きく違ってきますので、(人物や製品などの固有名詞ならともかく)言語版を越えて1対1対応させようというのがどだい無理な相談です。例えば、日本語でネズミと呼ばれる生物群は、英語圏ではmouseratの2つとして認識されています。ネズミからのinterwikiはありませんし、英語版のratからはクマネズミ属につながっていますが、意味合いは一致しません。--Jkr2255 2015年8月25日 (火) 03:44 (UTC)[返信]
      • コメント 御回答ありがとうございます。
        • hyolee2/H.L.LEEさんと114.49.35.132さんからは第四の質問についてコメントをいただきました。ありがとうございます。取り上げ方が上手くなかったからか伝わらなかった点があるかもしれません。記事名の設定、記事名に対する定義の正確性(合成樹脂とplasticの例)など考えるべき点は多々あります。これはもう少し時間をかけて整理してから議論をしないといけないかもしれません。
        • Jkr2255さんからは日本語版と英語版で記事存続の基準の違いなどについて詳しく教えていただきました。ありがとうございます。記事も一対一で存在していることが必須ではなく存続や分割なども自律的な判断基準によるものと理解しました。出典がない翻訳記事は翻訳の元となる記事にも出典がなかったわけで、他言語版のもと検証できていなかった部分が翻訳という過程を通ったからといって検証されたものに変化したわけではないので記述の扱いも変わらないわけですね。翻訳によっては複雑な構造になっているものもあるので一部を編集すると全体を崩しそうでこわいんですが、メンテナンスのためのツールもあるのであまり過度に心配する必要はないのかなと思いました。--Skimr会話2015年8月25日 (火) 20:29 (UTC)[返信]
  • Jkr2255さんの言われる通り、「他言語版と揃えること」はまったく必要ではなく、従って外国語版に記事があればなんでもOKということにはなりません。削除依頼でも「英語版では特筆性に関する議論もないから存続」などという意見が出ることがありますが、無意味です。そういう前提で考えれば最初の3つの質問に対して自ずから答えは出てきます。
第一の質問
多数の言語版にある記事の翻訳版であろうと、日本語版コミュニティで特筆性が認められなければ削除されることもありえます。翻訳記事であることは、独立記事としての存続性を保証しません。実例:Wikipedia:削除依頼/有名人のハプログループ
第二の質問
第一の質問と同じく、外国語版の項目にとらわれる必要はまったくありません。統合が必要と思われるならどんどん統合提案を出して下さい。実例;ポアソン二項分布(英語版では別項目になっている「レ・カムの定理」は、独立項目にするだけの特筆性はないと判断し、最初から統合させて立項しました)
第三の質問
これも日本語オリジナルとまったく同様に考えてください。私の意見としては、こちらで述べたように本来はまともに出典が付いていないような記事は、翻訳しないかまたは翻訳者が出典を付ける努力をすべきものと考えています。翻訳記事だからといって{{要出典範囲}}をつけたり出典のない記述を除去したりすることに遠慮する必要はありません。
第四、第五の質問
Jkr2255さんの言われる通り、異なる言語間では、どんな単語もすべて一対一で対応することはありえません。むしろ辞書的には対応している言葉でも、言語によって微妙に意味合いが変わるのが普通です。例として上げたサイダーのようにほとんど日本語化した外来語に関しては、日本語での意味と英語での意味が違うことを概要などで解説しておけばよいでしょう。(もちろんちゃんとした出展つきで)
一方で社会制度やインフラ等に関する事物では、その概念や目的、あるいは政治的、経済的、法律的、社会的な位置づけはほぼ世界共通だが、その実態や実質的な運用は千差万別、という例は非常に多いです。こういう事物に関しては「日本中心にならないように」という注意はそのまんまの意味で「日本の実態を中心とした解説にならないように」と解釈すべきです。特に歴史や概要などの総説は普遍的なものであるべきですが、資料アクセスの容易さなどもあって、どうしても日本中心の記述になりがちなので、その辺に特に注意するように、という助言と解釈すべきでしょう。
--Loasa会話2015年8月31日 (月) 14:57 (UTC)[返信]

コメント Loasaさん御回答ありがとうございます。

第一の質問から第三の質問については、他言語版と一対一である必要はなく、立項や記述の判断についても日本語版での自律的な判断があって然るべきという訳ですね。ありがとうございます。

第四の質問と第五の質問はWP:JPOVに関連しますが、Loasaさんの言われるように私も助言的な役割をもつものと思います。WP:JPOVは日本語の記事名で特定された記述の対象について、日本中心の観点や記述の偏重を避けつつ、日本語を用いて解説するという意味とみます。ただ記事名、定義、そのあとの構成などどこで折り合いをつけるか編集する方それぞれに認識のずれがあると見うけます。WP:NCによると記事名は「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」です。もちろん記述の範囲まであまりガチガチに考えると不都合でしょうから、記事の全体としては記事名からいって妥当と考えられる程度のものは許容しつつ日本中心の観点や記述の偏重を避けるべきなのでしょう。同時に定義はWP:LEADPARAGRAPHで「(項目名)は」や「(項目名)とは」と表現がほぼ定型化されています。合成樹脂とplasticの例もありますけど、定義は記事名との関係で正確を期していないとWP:NCが定めている役割や定義の正確性が犠牲になってしまうのではないかという問題意識があり、記事の構造との観点でも共通した認識がまとまっていくとよいかと考えています。--Skimr会話2015年9月1日 (火) 00:33 (UTC)[返信]